タイガー・ウッズの「セックス中毒」と米国精神医学会新マニュアル(李 啓充)
連載
2010.03.29
〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第171回
タイガー・ウッズの「セックス中毒」と米国精神医学会新マニュアル
李 啓充 医師/作家(在ボストン)(2871号よりつづく)
昨年11月末以来,米国では,ゴルフ界のスーパースター,タイガー・ウッズの「セックス・スキャンダル」がメディアの注目を集めてきた。
ご存じのように,スキャンダルの始まりは,ウッズが11月27日未明に起こしたミステリアスな交通事故。事故の経緯がつまびらかにされないまま夫婦間の不和をめぐる噂が先行したのだが,やがて,次から次へと「愛人」がメディアに登場。ウッズはクリーン・イメージで売ってきただけに,大騒動となったのだった。
年が変わった1月半ば,ウッズがミシシッピ州のジェントル・パス・クリニックに入所し,「セックス中毒」の治療を受けていることが判明。スーパースターのセックス・スキャンダルは,医学界をも巻き込んだ論争へと発展した。
しかし,ウッズが起こした論争,決して目新しいものではなかった。ここ数年,米国では,スキャンダルの主となったスターがセックス中毒の治療を受けることが「流行」,誰かがセックス中毒治療施設に入所したと伝えられるたびに,「『セックス中毒』という病気は本当に存在するのか? 病気のせいにすることで,スターたちが不品行の責任を逃れる免罪符代わりに使っているのではないか?」とする議論が蒸し返されているからである。
セックス中毒は「疾患」か
そもそも,「セックス中毒」という病名が一般に流布するようになったきっかけは,1983年にパトリック・カーンズが著した『Out of the Shadows: Understanding Sexual Addiction』がベストセラーとなったことにあった。多数の異性と見境なく性交渉を持ったり,一日中マスターべーションを繰り返したり,インターネットでポルノを見るのがやめられなくて仕事に行けなかったりと,「病的」に過剰な性活動故に,日常生活や社会活動に支障を来す人々の存在は古くから経験的に知られてきた。カーンズはこれを「過剰な性活動は,中毒=病気としてとらえるべき」としたのである。さらに,カーンズは,薬剤・アルコール中毒に倣ってセックス中毒治療のプロトコルを開発したが,今回,ウッズが入所したジェントル・パス・クリニックはカーンズが創設した治療施設であった。
しかし,セックス中毒が米国の医療界で正式に「疾患」として認知されているかというとそんなことはなく,例えば,精神科診療における「バイブル」的存在である米国精神医学会『DSM-IV-TR 精神疾患の診断・統計マニュアル 第4版』(以下,DSM-IV)でも病名として認知されていない。DSM-IVに準拠して強いて病名をつけようとすれば,「性障害・その他」という,「ウェイスト・バスケット(ごみ箱)」に分類する以外になかったのである。
しかも,ただ疾患として正式に認知されていないだけでなく,「過剰な性活動は強迫神経症(obsessive compulsive disorders,以下OCD)の一病型としてとらえるべきであって,中毒あるいは依存症としてとらえるべきではない」と,セックス「中毒」の存在そのものを否定する意見も根強く存在する。
「中毒」派が,有名な「12ステップ」(註1)のような行動療法・心理療法を重視するのに対して,「OCD」派は薬物療法を重視するなど,治療法に対する考え方も大きく違うのだが,さらに「科学的根拠もないままセックス中毒治療をビジネスとして展開している」ことに対する反感も強いのである。
DSMが提唱した新たな診断名と問診票
と,ウッズの「セックス中毒」をめぐる議論が喧しくなっていた最中の2月9日,2013年発行予定のDSM第5版(DSM-V)の草稿が公表(註2)され,「セックス中毒が,またまた診断名として認知されなかった」ことが話題になった。
しかし,「セックス中毒」という名称は使われなかったものの,新たな診断名「過剰セックス障害(hypersexual disorders)」が提唱され,性活動過剰で苦しむ患者に対する治療の必要性が正式に認知されることになった。DSM-Vの草稿では,過剰セックス障害の病理モデルとして,(1)性欲求・衝動抑制障害,(2)中毒,(3)強迫症の三論を並記,「中立」の立場を貫いている。臨床研究のデータが乏しい現状を指摘,今後の研究を進展させ,病態に対する理解を深める出発点とすることを強調しているのである。
さらに,病名に「過剰」とついているからには「どこから先が過剰か?」という疑問が出てくるのは避け得ないが,これについてDSM-Vの草稿は,性活動の程度を点数化する問診票(見本)を収載している。
しかし,「どこからが過剰か?」という問いに対しては病状を点数化することで答えを出すことができるかもしれないが,「どこまでがモラルの問題(=本人の責任)で,どこからが病気なのか」という問いに対しては,いつまでたっても簡単に答えを出すことはできないのではないだろうか。
(つづく)
註1:アルコール依存症で作成されたのが最初であるが,薬物依存症など,他の依存症治療にも応用されている。「神」についての言及が頻回に登場,宗教色の濃い内容となっている。
註2:http://www.dsm5.org/Pages/Default.aspx
草稿が公表されたのは,最終稿完成前に,広く一般からの意見を公募するためだった。
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