医学界新聞

連載

2012.02.13

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第215回

予防接種拒否をめぐる倫理論争

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2963号よりつづく

 以前に本コラムのシリーズで詳しく論じたように,あらゆる医療技術の中で,歴史上,予防接種ほど「命を救う」ことに関して多大な貢献をした技術はない。しかし,皮肉なことに,過去に多くの人命を奪った感染症が予防接種のおかげで制御可能となるにつれ,重篤な後遺症を残したり死亡したりする実例を間近に目撃する機会が激減,感染症に対する恐怖は「リアリティ」を失ってしまった。予防接種のリスクと,実際に感染した場合のリスクを比較したとき,感染に伴うさまざまなリスクのほうがはるかに大きいにもかかわらず,「副作用が怖い」とか,「予防接種で人工的な免疫を獲得するよりも,自然に感染して免疫を獲得するほうがいい」とか言って,子どもへの予防接種を拒否する親が跡を絶たないゆえんである。

予防接種拒否の「自己決定権」は認められるのか

 医療倫理上,「患者の自己決定権」は広く認められているとはいっても,予防接種拒否を通常の「自己決定権」の範囲に含めることについては否定的見解を取る向きが多い。というのも,「子どもへの予防接種を拒否する」という「決定」を下した結果,当の子どもだけでなく,コミュニティ全体に害をなす危険があるからである。

 一般に,ある予防接種のリスクとベネフィットのバランスを個人レベルで考えた際,接種を受けることのご利益が最も大きいのは「集団全体の接種率が低く,罹患率が高い」状況である。反対に,「集団全体の接種率が高く,罹患率が低い」状況では個人レベルのご利益は薄れることとなる。集団全体の接種率が高く,「herd immunity(集団免疫)」が成立した状況にあっては,予防接種を受けない少数の人々も「間接的」に感染から防御され得るからである。しかし,「herd immunity」が達成されるためには,大多数の親が予防接種に伴う副作用のリスクを冒して子どもに予防接種を受けさせることが前提であり,「副作用が怖い」と接種を拒否する親たちは,大多数の親が冒したリスクの上に「ただ乗り」する形でそのベネフィットを享受するのである。さらに,自分の子どもに対する「副作用」のリスクは回避する一方で,コミュニティ全体の感染症防御能は低下させるのだから,公衆衛生上の観点からすれば「身勝手」とする非難も成り立ち得るのである

小児科医による診療の拒否

 米小児科学会が行ったアンケート調査(註1)によると,調査前1年の間に予防接種を拒否する親と遭遇した経験を持つ小児科医の割合は74%に達するという。同学会は,子どもの予防接種を拒否する親に対して「辛抱強く説得する」ことを正式なポリシーとしている(註2)が,辛抱強い説得にもかかわらずかたくなに予防接種を拒否し続ける場合,「堪忍袋の緒が切れる」小児科医が現れるのも無理はない。同学会の調査によると,接種拒否児の診療を「常に断る」小児科医は6%,「時に断る」小児科医は16%に上っているのである。

 「堪忍袋の緒が切れる」と書くと,あたかも小児科医たちが感情的理由のみで行動しているかのような誤解を与えるかも知れないが,実は,彼らが診療拒否という「強い」行為に訴える最大の理由は,「予防接種拒否児の来院は,他の患者を無用なリスクにさらす」と強く信じることにある。実際,予防接種拒否児が海外旅行の際に感染した麻疹を持ち帰った挙げ句に待合室内で乳児に感染させるような事例が跡を絶たず,かたくなに子どもへの予防接種を拒否する親一般に対して「反感」や「怒り」を抱く小児科医は少なくないのである。

 米小児科学会は,そのポリシーで,予防接種をかたくなに拒否し続ける親に対しても「リスペクトフル」に振る舞い,関係を絶つべきでないとしつつも,その一方で,(1)信頼関係が著しく損なわれたり,(2)診療についての考え方が大きく食い違ったり,あるいは,(3)親と良好なコミュニケーションを保つことができない場合には,「他の医師にかかるよう」,つまり,「自分のところにはもう来ないでくれ」と勧めるのも仕方ないと容認している(もっとも,同学会のポリシーは,予防接種拒否患者の診療拒否が認められるのは「あくまでも例外的状況で」というニュアンスで書かれているので,間違っても,「診療拒否を推奨している」とは誤解しないように)。

 というわけで,米国には予防接種拒否児の診療を拒否する小児科医が一定割合で存在するのだが,「接種を拒否した責任は親にあるのに,なぜ,子どもが診療を受けられないという罰を受けなければならないのだ?」と疑問に思うのは私だけだろうか?

つづく

註1:Periodic survey of fellows: #66 Pediatricians' attitudes and practices surrounding the delivery of immunizations. American academy of pediatrics, 2007.
註2:Responding to parental refusals of immunization of children. Pediatrics. 2005; 115(5): 1428-31.ちなみに,説得に応じて予防接種を受けさせる親の割合は約3割という。

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