医学界新聞

連載

2011.04.11

在宅医療モノ語り

第13話
語り手:電気なしで持ち場を守る 手動式吸引器さん

鶴岡優子
(つるかめ診療所)


前回からつづく

 在宅医療の現場にはいろいろな物語りが交錯している。患者を主人公に,同居家族や親戚,医療・介護スタッフ,近隣住民などが脇役となり,ザイタクは劇場になる。筆者もザイタク劇場の脇役のひとりであるが,往診鞄に特別な関心を持ち全国の医療機関を訪ね歩いている。往診鞄の中を覗き道具を見つめていると,道具(モノ)も何かを語っているようだ。今回の主役は「手動式吸引器」さん。さあ,何と語っているのだろうか?


私とペットボトル吸引器さん
吸引のパワーからすると,やっぱり私(右前端)が1番かな? ペットボトル吸引器さんは優しさが持ち味で,固めの痰は苦手。ドクターHのお勧めどおり,ボトルは「ペプシネックス」が弾力性・耐久性ともにいい感じ。他の炭酸系もまあまあ。
 大震災。津波。余震。原発事故。計画停電。避難生活。燃料不足。震災の被害を目の当たりにし,胸が張り裂けそうになります。あの日から日本の生活と価値観が一変しました。生活が変われば,在宅医療も変わります。在宅業界もハイテク化が進み,人工呼吸器,酸素濃縮器,介護用ベッド,エアマット,吸引器,すべて電気で動いているので,停電は大打撃です。人工呼吸器のようにバッテリーが内蔵されているものもありますが,稼働時間には制限があります。酸素濃縮器のほとんどは停電で止まるため,あらかじめ準備されている酸素ボンベに切り替えます。

 ベッドなら停電で動かなくても大丈夫? いえいえ,大変気を使います。「今日の停電は食事の時間帯だから」と胃ろうで経管栄養されている患者さんのご家族は,あらかじめ上半身をちょっと上げた状態で,停電に入る計画を立てました。「だって寝たまま栄養流したらマズいでしょ?」。おっしゃるとおりです。エアマットは? 短時間の停電だったら,ペチャンコにならないと情報を得ていましたが,実際大丈夫でした。

 では,吸引器は? あのチューブは患者さんによっては命綱です。口や鼻,気管切開部などの穴に細いチューブを入れて,電気で陰圧をかけて痰や唾液などを吸引します。使う頻度は患者さんによって異なり,「ちょっとゴロゴロして痰がらみがあるな」というタイミングで吸引するというのが一般的。2~3時間に1回の方もいれば,1日に1回で十分な方,ひっきりなしに吸引が必要な方も。頻回に使う方は,このような非常時に備え,足踏み型吸引器を準備しておられました。

 私は古風な手動式吸引器ですが,震災前はほとんど出番はありませんでした。18Frという太めのカテーテルは万人に使えるわけでなく,診療所にも1つあるだけ。同時に停電する地区の患者さんには行き渡りません。私を誰に渡しましょうか? 主人は悩んで,ある患者さん宅に声をかけましたが,反応は意外なものでした。「他の困った人に回してあげて。ウチは停電のとき,そのときに痰が絡んで窒息したら,それが寿命だと思っています」。そんなあ,ちょっと待って……と,そんなときに限って他のお宅からの電話が鳴ります。「吸引器はしばらく使っていないけど,いざ停電で使えないとなると不安なんです。何かいい吸引器,手に入らないかしら?」。

 結局,私は誰にも貸し出されず,主人の往診鞄に入れられたまま,有事に備えて自分の持ち場で仕事を続けることになりました。患者さんたちには手作りの吸引器が渡されました。メーリングリストでドクターHに作り方を教えてもらったのです。「ペットボトルの蓋にライターで熱した釘などで穴をあけ,12Frの吸引カテーテルの接合部を切ってはめ込むだけ」。なるほど。「吸引は手でボトルを圧迫した状態でカテーテルを挿入し,圧迫を解除する」。すごい。いい仕事をしてくれそうな吸引器さんができあがりました。

 東日本大震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りし,主人と一緒に空を見上げます。被災地でつらい生活をされている方を思い,寒さに耐えています。持ち場を離れられない自分が情けなく,主人と一緒にうなだれます。桜の木がありました。頭を上げてみると蕾。今年も必ず咲くはず。でも眺めている時間はありません。今日も私は主人がこぐ猛スピードの自転車に乗って,訪問診療に向かいます。

つづく


鶴岡優子
1993年順大医学部卒。旭中央病院を経て,95年自治医大地域医療学に入局。96年藤沢町民病院,2001年米国ケース・ウエスタン・リザーブ大家庭医療学を経て,08年よりつるかめ診療所(栃木県下野市)で極めて小さな在宅医療を展開。エコとダイエットの両立をめざし訪問診療には自転車を愛用。自治医大非常勤講師。日本内科学会認定総合内科専門医。

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