医学界新聞

連載

2016.09.26


看護のアジェンダ
 看護・医療界の"いま"を見つめ直し,読み解き,
 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。
〈第141回〉
不道徳というカクテル

井部俊子
聖路加国際大学特任教授


前回よりつづく

 日曜日の私の日課は,「題名のない音楽会」(9時,テレビ朝日)を観ること,「メロディアスライブラリー」(10時,TOKYO FM)を聴くこと,そして「笑点」(17時半,日本テレビ)を観ることを軸に組み立てられます。「メロディアスライブラリー」は,作家の小川洋子さんがパーソナリティとして毎回1冊の本を取り上げて解説する,30分の番組です。8月の第3週は,三島由紀夫が書いた『命売ります』(ちくま文庫)でした。

 余談ですが,私は学生時代に銀座にあった書店でアルバイトをしていました。授業をさぼってアルバイトをしていると聞きつけた教務主任が偵察に来たこともありました。レジのカウンターに立って店内を見回していたある日,お客の中に三島由紀夫がいました。「あっ,三島由紀夫がいる」と思っただけですが,生(なま)の三島由紀夫を見たというのが,私の自慢のひとつです。

「悪はどうしていつも美しく見えるのでしょうか?」

 小川洋子さんは解説の中で,三島の『不道徳教育講座』(角川文庫)を紹介していました。「不道徳」というキーワードにとらわれていた私は,銀座の教文館に立ち寄ったついでに店員に尋ねたところ,すぐに棚から取り出してくれました。文庫の帯に「悪はどうしていつも美しく見えるのでしょうか?」とあるではありませんか。「ほほう」と妙に感心しながら頁をめくったのです。数日前に開催された第20回日本看護管理学会のインフォメーション・エクスチェンジで,倫理や徳についてプレゼンテーションをしたこともあり,私の中に潜んでいる不良性が芽生えたのです。

 奥野健男氏の解説によりますと,この『不道徳教育講座』は,三島の小説には表れない,座談における機知や逆説や笑いが十分に発揮されていて,しかも連載時は「週刊明星」という女性向き大衆週刊誌であったので,三島は裃(かみしも)を脱いでふざけているというのです。69章に及ぶ各章は,「知らない男とでも酒場へ行くべし」から始まり,いずれも世の道徳,倫理,良識をひっくり返すような刺激的なタイトルが並んでいます。奥野氏によると,封建時代からの「女大学式」の抑圧的な道徳講座をいちいち諷刺し,その虚妄を暴き,現代倫理のパロディを狙ったということです。

ミシマ的「看護のアジェンダ」

 それでは,「看護のアジェンダ」となりそうな現代倫理のパロディを二つ三つ紹介いたしましょう。

 「教師を内心バカにすべし」では,「学校の先生を内心バカにしないような生徒にろくな生徒はない。教師を内心バカにしないような学生は決してえらくならない。……こう断言します」と言います(私もこの言説は賛成です)。しかも,「先生をバカにすることは,本当は,ファイトのある少年だけにできるわけで,彼は自分の敵はもっとも手強いのだが,それと戦う覚悟ができていると予感しています」というのです(三島が,「少年」だけを主人公にしているのは時代背景なのか,彼の志向性の特徴を表しているのでしょうか)。こうも言っています。「教師をいたわって,内心バカにしつつ,知識だけは十分に吸いとってやるがよろしい。人生上の問題は,子供も大人も,全く同一単位,同一の力で,自分で解決しなければならぬと覚悟なさい」と。

 次は,「うんとお節介を焼くべし」です。この章は,新婚早々の三島の妻に来た無名の手紙から始まります。つまり,三島が連載を始めた『不道徳教育講座』は,「実に言語道断の憤りを禁じ得ない」というのです。「たとえ仕事の延長とは申せ,貴女様のようなまことに申し分のないお方と結婚なさり,しかも数ヵ月の今日,よくもよくもあのようなこと,『知らない男とでも酒場へ行くべし』のようなことを,書けたものでございます」というのです。こういう人は「何にでも出しゃばり口を出して,余計なお節介をして,みんなにきらわれながら,他人のために“ついつい”尽くしてしまうという美しい心情を捨てきれない」でいるのです。道のまんなかでキャッチボールをしている子供に注意して“言うことをきかないから”と腕を取ると「人の子に手をかけるな」と怒鳴られたり,電車の中で座席に座っている学生に公憤を発して,重い荷物を抱えた老人に席を譲るように言って,老人から「私はまだ老人じゃないし,この荷物の中身は綿だから重くはない」と反駁されたりしても希望を失わないのです。そして三島はこう締めくくります。「人をいつもいやがらせて,自分は少しも傷つかないという人の人生は永遠にバラ色です。なぜならお節介や忠告は,もっとも不道徳な快楽の一つだからです」と(看護師の“お節介”に留意しましょう)。

 私のお気に入りは最終章「おわり悪ければすべて悪し」です。ここで三島は,悪はどうして美しく見えるのかを説明しています。それは,「われわれが悪から離れていることであって,悪の只中にどっぷり浸っていたら,悪が美しく見えよう筈もありません。悪が美しく見えるのは,神々の姿がよく見えるようになる前兆なのかもしれない」と言うのです。そしてこんなふうに終わります。「私の店で出すカクテルには,みんな凄い名前がついていますが,別に悪いお酒をすすめたわけじゃありません。(中略)ただ善良なお酒も,バーテンの腕次第では,こんなに悪魔的な味も出せるということを,お目に入れたかっただけです」。そして舞台の照明が消えるように,「私も眠くなったから,店はもう看板にします。これからあとは,私一人で,メチルをチビチビやります。あなた方とちがって,私の目は,メチルなんかで失明する心配はありませんからね。はい,おやすみなさい」。

 う~んとうなりながら,私はしばし文章のうまさにしびれました。

つづく


◆『不道徳教育講座』に負けず劣らず刺激的な本連載が,このたび『看護のアジェンダ』として書籍化されました。(編集室)

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