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第3069号 2014年3月24日


看護のアジェンダ
 看護・医療界の"いま"を見つめ直し,読み解き,
 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。
〈第111回〉
洗濯物の記憶

井部俊子
聖路加看護大学学長


前回よりつづく

 いつだったか,旅先のホテルでぼんやりとテレビを見ていたら,宮本信子が役づくりの話をしていた。舞台となる現地に行って,土地の匂いや風や洗濯物が風にはためいている様子を感じてくるのだという話をしていた。

春の冷たい風にはためいて

 いもづる式に私の脳裏に浮かんできたのは東日本大震災の被災地で見た光景である。

 2011年,われわれNPO法人日本臨床研究支援ユニットと聖路加看護大学福島県災害支援プロジェクト(「きぼうときずな」)の担当者は,いわき市,相馬市,郡山市に4月から6月にかけて複数回現地入りして,保健センターの保健師などと活動内容や看護師・保健師の派遣スケジュールの調整を行った。そして,いわき市には4月29日より,相馬市には5月7日より,郡山市には6月9日より,聖路加看護大学の教員,大学院生,同窓生,認定看護師教育課程修了生などが呼びかけに応じて活動に参加した。本学教員は出張扱いとし,大学院生は指導教官と相談の上,学外からの参加者は休日や有給休暇を利用して,現地での支援活動に参加した。現地での移動には,ペ・ヨンジュン氏寄贈の医療支援車(いわき市,相馬市,郡山市で各1台稼働)と,「きぼうときずな」プロジェクトによる現地採用の運転手が雇用され,われわれの足となった。

 9月以降,避難所から仮設住宅,民間借り上げアパートなどに移住した被災者の間では,避難所で形成されたコミュニティの崩壊が起こっていた。聖路加チームは,入居世帯調査票をもとに,2人1組となって,入居者の家族構成,健康状態,生活と仕事,交友関係などについて尋ね,入居者の語りに耳を傾けた。東北の広々とした家に住んでいた人たちは,狭い住宅に暮らすことで閉塞感を感じていたが,外部者の訪問を歓迎し,話し込んだ。家から次の家に移動するたびに,ぺ・ヨンジュン号に乗り降りした。

 そんなとき,住宅の脇にあるちょっとした空き地に物干しがあって,洗濯された白いシャツや下着が,春の冷たい風にはためいていた。窓枠に物干しがあって,そこにも洗濯物が揺れていた。通りを行く人は誰もいない。まだ冷たさが残る春の風と,はためく洗濯物が,私の被災地の記憶である。あの洗濯物たちの揺れが,人々の生活の営みを象徴していた。私は,取り戻した日常の平安にかすかな喜びを感じた。

母の日常の変化

 もうひとつの洗濯物の思い出がある。

 一人暮らしをしていた私の母が89歳で亡くなり,6年が経つ。母が地方での一人暮らしを続けるのはこれでおしまいにしなくてはいけないと,私を決断させたのも,洗濯物である。

 東京で忙しくていた私は,月に1回の訪問で母と会話し,母の様子を見ていた。母はだんだんともの覚えが悪くなってきていた。敏感な母は,ある日,「私の頭が崩れていきそうだ」と言った。

 そんなとき,町の訪問看護師として,母の自宅の前を往き来していた山田さんが電話で,このごろ洗濯物が干されていないと私に教えてくれたことがあった。「きちょうめんなお母さんの家の前には,いつも洗濯物が出ていたんですよ」と言う。母が,日常の生活を一人でするのに限界があることを私が悟った瞬間であった。それとともに,訪問看護師の観察力に感動を覚えた。

 都会の集合住宅では,ベランダに干す洗濯物は外部から見えないようになっており,広場に洗濯物がひるがえる光景を見かけることはほとんどない。しかし,私は被災地の人々の生命力をはためく洗濯物で感じ,母の一人暮らしに終止符を打とうと決めた洗濯物の記憶を大切に保存している。

 あの2011年3月11日から4年目を迎えた。

つづく

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