医学界新聞

連載

2008.05.19



アメリカの医療やアカデミズムの現場を15年ぶりに再訪した筆者が,心のアンテナにひっかかる“ねじれ”や“重なり”から考察をめぐらせていきます。

ロスする

〔第7話〕
右も左もわからない人たち


宮地尚子=文・写真
一橋大学大学院教授・精神科医
ケンブリッジ・ヘルス・アライアンス客員研究員


前回

 私は右と左がわからない。とっさに「右を向いて」と言われてもどちらを向けばいいかわからないし,エスカレーターで立つときも,他の人が立っていないと右側に立てばいいのか左側に立てばいいのか,迷ってしまう。まあエスカレーターについては関西と関東で違うので,7年前に大阪から東京に移った私がいまだに混乱していてもおかしくないのかもしれない(7年もたつのだから,おかしいか……)。中学のとき,「右手を挙げて」と先生に言われ,一人だけ左手を挙げてしまい,みんなに笑われた記憶は今も鮮やかである。

 このことはホームページにも書いているので,ここで話題にするつもりはなかったのだが,最近友人から紹介されたインターネットの面白い映像を見て,利き手や脳の左右差についての関心が甦ってしまった。そもそも本連載のタイトルの「クロス」という言葉も,私の右と左がわからないという話を,編集者としていたところから来ている。

美しく幸福な「右脳の世界」

 映像は,ハーバードで研究をしていた脳科学者ジル・ボルテ・テイラーが,自分の左脳の脳出血の体験について講演しているものだ(http://www.thoughtware.tv/videos/show/1613)。

 ある朝,彼女は頭痛に襲われ,それから徐々に発話や身体の動き,思考が支障を来たしていくのに気づく。「あら,大変。何とかしなきゃ!」と思いながら,同時に「脳科学者が脳出血を内側から経験できるなんて,なんてクールなの!」と観察にいそしんだりもする。そして合間あいまに,左脳からのそういった「おしゃべり」や「指示」が消える時間を彼女は味わう。自分という身体の輪郭が消え,今ここに,ただエネルギーとして存在し,世界と一体となっている喜びを感じる。

 彼女は何とか友人に電話をし,病院に運ばれ,手術を受けて一命を取り留め,8年かかって完全に回復する。けれども,脳出血の際に垣間見た右脳の世界,美しく幸福な「涅槃の世界」をとても大切に思う。そして人々が左脳から離れて右脳の世界を感じることを選ぶようになれば,もっと世界は素晴らしい場所になるのではないかと力説する。

 彼女が言うには,右脳はパラレル・プロセッサーで,今ここにある存在感をイメージや身体の五感として受け取り,エネルギー的存在として人々とつながり合い,一体となったものとして世界を感じるという。一方,左脳はシリアル・プロセッサーで,今受け取っている情報の詳細を,過去の情報と照合させ,将来の可能性に結びつけて分類し,そして現在すべきことを判断・指示していくという。また,左脳では,他者と隔たりを持ったクリアな輪郭のある個人として自分を感じるという。

 プリンストン大学の心理学教授だったジュリアン・ジェインズが書いた『神々の沈黙――意識の誕生と文明の興亡』(紀伊國屋書店)の,「二分心」の議論を思い起こさせる。三千年以上前の人類は,意識も「私」という概念も持たず,右脳で行われる非言語活動を,左脳が神々の声として聞き,それに従って行動していたという主張だ。どちらも,一時期日本でも流行った「右脳革命」のようでもある。ハーバードの脳科学者とかプリンストンの心...

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