医学界新聞

連載

2014.12.22



The Genecialist Manifesto
ジェネシャリスト宣言

「ジェネラリストか,スペシャリストか」。二元論を乗り越え,“ジェネシャリスト”という新概念を提唱する。

【第18回】
ジェネシャリストと地域医療,そして大学病院

岩田 健太郎(神戸大学大学院教授・感染症治療学/神戸大学医学部附属病院感染症内科)


前回からつづく

 地域医療が窮迫しているとよく言われる。兵庫県も大きな県で,医療リソースが不足している地域が多い。2013年に出された兵庫県地域医療再生計画でも,神経内科医や産婦人科医,小児科医などが地域で不足している実態が報告されている1)

 こういう話になると,すぐに「あれは医師の初期研修の必修化が遠因だ。労働力としての研修医を確保できなくなった大学病院が地方から医師を引き揚げさせ,そのために地域医療が崩壊した」という人がいる。そういう側面が皆無だとは言わない。しかし,そういう側面だけでもない,とぼくは考えている。

 第一に,大学病院からの派遣医は地域医療に向いていない医師が多い。特定の領域に特化した専門医が多いからだ。兵庫県のいろいろな病院を訪問すると,この「特定のことしかできない大学の派遣医」の弊害をよく聞く。

 特定臓器の特殊な病気の手術しかできない専門性の高い外科医が,地域でその能力を発揮できる機会は少ない。その医師は「医師1」としてカウントされるが,実働する機会はほとんどない。飼い殺し状態であり,給料泥棒ですらある。初期研修医は地域医療実習に赴くが,こういう大学チックなスーパー専門医が指導教官に当たったりすると最悪である。「おれは地域医療のことなんか知らん」と言って自分の専門領域のレポートを書かせたり,ひどい場合は実験の手伝いをさせたりしている事例もあった。

 スーパー専門医でも「おれは自分の専門領域以外はできない」と自覚しているぶんにはまだ罪が軽い。自分の知らない領域に「まあ,なんとかなるだろ」とやっつけ仕事で手を出し始めると,これは相当イタい。そうやって「なんとなく」抗菌薬の使い方とかを我流で覚えた医師をイヤというほど知っている。経験値だけはあるから,「自分は地方でもまれて感染症にも強くなった」なんて変な自信がついているから,始末に負えない。

 要するに,地域医療を語るときは,医療圏当たりの医師数をカウントしているだけではダメなのだ。それはその地域の人々に対する冒涜である。要は,その「1人の医者」がどんな医者か,が大事なのだ。

 そもそも,大学病院にはまだまだ初期研修医が多すぎる。よく厚労省が初期研修マッチングの結果で「大学病院とそれ以外,どっちが多かった」という不毛なデータを出しているが,そもそも病院数が絶対的に違うのである。大学病院といってもいろいろあるが,特に都市部の大学病院は研修医を採用しすぎである。病院規模が大学病院と同じくらいの亀田総合病院ですら年間採用数は22人である2)。顔も名前も覚えられないくらい大量の研修医を雇っても,質の高い研修は提供できない。教育なんてどうでもよく,「労働力」として,「将来入局する医局員の青田買い対象」として扱っているからこうなるのである。大学病院は自分たちが適切な教育を提供できないほどの大量の初期研修医を採用すべきではない。

 大学病院で初期研修医を囲い込まず,かつ労務を適切にするには,やはり個々の医師の診療能力の適切化が大切である。以上は第5回(第3053号)でも述べた通りである。

 大学病院の医師の多くは専門性が狭すぎる。狭いのはまあよいとして,自分の専門領域以外の診療能力が低すぎる。だから,当直ができない,救急外来が担当できない,と自分の専門外の領域に応用が利かない。内科医でも胸痛のワークアップ,腹痛のワークアップといった単純なことができない。なので,エコーとかCTとか無駄な検査を乱れ打ちするようになる。どうしてよいのか,わからないからだ。こうやって検査技師たちは乱用され,診療時間は長くなり,医者たちはどんどん疲弊していくのである(大学によって例外はあると思う。特に地方の大学病院は一般病院と構造的に変わりないところもあるし。なので,ここではあくまでティピカルで大学病院チックな大学病院と思っていただきたい)。

 もし,大学病院の医師全てがジェネシャリストとなり,コモンな患者の訴えに対する基本的な対応法を熟知していれば,無駄な検査は減り,診療のスピードはアップし,なにより診療の質は高まるであろう。そうすれば,今と同じ人的リソースで,より効率的な診療が提供できるはずである。

 大学病院の労務の難しさは複雑で,「あれを解決すれば,全て解決する」といった特効薬的な方策は存在しない。だから,たくさんの方策をしらみつぶしに行って,少しずつ労務環境を改善していくよりほかない。「大学病院医師のジェネシャリスト化」もその方策のひとつである。病院内の医師数だけではなく,個々の医師の診療能力を上げること,診療の幅を広げることで,診療効率は上がり,看護師,検査技師,薬剤師,事務方など全てのコメディカルの無駄な労務も減少するとぼくは思う(なくなりはしないけど)。

 そういうジェネシャリスト集団の大学病院医師が地域に派遣されれば,単に1人の専門医が地域に派遣されるのとは全く異なる影響を現場に与えるであろう。多様な訴えを持ち,コモンな病気を持つ患者を1人の医者が広く診ることができれば,診療効率はかなり上がる。人口当たりの医師数は同じでも,アウトカムは変わってくるはずだ。

 小児科医が小児を診るスキルは,非小児科医が小児を診るスキルよりも高い。当たり前だ。しかし,病院にやってくる小児の大多数はコモンな問題を抱えており,非小児科医であっても訓練を得ていれば対応できることが多い。

 小児科医がいなくてもよい,と言っているのではない。いざというときはやはり専門性の高い小児科医が頼りになる。しかし,小児科医以外の医師が小児をたくさん診てくれることは,結局はその小児科医たちの負担を減らし,その専門性を発揮すべき難しい問題に時間と意識を集中させることを可能にする。ジェネシャリストの存在は,スペシャリストを助けるのだ。そのスペシャリストがやはりジェネシャリストであれば,同じように他の専門医たちを助けることだって可能であろう。

 かくして,ラグビーのスローガンよろしく,「One for all, all for one」となって,個人が全体(医療環境)を助け,その医療環境に個人が助けられるのである。

つづく

参考URL
1)兵庫県地域医療再生計画(平成24年度補正予算)
2)厚労省.2014年度研修プログラム別マッチング結果(2014/10/23現在).

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