医学界新聞

連載

2008.09.15

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第135回

「ロレンツォのオイル」
その後(2)

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2795号よりつづく

前回のあらすじ:副腎白質ジストロフィー(ALD)と診断された息子ロレンツォの命を救わんと,両親は治療薬「ロレンツォのオイル」を開発した。


 映画「ロレンツォのオイル」を見て私がいちばん感銘を受けたのは,わずか28か月で治療薬を開発してしまった両親の熱意の凄まじさである。私自身,研究の「難しさ」はいやというほど体験してきただけに,研究を思い立ってからわずか28か月の間に治療薬を実用化した「スピード」には感嘆せざるを得なかったのである。

 両親にしてみれば「一刻も早く治療薬を開発しなければ子どもが死んでしまう」のだから,研究が時間との争いになったのは当然だったが,「科学に性急さは禁物」と,映画の中で両親の熱意に水をさす「権威」ニコライス教授のモデルとなったのが,ジョンズ・ホプキンス大学教授,ヒューゴー・モーザーだった。「悪役だから実名を使えなかった」とはモーザー自身の弁であるが,映画で「悪役」と描かれたことには「大きく傷ついた」し,ロレンツォの両親との関係が一時悪化したのも事実だった。

「悪役」教授が始めた臨床試験

 しかし,映画で悪役をあてがわれたこととは裏腹に,ロレンツォのオイルに治療効果がないことを示すデータが集積,両親が「いかさま師扱い」を受けるようになった時期,最大の支持者として味方になったのがモーザーだった。ロレンツォのオイルが,ALDの代謝異常の元凶とされる極長鎖脂肪酸(VLCFA)の血中値を正常化する事実は科学者として無視できなかったし,発症してしまった患者を治療することはできないにしても,発症前に投与を始めれば発症を防ぐことができる可能性があったからである。

 発症予防の効果を証明するためには,大がかりな臨床試験を実施する必要があったが,ロレンツォの両親の協力もとりつけた上で,モーザーが発症予防効果に関する研究を開始したのは1989年のことだった。もっとも,疾患の悲惨さと「オイルによる食餌療法」という治療法の実際を考えたとき,プラセボなどを用いる「コントロール群」を設けることは適切とはいえなかった。血中VLCFAが高値であることが確認された小児全例(89例)にロレンツォのオイルを投与した上で,ALDが発症するかどうかを長期(平均6.9年)にわたってフォローしたのだった。映画の中で,「急がなければ子どもが死んでしまうのに,あなたはなぜ協力しようとしないのか」とロレンツォの両親から責められたニコライス教授が「私は,いまいるALDのすべての患者だけでなく,(これから発症する)未来の全患者に対しても責任を負っているのだ」と反論するシーンがあるが,モーザーは,まるで映画のせりふを地でいくかのように,未来の全患者を救うための研究にとりかかったのだった。

研究者としての厳正な態度を最期まで貫く

 ロレンツォのオイルにALD発症予防効果があることを証明する論文が発表されたのは,臨床試験が開始されてから16年が経った2005年のことだったが,被験者89例のうち,MRI上の異常を来した症例は24%,さらにMRIおよび神経学的異常を来した症例はわずか11%にしか過ぎなかった(註1)。ロレンツォの両親が研究開始後わずか28か月で治療薬開発にこぎつけたスピードに比べれば遅々とした歩みであったが,科学的事実を積み重ねる過程に時間がかかるのは,臨床医学の領域では避け得ないことだった。ロレンツォの母親ミケラは16年に及んだ研究の最終結果を見ることなく2000年に亡くなっていたが,論文のラスト・オーサーとなったのは,父親のオーギュストだった。

 ALD研究をライフワークとしてきたモーザーにとって,次なる課題は,「簡易スクリーニング法」の開発だった。ロレンツォのオイルに予防効果があることが分かった以上,代謝異常の存在を早期にスクリーニングすることができさえすれば,ALDの発症を未然に防ぐことが可能になるはずだった(註2)。

 モーザーが簡易スクリーニング法開発に「成功」したのは2006年のことだった。しかし,自分が開発した方法が臨床的に有効であるかどうか,さらには,マス・スクリーニングの方法として適切であるかどうかについては,きちんと科学的な手順を踏んだスタディで確認する必要があった。ロレンツォの両親が「子供の命を救うためには悠長なことなどしていられない」と大急ぎでことを進めようとしたときには,その性急さを戒めたモーザーだったが,やがて,自らが開発したスクリーニング法の有効性をめぐって,科学的手順を踏むことの「悠長さ」に自分自身がいら立ちを覚えることになるなど,夢にも思っていなかっただろう。

 モーザーの研究グループは,スクリーニング法の有効性を確認するために,どの検体が患者に由来するものかを知らされないまま測定を続けたのだが,スタディが大詰めを迎えた時期,モーザーは末期膵臓癌と闘っていたのである。「死ぬ前に結果が知りたい」と念じ続けたものの,2007年1月,モーザーは,結果を見ることなく世を去ったのだった。

 亡くなる直前,モーザーは,ワシントン・ポスト紙のインタビューに対し,「もし,自分の子どもがALDで医師からコントロールド・スタディの説明を受けたとしたら,『ふざけるんじゃない』と罵っていたろう」と語っている。病気を治したいという思いはいっしょでも,「自分の子どもを救いたい一心」の親と,「現在そして未来の全患者に責任を持つ」研究者とでは,その立場が大きく異なることを厳しく認識していたのである。

この項おわり

註1:Arch Neurol. 62巻1073-1080頁.
註2:このストラテジーの有効性は,すでにフェニルケトン尿症等で実証済みである。

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