医学界新聞

連載

2010.03.15

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第170回

乳癌検診をめぐる大論争(3)

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2869号よりつづく

 前回までのあらすじ:2009年11月,合衆国予防医療タスクフォースがマンモグラフィの開始年齢を遅らせるだけでなく回数を減らす新ガイドラインを発表した途端,患者・医師から「乳癌患者に死ねと言うのか!」とする怒りの声が噴出した。


論争の影に「政治」と「金」

 タスクフォースにとって非常にタイミングが悪かったことに,新ガイドラインが発表された2009年11月当時,米国では,医療保険制度改革をめぐって,民主党と共和党との間で激しい政治的攻防が繰り広げられていた。保険会社への規制を強め,既往疾患を理由に保険加入を断ったり病気になった後で保険を取り消したりする行為を禁止しようとする民主党に対し,共和党は「政府は医療に介入するな」と厳しく反発していたのである。

 そんなところに,タスクフォースが「乳癌検診の開始を遅らせ回数も減らす」とする新ガイドラインを作成したことに,共和党は,すぐさま,「大きな政府による医療の見本。政府の委員会が,個々人が決めるべき医療上の決定に介入するだけでなく,医療費を抑制するために配給制を実施しようとしている」とするキャンペーンを展開した。タスクフォースは科学的エビデンスのみに基づいて新ガイドラインを作成したに過ぎないのだが,共和党にとって,「科学」に基づいた論議をする気などさらさらなかった。政治的に利用して国民の怒りを煽ればそれでよかったのである。委員たちを任命したのはブッシュ政権だった事実も棚に上げて,民主党・オバマ政権を攻撃する材料として利用したのだった。

 一方,新ガイドラインが医療保険制度改革案攻撃の材料とされる事態に,民主党も新ガイドラインに対し距離を置く姿勢をとった。さらに,「新ガイドラインが保険会社のコスト抑制の道具にされる」とする国民の不安を静めるために,上院で審議中だった医療制度改革法案に「マンモグラフィへの保険給付を40歳以上で保証する」修正条項を付け加えた上,下院では「新ガイドラインを保険給付拒否の根拠としてはならない」とする決議案を426対0で可決したのだった。

 かくして,科学的エビデンスのみに基づいて作成されたガイドラインが,タイミングの悪さもあって政争の具に使われるという憂き目にあったのだが,新ガイドラインに対する対応は,乳癌患者団体の間でも両極端に分かれた。「全米乳癌連合(National Breast Cancer Coalition)」が新ガイドラインに対する積極的な支持を表明する一方で,ピンクリボンで有名な「スーザン・G・コーメン乳癌財団(Suzan G. Komen for The Cure,以下コーメン財団)」は,強く反対した。

 両団体の対応が正反対なものとなったことと関連して,ウォールストリートジャーナル紙は,コーメン財団が,マンモグラフィ関連機器を製造する企業から巨額の資金援助を受けていた事実を指摘した。マンモグラフィは「年商」40億ドルの巨大ビジネスとなっている現実があるだけに,医療機器メーカーが新ガイドライン潰しに躍起となったとしても不思議はないのである。

スクリーニングの「利益」と「害」

 以上が,乳癌検診新ガイドラインをめぐる騒動の概要であるが,2009年は,前立腺癌,子宮頸癌についても,スクリーニング・プロトコルの見直しが議論となった。

 まず,前立腺癌だが,PSAによるスクリーニングについては,いまだに死亡率を減らすという確かなエビデンスは存在しない。そんなところに,3月,米国および欧州での大規模スタディ結果が2件報告されたのであるが,米国からの報告(註1)が「死亡する一方で率減少効果を認めなかった」とする一方で,ヨーロッパからの報告(註2)は「死亡率減少効果は約2割とmodestであったのに対し,過剰診断・過剰治療の頻度は高かった」とするものだった。前立腺癌死亡を1人減らす効果を得るために,1480人をスクリーニングし,48人を治療しなければならなかったのである。

 「御利益は限られている一方,スクリーニングをすることでもたらされる『害』も看過し得ない」というジレンマが明らかになったという意味では,乳癌におけるマンモグラフィと非常に酷似しているのだが,このジレンマを反映して,学術団体による対応も一致していない。米泌尿器学会がPSAによるスクリーニングに積極的意義を認めているのに対して,米家庭医学会はその意義を疑問視しているのである。

 また,タスクフォースが乳癌の新ガイドラインを発表した直後,米産婦人科学会が,PAPスメアのガイドライン改訂を行った。これまで「性的にアクティブになってから3年以内,少なくとも21歳までに始める」としていた開始年齢を「21歳から」と改め,さらに,検査頻度についてもこれまでより少なくてよいとしたのだった。改訂の理由は,例えば,若年者に生検をした場合,子宮頸部の損傷が妊娠時の合併症の原因となるなど,やはり,スクリーニングをすることでもたらされる「害」を重視したことにあった(註3)。

 というわけで,2009年は,乳癌,前立腺癌,子宮頸癌と,三つの癌について,スクリーニングの「害」が強調される年となった。理論的には,癌(それも治療すべき癌だけ)を早期発見できればそれに越したことはないのだが,われわれに現在使用しうるスクリーニング法は,的中率も低いし,害も無視できないものばかりである。「百発百中」の完璧なスクリーニング法を持ち合わせていない以上,個々の方法について「利益」と「害」を秤にかけながら,ベストのやり方を探る以外に道はないようである。

この項おわり

註1:Andriole GL, et al. Mortality results from a randomized prostate-cancer screening trial. N Engl J Med. 2009 ; 360(17): 1310-9.
註2:Schröder FH, et al. Screening and prostate-cancer mortality in a randomized European study. N Engl J Med. 2009 ; 360(13): 1320-8.
註3:ACOG Commitee on Practice Bulletins-Gyecology. ACOG Practice Bulletin No.109 : Cervical cytology screening. Obstet Gynecol. 2009 ; 114(6): 1409-20.

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