学長の式辞(井部俊子)
連載
2013.05.27
看護のアジェンダ | |
看護・医療界の"いま"を見つめ直し,読み解き, 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。 | |
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井部俊子 聖路加看護大学学長 |
(前回よりつづく)
3月の卒業式,4月の入学式には「学長の式辞」がある。広辞苑では,式辞とは「式場で述べる挨拶のことば」と説明されているだけでそっけない。しかし,学長としては式辞を述べる時期になるとひそかにその構想を練るのである。
丹精を込めて述べた式辞がどの程度学生たちの印象に残っているのだろうと考えていたころ,朝日新聞夕刊(2013年4月18日付)に,「学長の式辞 響いた」という記事が載った。東京造形大学の諏訪敦彦(すわ・のぶひろ)学長の式辞が,入学式の翌日同大のホームページに掲載されると,フェイスブックの「いいね!」は2万5千件,ツイッターでの共有は4千件近くに上った。「これ入学のときに言われたら奮い立つ」などといった好意的な感想が目立ち,「名スピーチ」だと話題になっている,と新聞は報じている。
「経験という牢屋」
諏訪学長の式辞はこのように始まる。まず,新入生を歓迎し,家族や関係者にお祝いを述べた後,「新入生のみなさん。今,私はこうして壇上からみなさんに語りかけていますが,33年前,私は今のみなさんと同じように東京造形大学の入学式に臨んでいました。本日は,学長というよりひとりの卒業生として,私が学生時代に体験したことを少しお話ししてみたいと思います」。
諏訪さんは,「大学の授業で制作される映画は,大学という小さな世界の中の出来事でしかなく,厳しい現実社会の批評に曝されることもない,何か生暖かい遊戯のように思え」た。大学を休学し,数本の映画の助監督を経験して満足し,「もはや大学で学ぶことなどない」ように感じた。そして,ふと大学に戻って初めて自分の映画を自信満々で作ったが,評価は惨憺たるものだった。同級生たちの作品は未熟であったが,「現場という現実の社会の常識にとらわれることのない,自由な発想に溢れて」いた。
そしてこのように続く。「授業に出ると,現場では必要とされなかった,理論や哲学が,単に知識を増やすためにあるのではなく,自分が自分で考えること,つまり人間の自由を追求する営みであることも,おぼろげに理解できました。驚きでした」。この体験により,「自分が『経験という牢屋』に閉じ込められていた」ことに気づいたという。彼は現場で働くことを止めて大学に戻った。そして,自らの半生をもとに,次のように説いた。「大学においては,まだだれも知らない価値を探究する自由が与えられています。そのような飛躍は経験では得られないのです。それは『知』インテリジェンスによって可能となることが,今はわかります」。
諏訪学長はこのあと,東京造形大学の「建学の精神」を説明し,さらに,一昨年に起きた東日本大震災と原発事故に触れ,「これまでの経験が通用しなくなっている今こそ,大学における自由な探究が重要な意味を持っている」と締めくくる。約15分の学長の式辞が終わると,新入生だけでなく保護者からも大きな拍手が湧いたということである。
自己開示によるコミュニケーションという手法
個人的な経験から大学で学ぶことの意義を一般化していくプロセスは見事である。自分の経験を語ることは,とかく自慢話や苦労話に偏りがちであるが,聴衆に響くスピーチとは,個人的な経験をいかに概念化できるかであろう。また,抑制され吟味された自己開示が優れたコミュニケーションとなることも知られている。
「ワーク・シフト」がもたらす企業と個人の新しい関係を論じたリンダ・グラットンによると,これからのリーダーは,従来のリーダーとは違って,パーソナリティを職場に持ち込み,自分の弱みや欠点をさらけ出して,リーダーがどのような人格であるか多くの従業員が知るところとなる(インタビュー「変わる働き方,変わるマネジメント」,ハーバード・ビジネス・レビュー,2013年5月号)。このことによって,リーダーはメンバーに対してコミットすることになるが,「リーダーがどこまで自身をさらけ出すべきなのか」は試行錯誤の段階であると述べている。SNSを用いるなどしていったん対話を始めたら元に戻れないのは確かであり,自分の発言内容に敏感にならざるを得ないという。
しかし,私はこの新しいリーダー像を全面的には受容できない。ブログやツイッターになじみのない私は,これらのメディアを使って自分を「さらけ出す」リーダーは露出的であると思う。リーダーはやはりスーツを着て人前に立つべきであり,自己開示も十分な抑制が必要であろう。
ところで,私の「学長式辞」の構成は,歓迎のあいさつ,本学のミッション,本学の歴史に続けて,「魅力的で奥の深い看護学の探究の旅に出発いたしましょう」と結んだ。
(つづく)
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