医学界新聞

連載

2012.04.16

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第220回

半世紀後のピル論争

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2972号よりつづく

 米国において,避妊・妊娠中絶等,生殖医療に絡む論議が容易にホットな政治問題となる傾向が強いことについては以前にも論じた(第2963号)。

 「ピル」が避妊目的の医薬品として認可されたのは1961年,半世紀前のことだった。当時,「性の乱れ」を心配する政治家,そして「避妊は神の教えにもとる」とする宗教家がピルの認可に反対した経緯は拙著(『続 アメリカ医療の光と影』医学書院)に詳述したが,いまや,ピルは,米国民の生活の中にしっかり定着,利用率がもっとも高い避妊法となっている。ところが,いま,ピルの保険給付をめぐって,まるでタイムマシーンで半世紀前に戻ったかのような論争が起こっているので紹介しよう。

保険給付義務化をめぐる政治対立

 ピルをめぐる論議が半世紀ぶりに蒸し返されるきっかけとなったのは,2010年3月にオバマ政権が共和党の猛反対を押し切って成立させた「医療制度改革法」だった。「予防医療については自己負担なしで保険を給付しなければならない」とする同法の定めに従って,2012年1月,保健省が「ピルも予防医療なので雇用主には保険給付の義務がある」とする決定を下したのである。これに対して「信仰の自由を侵害する」と,カソリック教会を中心として反発が広がり,政治問題化したのだった。

 ところで,保健省が「ピルは予防医療」と決定するに当たって大義名分としたのは,2011年7月に米科学アカデミーが発表した「女性のための予防医療」についての指針だった。同アカデミーは,米国においては「望まない妊娠」が全妊娠の約半数を占める上,「望まない妊娠」をした母親は,

*周産期医療にアクセスする率が低かったり遅れたりする,
*妊娠中の飲酒・喫煙率が高い,
*うつ状態に陥りやすい,
*家庭内暴力の被害者となる率が高い,
*未熟児・低体重児の出生率が高い,

などの事実を指摘,ピルを予防医療の範囲に含めるべしと勧告したのである。

 保険給付義務化の新ルール決定に際し,保健省は信仰の自由に配慮,宗教団体は適用除外とした。しかし,医療・教育機関等,宗教団体系列の関連組織については除外対象とはせず,「1年の猶予期間を与える」にとどめた。これに対し,カソリック教会が反発,「1年の猶予を与えようと与えまいと,信仰の自由を侵すことに変わりはない」と,オバマ政権との対立姿勢を鮮明にしたのだった。

 一方,カソリック教会と歩調を合わせるかのように,共和党もオバマ政権への攻勢を強めた。2月16日,同党が多数を占める下院で新ルールについての公聴会を開催,宗教関係者等から「信仰の自由が侵される」との証言を引き出し,オバマ政権の「宗教弾圧」を国民にアピールした。

 しかし,公聴会に共和党が招いた証人はすべて男性。ピルの保険給付という,女性の健康にとって極めて重要な問題を男ばかりで討議したことに女性議員を中心として民主党が猛反発。1週後,下院で同党だけの非公式公聴会を開催すると,ジョージタウン大学法学部学生のサンドラ・フルークを証人として招いた。

 フルークは,カソリック系の同大学ではピルに対する保険給付が一切認められていないため,学生にとって重い経済的負担となっていることを説明した。さらに,「避妊目的以外での使用にも保険給付が認められていないため,卵巣嚢腫でピルが使えず,32歳の若さで卵巣を摘出せざるを得なくなった」友人の悲惨な体験を紹介。「女性の健康」という観点から考えたとき,ピルに保険給付を認めるべきであることを強調した。

裏目に出た共和党の作戦

 かくして,ピルの保険給付義務化をめぐって,「信仰の自由」を重視する共和党保守派対「女性の健康」を優先する民主党リベラル派,という政治対立の図式ができあがったのであるが,まるで「場外乱闘」を挑むかのようにこの論争に飛び入りしたのが,保守派ラジオ番組のホスト,ラッシュ・リンボーだった。

 リンボーは,歯に衣着せぬ発言で保守層の間でとりわけ強い人気を誇っているのだが,「ピルのお金を他人に払わせるというのは,お金をもらってセックスするのと同義。だから,民主党公聴会で証言した女子学生は売春婦と変わらない」と,フルークを攻撃したのである。しかし,フルークを「売春婦」とののしった発言の品のなさは逆に世論の反感を買い,リンボーの番組から降りる大手スポンサーが続出したのだった。

 そもそも,医薬品として認可されてから半世紀,ピルは,しっかり国民生活の中に定着してきたし,カソリック信者の間でさえも広く使用されている。にもかかわらず,かたくなにその現実を認めようとしない教会関係者,そして,その尻馬に乗る形で「宗教弾圧」と騒ぎ立てて政権攻撃に利用した保守派・共和党。現実から乖離(かいり)した時代錯誤の議論を繰り広げる宗教家や政治家を冷めた目で見た女性は少なくなかった。

 そういったところにリンボーの女性蔑視発言も加わり,ピルの保険給付をめぐっては,オバマ政権の新ルールを支持する女性が多数派を占めるようになっている。秋の選挙をにらんで,共和党は「オバマを攻撃して宗教保守の票を固める好機」と読んだのだろうが,逆にかなりの女性票を失う結果となり,その作戦は完全に裏目に出ようとしているのである。

つづく

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