医学界新聞

連載

2008.04.07



連載
臨床医学航海術

第27回

  医学生へのアドバイス(11)

田中和豊(済生会福岡総合病院臨床教育部部長)


前回よりつづく

 臨床医学は大きな海に例えることができる。その海を航海することは至難の業である。吹きすさぶ嵐,荒れ狂う波,轟く雷……その航路は決して穏やかではない。そしてさらに現在この大海原には大きな変革が起こっている。この連載では,現在この大海原に起こっている変革を解説し,それに対して医学生や研修医はどのような準備をすれば,より安全に臨床医学の大海を航海できるのかを示したい。


 前回まで「読解力 読む」ことについて述べた。前回までで,読解力とは精読・速読・辞書的読解を目的に応じて自由自在に組み合わせて最大の知識を獲得する能力であるということがわかった。だから,精読しかできない人は読解力があるとは言えないのである。今回からは人間としての基礎的技能の2番目である「記述力 書く」ことについて述べる。読むこともできないのであるから,当然書くこともできないはずである。

人間としての基礎的技能
(1)読解力-読む
(2)記述力-書く
(3)聴覚理解力-聞く
(4)言語発表力-話す,プレゼンテーション力
(5)論理的思考能力-考える
(6)英語力
(7)体力
(8)芸術的感性-感じる
(9)コンピュータ力
(10)生活力
(11)心

記述力-書く(1)

 臨床医学の現場では病歴などに診断・治療過程の思考内容などを言語で記述することが求められる。ここで重要になるのが記述力である。病歴は単に事実を記載するだけではなくて,その診断や治療に至った理由などを客観的に簡潔に記載することが求められる。患者の病歴を鑑別診断を考えて記載する,どのような鑑別診断を考えてどのような検査計画を立てたのか,病歴と検査データからどのような診断をしてどのような重症度と判定したのか,そして,どのような理由でどのような治療をしたのか,などを簡潔にかつ必要十分に記載しなければならない。このように一般に病歴記述では科学的な論述能力が要求される。しかし,一方で精神科患者の心の病歴などを記載するには小説のような文学的な作文能力も要求されるのである。

文字
 まず記述力で大前提となっているのが文字である。文字についてであるが,まず漢字が読めるであろうか? これは正確に言えば読解力であるが,記述力の大前提である。

 以前にも記載したが,罹患(リカン)をラカン,増悪(ゾウアク)をゾウオ(憎悪:憎むこと)と読み間違えることなどは日常茶飯事である。ちなみに「日常茶飯事」は,「ニチジョウサハンジ(チャハンジではない!)」と読む。こんなに漢字が読めないとほとんどすべての漢字に振り仮名が必要になってしまう。あるテレビ局の新人アナウンサーが「旧中山道(キュウナカセンドウ)」を「イチニチジュウヤマミチ」と読んだのは有名な話。

 次に,文字の書き取り。漢字が書けない!

 

研修医:「あの漢字どう書きましたっけ?」
指導医:「そんな漢字も書けないのか! そんなのコンピュータのワープロ使って調べろ!」

 

 もっともそういう自分も書けないのだが……。ワープロが便利になって手書きすることが少なくなり,漢字の書き取りができなくなって困っている人は多いはず。

 ワープロでの記載は,手書きよりも読みやすさの点で非常によくなったが,同時にワープロの漢字の変換間違いが多くなった。「消化器」と「消火器」,「末梢」と「抹消」などの誤字は医学書を読んでいても見かけることがある。これと同時にワープロの記載が浸透して,漢字の書き順などもメチャクチャになったような気がする。

 次に人の姓名のつづりにはいろいろあるのを知っているだろうか? 医者の仕事をしていると職業柄いろいろな人の姓名に触れる。ワタナベさんには,「渡辺,渡邉,渡部,渡邊」などのつづりがある。アベさんには,「安部,阿部,安倍,安陪,阿倍」などのつづりがある。皆さんの知っている「ワタナベ」さんや「アベ」さんは一体どの漢字であろうか? 正確に思い出せる人はほとんどいないはずである。

 萩原(ハギワラ)さんと荻原(オギワラ)さん。「ハギワラさん」と呼ばれている「荻原さん」や「オギワラさん」と呼ばれている「萩原さん」は多い。昔知っている「萩原(ハギワラ)さん」にある時「荻原(オギワラ)って間違えて呼ばれることない?」と尋ねたことがある。そうすると,「そんなのいっぱいあって,いちいち訂正するのがいやになりました」と言われたことがあった。萩原さんや荻原さんにはそういう他の人にはわからない特別な事情があるようである。もしかしたら,彼らの心のトラウマになっているかもしれない。だから,われわれの近くにいる萩原さんや荻原さんが,間違って「オギワラさん」とか「ハギワラさん」と呼ばれてもそれを本人がわざわざ訂正しないのは,決してそれはその間違った名前を本人が認めているのではなくて,ご本人がいちいち訂正するのがいやになってしまっているかもしれないという事実をわれわれは厳粛に受け止めるべきである。

 したがって,今度から間違って名前を呼ばれている「萩原さん」や「荻原さん」に会ったら,余計なお世話かもしれないが,われわれはご本人に代わって間違って呼ばれた名前を訂正してあげなければいけないのかもしれない。

 

(横から静かに立ち寄って)「大変お忙しいところ誠に申し訳ございませんが,今『オギワラさん』と呼ばれたこの方,実は『萩原(ハギワラ)さん』なのですが……」

 

 姓名の漢字が難しいことのついでに,診断書特に死亡診断書の姓名は戸籍と同じつづりでないといけないので十二分に注意が必要である。診断書の姓名の記載を間違えると後から訂正させられる。書く前に必ずご本人あるいはご家族に確認しよう。

 漢字の読み書きの学習はてっきり高校生までと思っていたが,これだけ難しい漢字の読み書きの勉強はどうやら一生必要なようである。「漢字検定でも受けてみようか……」と思う今日この頃である。

次回につづく

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