水の疫学とHPVワクチン(今村文昭)
連載
2018.02.05
栄養疫学者の視点から
栄養に関する研究の質は玉石混交。情報の渦に巻き込まれないために,栄養疫学を専門とする著者が「食と健康の関係」を考察します。
[第11話]水の疫学とHPVワクチン
今村 文昭(英国ケンブリッジ大学 MRC(Medical Research Council)疫学ユニット)
(前回よりつづく)
水道水に添加される塩素は膀胱がん発症と関係があると考えられています(J Toxicol Environ Health B Crit Rev. 2015[PMID:26309063])。水道水中の塩素と微量の有機物質とが反応して生まれる物質(トリハロメタン類など)への暴露が膀胱がんのリスクと正の相関を示しているからです。分析化学,毒性学,疫学の専門家らは,これらのエビデンスは質が低く因果関係は明言できないものの,塩素添加のリスク推定において考慮すべきという姿勢を示しています。
では,このリスクのために塩素添加をやめるという考えはあり得るでしょうか。まず考えられません。塩素添加の感染症予防への貢献は確立され,仮に有害事象との因果関係があるとしても水道水への塩素添加は世界中で行うべきとされています。一方,成分濃度のモニタリング,新技術の導入,基準値の再検討,他の疾患との関係など議論が尽きることはありません。また「膀胱がん=あらゆるがん」とし水道水の危険性をうたう,ある種の水や浄水装置のビジネスも生まれています。世界が認める公衆衛生政策でさえ,時に利益相反が絡み極論も生じ得るのです。
昨今のヒトパピローマウイルス(HPV)ワクチンの積極的推奨の是非について私は関心を寄せています。ワクチン接種と水の疫学ではもちろん事情が違うとはいえ類似点があり,さらにHPVの疫学は疫学者がノーベル賞を受賞したというまれなトピックだからです。
昨年,HPVワクチンによる有害事象のリスクは非常に低いという日本独自の推定が得られました(接種後1週間未回復を有害事象として<10人/10万人,Vaccine. 2017[PMID:28325478])。非常に有意義だと思います。有害事象との因果関係がひとつの論点となっていますが,厚労省の資料1)では観察研究のみ検討されているので,ここでは臨床試験に着目したいと思います(盲検化が重要)。HPVワクチン由来と考えられる重篤な副反応(vaccine-related serious adverse event)を検証した臨床試験のメタ解析では,対照群との比較で相対リスクは1.82(95%信頼区間0.79-4.20)です(BMC Infect Dis. 2011[PMID:21226933])。近年の試験結果(Lancet. 2014[PMID:25189358]など)を含めた別のメタ解析では有意な結果もありますが,多くの観察研究と同様に短期間で消失する,あるいはワクチン由来とはいえないアウトカムなども含まれ,正確さや重要性がやや損なわれています(J Pharm Health Care Sci. 2017[PMID:28702209],Jpn J Clin Oncol. 2017[PMID:28042137])。対照群の問題(次回掲載予定),利益相反も含めると現時点では結論は下せないというところでしょう。
ではHPVワクチン由来と断定できる重篤例に的を絞った質の高いエビデンスは得られるのでしょうか。上記の相対リスク=1.82を論文記載の対照群のリスク(36人/10万人)等を基に有意なエビデンスとして検出するには約19万人を対象とする臨床試験が必要です。WHOにより検証された世界の質の高い臨床試験の総人数が7万3697人2)であることを考えると,現時点で因果関係を高い質で問うのは困難であるとわかります。
水道水への塩素添加などの多くの政策のように,HPVワクチンと重篤な有害事象との間に因果関係があると仮定して,それがHPVワクチンの積極的推奨を揺るがすかが焦点でしょう。有害事象とその救済を考慮し,リスクベネフィットや経済効果,不確実性を鑑みて政策を執る段階と思います。子宮頸がんの生涯罹患率(10万人の女性のうち1282人)3)などから,私個人としては積極的推奨を特定の層に対して行うべきと考えています。そして対象年齢の設定,性教育との協働,合意形成やモニタリングの統制,評価などで疫学がさらに力を発揮するよう願っています。机上の論では及ばないこともあると思いますが,政府と学術界とが協力し疾患の予防効果を最大限にできるであろう手を打ちつつ,政策を軌道修正していくことを期待したいです。
(つづく)
【参考URL】
1)厚労省.第32回厚生科学審議会予防接種・ワクチン分科会副反応検討部会,平成29年度第10回薬事・食品衛生審議会医薬品等安全対策部会安全対策調査会(合同開催)資料.
2)WHO. Global Advisory Committee on Vaccine Safety, 7-8 June 2017.
3)国立がん研究センター.最新がん統計2017年12月8日更新版.
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