医学界新聞

連載

2011.04.04

連載
臨床医学航海術

第63回

英語力-外国語力(3)

田中和豊(済生会福岡総合病院臨床教育部部長)


前回よりつづく

臨床医学は疾風怒濤の海。この大海原を安全に航海するためには卓越した航海術が必要となる。本連載では,この臨床医学航海術の土台となる「人間としての基礎的技能」を示すことにする。もっとも,これらの技能は,臨床医学に限らず人生という大海原の航海術なのかもしれないが……。


 前回は人間としての基礎的技能の「英語力-外国語力」として,どのようにすれば効果的に英語を身に付けられるかを考えた。今回も引き続き効果的に英語を身に付ける方法を述べる。

3.質

 前回,英語を身に付ける方法として「英語を使う」ことを述べた。そこで,日本人がいつまでたっても英語ができない理由の一つは,英語を使わないからであると言った。つまり,いつまでも授業や教科書にしがみついて,「生きた英語」を一向に勉強しようとしないのである。

 以前に第2次大戦終戦後の日本で戦時中の敵国の言語であった英語を独学で勉強した方の話をどこかで読んだことがある。当時の日本では英語を勉強しようと思っても,英語に触れる機会自体がほとんどなかったとのことである。英語のテレビやラジオもないし,教科書もなかったのだそうだ。そんな環境でその人は英語を自力で学ぶために,当時英語に触れられる唯一の機会である映画館に「日の丸弁当」を持って通い,朝から晩まで同じアメリカ映画を何回も見たそうである。スペリングはわからないが英語の言葉を音で聞き,同時に日本語の字幕を見て,こういうときにこういう言葉を話すのだと子どもが言語を習得するように覚えていったのだという。こうした努力を重ね,日本にいながら最終的にはネイティブとほとんど同じような英語力を習得したのだそうだ。

 ここで注目してほしいのは,この人は「生きた英語」を子どもが言語を吸収するように習得したという事実である。第60回(第2911号)で紹介した言語学者チョムスキーによると,子どもの言語獲得過程は「言語習得」と「言語学習」の2段階に分けられる。「言語習得」とは,子どもがその言語の文法を一切理解せずに周りの人から見よう見まねで言語を習得する過程である。「言語学習」とは,言語をある程度習得してから,その言語の文法を学習してさらなる言語能力を獲得する過程だ。そして,人間の自然な言語獲得過程は,必ず「言語習得」→「言語学習」の順序で行われるのである。それを日本人はいつまでたっても「言語学習」→「言語習得」という真っ向から反対する方向にしか学習しようとしないのだ。

 国際化が進んだ現在の日本では,ちまたに英語があふれている。テレビをつければ英語が聞ける。わざわざ映画館に行かなくても,DVDで映画を見られる。インターネットのビデオで英語のニュースやビデオも視聴できるし,英語の文献検索も可能となった。このように戦後急激に英語が普及したが,果たしてその間,日本人の英語力はどれだけ進歩したのだろうか? このことからわかるとおり,英語の学習はやればよいというものではなく,効率的な方法で行わなければならないのである。言い換えると,このことは学習の「質」を高めるということにほかならないのだ。

 ここまで英語力の学習方法の「質」について考えたが,同様のことを基本的臨床技能においても考える。本連載第60-62回の議論で,基本的臨床技能を習得しようと考えると,医師としての幼少期である初期研修期間に患者診療を経験することが絶対に必要となることがわかった。それでは,今度はその基本的臨床技能を効果的に習得するにはどうすればよいか考えてみたい。

 筆者は現在勤務している病院に2005年に「臨床教育部」を創設した。教育専門機関でもない市中の臨床研修指定病院にわざわざ臨床教育を目的とする部署を創設した理由は,研修医が効果的に基本的臨床技能を習得できる方法を模索して,効率的な初期臨床研修プログラムを構築したかったからである。

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