医学界新聞

連載

2011.02.28

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第192回

メディケイド危機がもたらした「死刑宣告」

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2916号よりつづく

 民間の医療保険を主体として医療制度を運営している米国において,「セーフティネット」の役割を果たしているのが,メディケア(高齢者・障害者用)・メディケイド(低所得者用)の二大公的保険である。メディケアの運営主体が連邦政府であるのに対して,メディケイドの運営主体は州。「メディケイド」という名称は共通であっても州によって運営の実態は異なり,50の州で異なる50の医療保険が運営されているのである。

 しかし,州ごとに異なる制度が運営されているとはいっても,メディケイド財政が逼迫していることは各州とも共通である。長引く不況の下,税収が低下していることに加えて,失業・収入減で被保険者となる州民も増加,支出も増えているからである。

移植手術の保険適用取り消し,被保険者削減計画も進行

 各州ともメディケイドの支出抑制に躍起となっている中,アリゾナ州が一部移植手術についての保険適用を取り消したことが全米の批判を浴びている。2010年10月1日を境として,それまで「移植待ちリスト」に掲載されていた患者約100人に対し,移植手術の保険適用が取り消されることとなったのである。費用を自弁できない限り移植手術が受けられなくなったのだが,もともと低所得者のメディケイド被保険者が手術費用を捻出することは困難を極める。ある患者の言葉を借りるならば,同州の支出抑制策は「死刑宣告」に等しい重みをもつこととなったのだが,実際,保険適用取り消し後1月25日までの約4か月の間に,移植が受けられずに死亡した患者は2人を数えている。

 同州議会が移植手術に対する保険適用取り消しを決めた州法を可決したのは2010年3月であったが,その際「根拠」とされたのは州担当部局が作成した資料であった。しかし,この資料については「取り消しを正当化するために都合の良いデータのみを集めた」と信憑性に疑義を呈する医療者は多く,医学的に見たとき,十分な根拠もないまま保険取り消しの決定がなされたようなのである。批判の高まりに対し,同州知事のジャン・ブルーワーは「移植手術の保険適用を取り消さなければならなくなったのはオバマの医療改革のせいでメディケイドの州負担が増えたから」として,責任をオバマ政権になすりつけている。しかし,保険適用取り消しを決めた州法が可決されたのはオバマの医療改革法が連邦議会を通過する前であり,同知事の説明に説得力はない。

 移植手術の保険適用取り消しで得られる節約効果は年間450万ドルとされているが,同州は,さらに規模の大きい支出抑制実現をめざしている。メディケイド被保険者を一挙に22%(28万人)削減することで5億4100万ドル(州財政赤字の約半分に相当)の支出を削減する計画が進んでいるのである。メディケイドの受給資格を変更するには連邦政府の許可が必要となるため(),2011年1月,州議会は連邦政府とメディケイド受給資格変更について交渉する権限を知事に付与する州法を成立させた。果たして28万人を「無保険者化する」計画を連邦政府が許可するかどうかは定かではないが,いまのところ,知事も州議会与党である共和党も,新たに出現する28万人の「医療難民」に対する対策については何も明らかにしていない。

州がメディケイドから全面撤退? 260万人が無保険者に

 しかし,メディケイド被保険者を5分の1減らすというアリゾナ州の計画はまだかわいらしいほうで,テキサス州ではメディケイドからの「全面撤退」が真剣に議論されているのだから驚かざるを得ない。「メディケイド運営のための巨額支出が州財政を圧迫しているのだから,制度そのものを廃止ししてしまえ」というわけだが,日本で例えるなら,「地方自治体が国保から脱退する方策を検討する事態」を考えていただけばよいだろう。

 州がメディケイドから「抜ける」ことが法的に可能かどうかは議論のあるところだが,テキサスがメディケイドから抜けた場合,新たに260万人の無保険者が発生すると予測されている。「脱退派」は,「オバマの医療制度改革法で無保険者が医療保険を購入する際の財政支援制度ができるのだから,新たに出現する無保険者の救済費用は連邦政府に押しつけてしまえばよい」と主張するのだが,医療改革法が規定する財政支援対象者はメディケイド被保険者となる所得階層を除外している。というわけで,脱退派の目論見は「取らぬ狸の皮算用」となりそうなのだが,突然医療保険を奪われることになる260万人にとっては,いま受けている医療が受けられなくなることを意味するのだから,メディケイドからの脱退が実現した場合,その影響は甚大である。

 「財政健全化」という美名の下に,大量の「死刑宣告」が下されることになるかもしれないのである。

つづく

:メディケイドの財政負担は連邦政府と州政府とが分担するため,制度に大きな変更を加えるには連邦政府の許可が必要となる。

※シリーズ「アウトブレイク」は今回お休みしました。

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