医学界新聞

連載

2010.08.02

連載
臨床医学航海術

第55回

  医学生へのアドバイス(39)

田中和豊(済生会福岡総合病院臨床教育部部長)


前回よりつづく

 臨床医学は大きな海に例えることができる。その海を航海することは至難の業である。吹きすさぶ嵐,荒れ狂う波,轟く雷……その航路は決して穏やかではない。そしてさらに現在この大海原には大きな変革が起こっている。この連載では,現在この大海原に起こっている変革を解説し,それに対して医学生や研修医はどのような準備をすれば,より安全に臨床医学の大海を航海できるのかを示したい。


 前回は「聴覚理解力―きく」の最後として「訊く」ことについて述べた。今回は医療現場での「訊く」ことについて述べる。

聴覚理解力―きく(10)

事前の電話

 筆者の勤務する病院にはよく患者さんから,「これこれこういう症状なのですが,今から診てもらえますか?」という内容の電話がかかってくる。筆者の病院では,このような軽症に分類される患者さんは午前中の各科外来終了以降17時までは総合診療外来で対応することになっているので,電話は筆者につながれる。

 筆者の勤務する病院では午前中の各科外来終了後も来院する患者さんに対応するシステムがあるが,このような問い合わせがあるということは午前中の外来終了後,一切患者診療をしない病院も少なくないのであろう。ということは,逆に言うと事前に電話確認しないで病気やケガだからといって病院に行っても,診療拒否されて他の病院に回されてしまうことがあるということである。この事前の電話確認を怠ると,前回紹介した「仁和寺のある法師」の石清水八幡宮詣での話のような無駄足を踏むことになりかねないのである。そう考えると,病院に来る前に電話で診察の可否を確認する患者さんというのは,とても賢明であると言える。

 筆者もこの賢明な患者さんたちに習って,行ったことのないところに行くときには無駄足を踏まないように事前の電話を習慣的にするようになった。あるとき土曜の午前中に近くの医院を受診しようと思った。インターネットで検索すると,その医院は土曜の13時まで開いているとのことであった。土曜日なのでゆっくり起きて13時ギリギリに行って診てもらおうと思っていた。しかし,面倒だが「仁和寺の法師」にならないために電話確認をしてみた。すると,その医院の事務の方がこう答えたのであった。

 「当院は13時まで開いております。ただし,13時までに患者さんが多くいらっしゃった場合には,12時半で受付を終了することがございます」と。

 「な~に~!」とこれを聞いて思った。そんなことインターネットにひと言も書いていないじゃないか! そして,こう思った。もしも患者が多い場合に土曜の12時半で受付を終了して,それを知らずにその医院に12時半以降に行った患者さんは一体どうなるんだ,と。土曜の12時半に診療を断られたら,他に開いている病院などほとんどないはずである。月曜の朝まで受診を待てとでも言うのか? 同じ医師として診察終了ギリギリに来る患者は診たくないし,また,診察終了時間に診療を終わらせて早く帰りたいという気持ちは十二分にわかる。しかし,医師としてこんなことをしてよいのであろうか?

 朝起きて何気なくかけた確認の電話であったが,その電話1本で一気に事情が変わり,急いで飛び起き準備して,12時半までにその医院に駆け込んだ。やはり事前に電話しておいてよかった~。

前提の相違

 ここであえて「訊く」ことによって,診療を受けそびれるという不幸な結果を未然に防ぐことができたのである。そして,このように事前に不幸な結果を回避できたのはこの「訊く」という行為によってお互いの前提を確認することができたからである。医院の医師にとって,土曜は半日勤務であるので,どんなに患者が混んでも13時までに診療を終えるのが当たり前である。だから,患者が立て込んだ場合には,12時半で受付を終了するというのが彼の前提なのである。しかし,一方平日に勤務していて病院をなかなか受診できない患者さんにとっては,土曜の午前というのは診察を受ける貴重な時間である。したがって,土曜の診療は13時ギリギリまで診察を受け付けるのが当たり前なはずである。ここで注意しなければならないのは,医師側の前提と患者さん側の前提のどちらが正しいかという議論ではなく,医師側の前提と患者さん側の前提が異なっているという事実がより重要だということである。その前提の違いを認識する貴重な手段が「訊く」という行為なのである。

 この前提の相違というのは,何も医師―患者間だけでなく,医師―医師間,医師―看護師間,指導医―研修医間,一般医―専門医間,専門医―専門医間など,おそらくどんな人間の間にも起こり得る。そして,恐ろしいことは前提の相違が認識されることがないと,医療過誤,最悪の場合には患者さんの死という結末につながりかねないことである。

 だからお互いの前提の相違を埋めるために医療現場においても「訊く」ということは非常に大切であると筆者は考えている。確かにこの「訊く」という行為の重要性はわかるが,実際の現場では訊きにくいこともある。なぜならば,「訊く」という行為は状況によっては「物申す」「意見する」あるいは「反論する」ととらえられるかもしれないからである。そして,「訊く」という行為自体を忌み嫌って訊かれるだけで怒り出す人もいる。このようなときにはどうしたらよいのであろうか?

確認権

 このようなときには,筆者は研修医には「確認したいのですが……」と切り出すように勧めている。その理由は研修医にも確認する権利があると考えるからである。研修医に反論する権利はないと考える指導医がいるかもしれないが,研修医に確認する権利がないとまで言う指導医はまずいないはずである。また,「訊く」と怒られるからという理由で研修医が重要事項の確認を怠ることがある。このような場合にも,患者さんの不幸を回避するために,患者さんのために必ず訊けと教えている。訊かなければ指導医に怒られないかもしれないが,時にはそれが原因で患者さんが不幸な結果になってしまうかもしれない。それよりは,訊いたことによってたとえ自分が指導医から怒られることになっても,患者さんが不幸な結果を免れたほうがよいからである。知識の多い少ないにかかわらず,人はすべての人間の前提を知ることは不可能である。だからどんな場合でも「訊く」ことが大切なのである。まさに「訊くは一時の恥,訊かぬは一生の恥」なのである。ちなみに参考文献によると,特に男はプライドが許さずに「訊く」ということが苦手なようである。とすると,男は「聞く」ことも「訊く」ことも苦手ということなのか……?

 以上,長々と「きく」ことについて考えた。こう考えてみると「きく」ことがいかに難しいのかがよくわかる。確かに耳を傾ければ,しつこい電話,うるさい誹謗・中傷,そして,耳に痛い忠告……。どれを聞いてどれを聞かねばよいのであろうか……? わからないことを訊こうと思っても,いやな顔をされたり怒られたり……。それならばいっそのこと兼好法師ではないが,こんな嫌な俗世間から離れて一人深山(ミヤマ)に分け入り,沢のせせらぎや鳥のさえずりを聞きながら,ゆっくりと茶の香りでも聞きたい……。

次回につづく

参考文献
アラン・ピーズ+バーバラ・ピーズ著.藤井留美訳.話を聞かない男,地図が読めない女――男脳・女脳が「謎」を解く.主婦の友社.2002.

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