医学界新聞

日本の医療保険財政を救えるか!?

インタビュー 中村 洋

2020.05.11



【interview】

日本の医療保険財政を救えるか!?
費用対効果評価がめざす未来とは

中村 洋(慶應義塾大学大学院経営管理研究科 教授)氏に聞く


 医療の進歩に伴い高額な医薬品・医療機器が次々に登場する近年,医療保険財政の維持をめざした保険医療の費用対効果評価が求められている。この流れを受け,2019年4月から医薬品,医療機器の新規収載品に対する費用対効果評価制度の運用(MEMO図1)が開始された。一部からは,本制度の導入が日本の研究開発に歯止めをかけるのではとの指摘も聞こえるが,制度の確立に尽力した中央社会保険医療協議会(以下,中医協)の費用対効果評価専門部会の真意はどこにあるのか。これまで10年以上の間,医薬品や医療機器の算定に携わり,上述の専門部会の中心的役割を担ってきた中村氏に話を聞いた。

MEMO 費用対効果評価制度

 医薬品や医療機器の費用対効果を評価し,保険償還の可否や保険償還価格の調整を行う制度。海外で本制度を最も早く政策に応用したのは1993年の豪州PBAC(医薬品給付諮問委員会)。その後,イングランドなどの国民保健サービスを所掌するNICE(国立医療技術評価機構)を始め欧州各国が続いた。日本国内では,2010年頃よりQALY,ICERを用いた費用対効果評価の議論が開始され,2012年5月に中医協内に費用対効果評価専門部会を設置し,実装に向け検討を進めてきた。

 2016年4月からの試行的導入では医薬品7品目,医療機器6品目が選定され(新規収載品を除く),オプジーボ®,カドサイラ®の2品目が価格引き下げ,カワスミNajuta胸部ステントグラフトシステムは価格引き上げとなった。試行的導入を経て,2019年4月より制度化され,2020年4月現在,医薬品7品目を対象として分析・評価中である。

図1 費用対効果評価制度のフロー(中医協資料より)(クリックで拡大)
保険収載後,中医協で選定された製品は,速やかに企業分析へと移行する(企業分析の開始前には分析前協議が開かれ,対象集団や比較対照技術などの分析枠組みの決定が行われる)。企業分析終了後は公的分析がなされ,総合的評価を経て価格調整が実施される。品目選定から価格調整までに要する期間は約15~18か月を想定。


――「医療にお金の話を持ち込むべきではない」など,これまで医療費の話はある種タブーのように扱われてきました。なぜ今,費用対効果評価制度を導入する流れとなったのでしょう。

中村 これまでの日本の薬価制度/保険医療材料制度においても,既存製品との相対評価をする中で費用対効果の考えは取り入れられていました。例えば,新しい医薬品・医療機器が既存製品に対して有効性・安全性の面で優位であれば加算を付けるといったことです。しかし,近年は開発費などのコスト増により高額な製品が市場に投入されるケースが相次ぎ,医療保険財政ならびに患者の経済的負担の増大,日本の医療保険制度の維持可能性が懸念され始めました。そこで,欧州を中心に発展してきたQALY(),ICER(増分費用効果比,図2)を用いた費用対効果評価が,日本でも検討されるようになったのです。

図2 費用対効果評価におけるICER
評価対象品目と既存の比較対照品目とを比較して,費用,効果がどれだけ増加するかを分析する指標。健康な状態で生存期間を1年延長するために必要な費用を算出する。

――類似の医療保険制度を運用する欧州諸国では2000年代から導入されていた制度です。導入に20年近くのタイムラグが発生したのはなぜですか。

中村 先ほど述べたようにこれまでも日本独自に費用対効果の考えが取り入れられてきたこと,加えて価格の決定方法に対する哲学が異なるからだと考えています。

――「哲学が異なる」とは具体的には何を指すのでしょう。

中村 欧州諸国は基本的に企業が価格を設定し,費用対効果が悪ければ政府が保険償還をしないなどの選択が可能です。一方日本では,保険償還を前提に政府が価格決定をしますので,QALYやICERなどの評価方法のアイデアは欧州を参考にできても,その値をどう活用するかは全く異なります。日本の基本的な哲学は「価格はコントロールするけれども保険償還は行う」との方針であり,日本式の制度へフィットさせることに時間を要したのです。日本の場合,欧州諸国と比較し,保険償還は広範囲かつ迅速です(図3)。保険償還を制限する方法を無理に導入しても制度的,文化的に適合しないでしょう。そのため日本は,欧州の方式を修正して取り入れながら運用する形を取っています。

