医学界新聞

連載

2009.06.08

連載
臨床医学航海術

第41回

  医学生へのアドバイス(25)

田中和豊(済生会福岡総合病院臨床教育部部長)


前回よりつづく

 臨床医学は大きな海に例えることができる。その海を航海することは至難の業である。吹きすさぶ嵐,荒れ狂う波,轟く雷……その航路は決して穏やかではない。そしてさらに現在この大海原には大きな変革が起こっている。この連載では,現在この大海原に起こっている変革を解説し,それに対して医学生や研修医はどのような準備をすれば,より安全に臨床医学の大海を航海できるのかを示したい。


 前回までに「夜泣き」という「現象」については,医学書にほとんど記載がなく育児書という一般書に記載があるということを述べた。今回は育児に関連して,以前勤務していた病院での出来事を紹介する。

人間としての基礎的技能
(1)読解力――読む
(2)記述力――書く
(3)視覚認識力――みる
(4)聴覚理解力――聞く
(5)言語発表力――話す,プレゼンテーション力
(6)論理的思考能力――考える
(7)英語力
(8)体力
(9)芸術的感性――感じる
(10)コンピュータ力
(11)生活力
(12)心

視覚認識力-みる(8)

小児相談
 救急当直で夜間働いていると,その病院に小児相談の電話がかかってきた。初めからその電話が小児相談とわかっていれば,看護師にその電話を回せる。しかし,自分が他の医師をポケベルで呼んで,かかってきた電話が自分が呼んだ医師からの電話だと思って電話をとると,なんとそれは小児相談の電話であったりすることが以前あった。この小児相談の電話をたまたま自分が取ってしまうと,近くに看護師さんがいて電話を代わってくれればよいのだが,いなければいったん自分が電話をとったら最後,自分がその電話に答えなければならなかった!

 小児相談の電話でお母さんが尋ねてくる質問は,実にたわいのないことであるが,お母さんはいったん電話が医療者につながると自分が納得するまでは絶対に電話を切ろうとしなかった。したがって,一回電話をとると短くとも30分間,長いときには1時間以上電話応対しなければならなかった。

 その小児相談の内容には,もちろん赤ちゃんの発熱や嘔吐・下痢などの医学的な質問もあったが,中には育児相談とも思われるような内容も少なくなかった。

 「赤ちゃんの顔が赤いんですけど,どうしたらいいんですか?……」
 「赤ちゃんが泣きやまないんですけど,どうしたらよいのですか?……」

 当時独身で育児経験がなかった筆者は,このような育児相談ともいえる電話をわざわざ病院にかけてくるお母さんの心情など理解できなかったし,理解しようとも思わなかった。そんなことは目の前で生命の危機に曝されている患者の多い救急医療の現場ではどうでもよかったし,そんなことを考える余裕も一切なかった。そして,自分はそのような小児相談のお母さんの心情など理解しないどころか,逆に「赤ちゃんは顔が赤いから赤ちゃんというのではないか?」と同僚とその小児相談の内容を笑いのネタにさえもしていたのだった。

 周知の通り救急室の夜間は一番忙しい時間帯である。そんなときに救急当直の中心である自分が電話対応で診療できなくなると,その時間救急診療は一切止まってしまう。救急車の電話が鳴っても自分でとることができない。自分が小児相談の電話を受けている間に救急車は何人も患者を運んでくる。そして,救急車を受け入れても自分が小児相談の電話対応をしていたら直接患者を診にいくこともできない。救急当直には研修医もいるが,当の研修医は救急車で搬入された患者に点滴も入れられずにノホホンとしている。外来の診療待ちの患者のカルテは着実にたまっていく。小児相談に答えながら,遅々として診療が進まない状態にいらだってくる。だから,小児相談はどこかで冷たく電話を切らなければならなかったのである。

 それから何年か経って自分が「夜泣き」という育児を体験して,昔の救急室での小児相談の電話をふと思い浮かべた。あのときの小児相談のお母さんは,実は真剣に助けを求めていたのではなかったのだろうか……,と。

 あのときのお母さんは,きっと育児が初めてで近くに自分の母親もおらず相談相手もいなかったに違いない。夫は仕事で帰りが遅く頼りにならない。かといって,大都会では近所づきあいは密ではなく,育児の相談などする人もいない。昔ならば,近所の気のいいおばさんが育児について教えてくれたり,育児を一時的にボランティアで代わってくれたりする人がいたであろう。しかし,それも現在の大都会では期待できるはずもない。インターネットが普及した現在では,インターネットで育児の悩みを検索するということも可能であろう。しかし,インターネットがまだ普及していなかった当時,そのお母さんは実は一人困り果てて悩んだ揚げ句に病院に電話をかけてきたのではなかったのだろうか……,と。

 そんなひとり悩んで困っていたお母さんを自分は笑いのネタにしていたのかと思うと背筋が凍った。夜泣きする自分の子どもを抱っこしてあやしながら,自分の子どもが夜泣きするのはもしかしてあのとき自分が嘲笑った小児相談のお母さんの「怨念」のためなのかもしれないとも思った。

 「夜泣き」という「現象」に対処してみて,自分は「病因」がすでにわかっている「病気」には対処できるが,「原因」がわからない「現象」についてはどうすることもできないということがわかった。このことは言い換えると,自分は知らず知らずのうちに「医師」としてしか人を「診る」ということができなくなっていたということであった。そして,その自分にできなかったこととは,「原因」がわかるかわからないかは別として,ある「現象」にとりあえず対処するということであった。

 つまり,私ができなかったのは「診る」ということではなく,「看る」ということであったのである。そして,その「看る」ということとは,すなわち「看護」であった……

次回につづく

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