図3 承認から保険償還までの期間(平均値)(文献1より)
日本は原則60~90日以内で,類似の医療保険制度を持つ欧州諸国に比べても短く,日本における迅速な保険償還が見てとれる。

効果の高い製品を創るだけがイノベーションではない

――では,日本でQALY,ICERを用いた費用対効果評価を導入した目的を教えてください。

中村 導入の目的は大きく2つです。1つは,費用対効果が低い医薬品・医療機器の保険償還価格の引き下げによって,当該品目の費用対効果を改善し,医療保険財政ならびに患者・家族の経済的負担を軽減すること。もう1つは費用対効果に優れた革新的な医薬品・医療機器を正当に評価することで,そうした製品のさらなる研究開発を促すことです。

――前者については,保険償還価格の引き下げが主目的となり,医薬品や医療機器の開発意欲を削いでしまうのではとの批判の声が上がっています。

中村 実際の引き下げ品目数や引き下げ幅を見ていただければわかりますが,イノベーションに歯止めを掛けるようなレベルではありません。現に,2016~18年にかけて行われた試行的導入の際には13品目中2品目(オプジーボ®,カドサイラ®)しか引き下げの対象になっていません。オプジーボ®に関して言えば,上市時から2019年8月までに76%もの薬価が引き下げられましたが,費用対効果評価による引き下げ幅はそのうちのほんのわずかです。

――費用対効果評価がわずかしか影響を与えなかったのはなぜでしょうか。

中村 日本には,もともと特例拡大再算定などの手法によって価格を引き下げる仕組みがあり,QALY,ICERに基づく費用対効果評価よりも大きな影響を価格に与えるからです。

 別の視点ですが,そもそも費用対効果が低そうな製品は,研究開発の早い段階で見切りをつけ,より費用対効果に優れた製品に投資するような機運が生まれるべきだとも考えています。恐らく開発者の方も,肌感覚として「この製品開発が成功しても,既存の製品と比較して本当に費用対効果が優れているのかな?」と考える製品はあると思います。

――一方で,費用対効果に優れた製品に対しては価格を引き上げることも検討されていますよね。試行的導入の際には1製品(カワスミNajuta胸部ステントグラフトシステム)が引き上げの対象となりました。

中村 企業は価格の引き上げによる収益の増加が見込まれるだけでなく,「費用対効果が高い」とのお墨付きが得られることで,製品のポジティブなプロモーションにも活路を見いだせるはずです。また,引き上げに至らないまでも費用対効果に優れていることが評価されれば,たとえ高額な製品であったとしてもその価格を維持することを正当化できるメリットも生まれますね。

 もちろん,価格の引き上げや高額製品の価格維持は医療費に少なからぬ影響を与えますが,費用対効果に優れた製品が続々と現れるようになれば,中長期的には必ず恩恵をもたらします。効果の高い製品を創るだけがイノベーションではありません。効果が同等でも経済的に優れたものを開発することができれば,社会に十分貢献するイノベーションと言えるでしょう。

目下の課題は,他の制度との連携強化と評価品目のスクリーニング

――制度の本格導入から約1年が経過しました。これまでを振り返り,今後取り組むべき課題は何でしょう。

中村 まずは企業が抱く不透明感による不安の払拭です。依然として費用対効果評価が「研究開発の将来を脅かす制度なのでは?」ととらえられているように感じます。まだ導入され始めたばかりですので,どうしても予見性が低い制度に見えてしまうのは致し方ないでしょう。そこで,過度な不安をあおってしまわぬよう制度の目的をより明確にするとともに,その目的実現のために業界や関係団体との対話を重ねていくことが欠かせません。

――制度の中身に関する改善点はいかがですか。

中村 市場規模の大きい既存品など,対象となる品目を拡大することです。QALY,ICERを用いた費用対効果評価では,リアルワールドデータを活用して評価しますので,既存品の市販後データを追うことでより正確な評価をすることが可能になります。

 また層別化解析で,特定の患者層でQOLの改善が認められない,あるいは費用対効果が著しく低いことが明らかになれば,フォーミュラリーや診療ガイドラインなどにおいて,その層への使用の制限や優先度を下げることも選択肢となり得ます。つまり,他の制度との連携強化ができれば,費用対効果評価自体の効果が高まります。

――とすると,今後はより多くの品目を評価しなければならなくなるはずです。2019年4月の本格導入以後,対象製品は医薬品のみの7品目()にとどまっていますが,品目数が増える余地はあるのでしょうか。

 費用対効果評価の対象品目(2020年4月時点)(中医協資料より)(クリックで拡大)

中村 現状,費用対効果評価を行うのは年間で10品目程度が目標です。この数字を少なく思う方もいらっしゃるかもしれません。しかし,これには理由があります。それは1品目につき最低でも「企業」「第三者機関(大学など)」「判定側(専門部会等)」の立場から,おのおの評価を下さなければならないからです。もちろん,それぞれの立場において1人でこなせるタスク量ではありませんので,相応の時間(図1)と労力,費用が掛かります。

――これからはそうした状況に鑑みながら折り合いを付けなければならないということですね。

中村 試行的導入の時を振り返ると,対象となった13品目のうち10品目には価格調整がありませんでした。したがって,価格調整対象外となることがより早い段階で判断できれば,長期間の議論やそれにかかわる多数の人員は不要になります。しかしながら,この早期スクリーニングをするためには,ある程度の経験値が必要な上,作業工程の見直し,および費用対効果評価のできる専門人材の育成も求められます。

――医療経済学に精通した人材の育成には手を打たれているのでしょうか。

中村 2020年度からは国立保健医療科学院のバックアップの下,慶應義塾大学で医療経済評価(HTA)コースが新たに作られ,専門人材の育成に力を入れ始めています。こうしたコースを経た方が,医療保険財政の将来を担うことを期待しています。

個々の医師に意思決定を依存しないようなシステムづくりを

――ここまで費用対効果評価について専門的な話をしてきました。では一体,臨床医は医療経済学に関する知識をどの程度持つべきなのでしょう。

中村 私自身,臨床医の方はこれまで述べてきたようなQALY,ICERを用いた費用対効果評価の内容を完全に理解する必要はないと考えています。現在の制度では,臨床医の処方を制限するなどの実質的な影響を及ぼさないからです。

 その一方で,本制度の導入をきっかけに日々の診療の中で費用対効果を考えていただきたいとも考えます。例えば抗菌薬適正使用の問題やポリファーマシーの問題です。恐らく医師の中にも「本当に効果があるのだろうか」「むしろ患者さんにネガティブに働いているのではないか」と,内心疑問に思う方もいるのではないでしょうか。こうした疑問を持つことだけでも,費用対効果を考えていると言えるのです。

――ただ,個々人の取り組みだけで,増え続ける医療費の抑制に影響を与えるには限界があるはずです。

中村 その通りです。例えば費用対効果を意識している医師が「費用の割に効果はないと思います」と,カンファレンスで発言した時に,意見が通りやすいか否かは重要な問題です。費用対効果に対する意識の高い人が孤軍奮闘し続けるのはあまりにも酷でしょう。こうした医師を守るためにも,先ほど申し上げたような診療ガイドラインやフォーミュラリーなどへの費用対効果評価の反映は一案です。ある医薬品/医療機器が特定の患者層において,費用はより多く掛かるもののQOLの改善が認められない,あるいは逆に効果が同等で費用を削減できるとの客観的な評価があれば,処方や手技選択のシステムに比較的反映しやすいでしょう。まずは費用対効果に基づいた判断,意思決定を個々の医師に委ね過ぎないようなシステムをつくることが求められています。

中村 今回は費用対効果評価から医療費の問題に触れましたが,少子高齢化が進む中,日本の医療保険財政は年々厳しくなっています。これまでの医療保険制度を崩壊させないために,まずは医師の皆さまが医療費の問題を,患者さんにとっても医療現場にとっても重大なこととして認識していただけたらと考えます。そうした小さな意識の積み重ねから,日本の将来を変えていくことを願います。

(了)

:質調整生存年。生存期間だけでなく,生存期間の生活の質(QOL)にも着目した医療行為の経済的評価指標。QOLを表す効用値(死亡を0,完全な健康を1として0~1の値を取る)で生存期間を重み付けする。

参考URL
1)欧州製薬団体連合会.医薬品の費用対効果評価に対する基本的見解.2019.


なかむら・ひろし氏
1988年一橋大経済学部卒。96年に米スタンフォード大経済学博士課程修了(Ph. D取得)後,慶大大学院経営管理研究科専任講師に着任。助教授を経て,2005年より現職。中医協の公益委員,同薬価専門部会部会長,同費用対効果評価専門部会部会長代理を務める。

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