エビデンスに基づく母乳育児を支援しよう(井村真澄)
母と子にやさしい,社会にやさしい,環境にもやさしい
寄稿
2007.12.17
【特集】
母と子にやさしい,社会にやさしい,環境にもやさしいエビデンスに基づく母乳育児を支援しよう
井村真澄氏(国際医療福祉大大学院教授)
核家族化,少子化がいわれるようになって久しい。かつては自然に受け継がれてきた母乳による子育ては,特別なものとなってしまった。母乳育児に関するさまざまな情報が混在するなかで,正確な情報にアクセスする機会もなく,母乳育児を途中であきらめてしまう女性も多い。このようななか,エビデンスに基づいた母乳育児支援の専門家である国際認定ラクテーション・コンサルタント(IBCLC)が主な会員となって組織されている,日本ラクテーション・コンサルタント協会(JALC)の編集により『母乳育児支援スタンダード』が発行された。
本紙では,執筆者のひとりで,母性看護の第一人者である井村真澄氏(国際医療福祉大)にエビデンスに基づく母乳育児支援の方法について,お話を伺った。また,こちらではJALC主催の医療者を対象としたセミナーのもようを紹介する。
母乳育児のメリット
井村 ヒトの母乳はヒトという種に特異的で,すべての母乳代用品は母乳と異なっており,乳児の食物として唯一無比にすぐれたものである――つまり,ヒトという生物種には,その種のお母さんの母乳を飲ませることが,子を育てるには最適なのです。ところが,哺乳類のなかでヒトだけがほかの生き物の乳餌をもらうという知恵を発見し,それを利用する術を身につけました。それが牛乳を原料として作られた人工乳で,現在,世界中で簡単に入手できるわけですが,しかし,同じ種の母乳が最適であるという大前提は忘れてはなりません。
母乳育児のメリットですが,まず赤ちゃんへのメリットとしてはさまざまな感染症,疾患にかかるリスクが小さい。逆にいうと,人工乳を飲んでいる場合には,そのリスクは高まると言い換えることができます。感染予防以外にも,母乳には赤ちゃんの成長・発達を促すさまざまな物質を含んでいることが確認されています。また五感を通じ親と子のきずなを深め,発達によい影響を与えることもわかっています。
お母さんにとっては,出生直後にどんどん乳房を吸われることにより,「愛情ホルモン」ともいわれるオキシトシンの分泌が促進されます。オキシトシンは子宮収縮を促して産後出血を予防し,さらにストレスへの反応を抑制しますから,精神が安定するメリットがあります。また,長期的には骨粗鬆症,卵巣がん,閉経後の乳がんの発症リスクが低減するとされています。
そして社会におけるメリットとしては,母子ともに疾患が減少しますから,医療費の抑制につながります。またお母さんが子どもの病気のために欠勤することが減るので,雇用主にもメリットがあるでしょう。また,母乳の場合は,二酸化炭素や生活排水,廃棄物を出さないのでエコロジカルだということができます。さらに,自然災害が多いわが国においては,ライフラインが断たれ,衛生的な哺乳瓶やゴムの乳首を確保できない被災地でも,即座に赤ちゃんに母乳を飲ませることはできますから,リスクマネジメントの視点からも見直されています。
母乳育児をめぐる問題点
(1)看護の教育現場の現状――助産師は,母乳育児支援の技術を,いつどのように身につけていらっしゃるのでしょうか。
井村 看護の卒前教育においては母性看護学またはリプロダクティブヘルス看護学の中に母乳育児が含まれていますが,その教育内容は学校によりかなりばらつきがありまして,母乳についてほとんど触れない学校もあれば,しっかりとそのメリットや具体的な援助方法について触れる学校もある,という状況ではないでしょうか。
採用している教科書の内容も,ようやく少しずつ置き換わり始めていますが,最新のエビデンスに基づかない古い記述をしているものも見られます。各専門科目間,たとえば母性・リプロ看護学,小児看護学,地域看護学においても統一された母乳育児支援の方法を提示しているとは言いがたいというのが日本の現状ではないでしょうか。
また,専門学校や大学の助産師課程,大学院修士課程における助産師教育では,まず分娩やその介助に焦点が当てられますので,母乳にかける時間数はそれほど多くはないのが現状です。『母乳育児支援スタンダード』のような,標準化された内容を教えている学校も少しずつ増えていますが,多くは,いままで長く日本で培われてきた考え方やさまざまな方法などをベースに教えているのではないかと思います。
このように教育現場自体が,まだまだ数十年前の知識から置き換わっていないという現状があります。
――保健医療従事者からの矛盾する不正確な情報や技術不足により,お母さんに混乱が生じることがあるとも聞きます。母乳育児支援の方式の違いも影響していますか。
井村 学校教育において効果的で標準的な母乳育児支援を学習することがないままに卒業する学生さんたちは,助産師になってからさまざまなリソースで母乳育児支援について学ぶことになります。手探りで苦労している助産師も多いようですし,いろいろな方式が日本にあることによる混乱も多少はあるでしょうね。医療者が良質な研究に基づいたエビデンスを十分に理解したうえで,お母さんたちの気持ちや意思を確認し,専門家としての判断・支援を行うことでお母さんの混乱が減り,母乳育児全体の水準が向上するのではないでしょうか。
(2)日本の産科施設における問題
井村 産後/生後早期のお母さんが母乳育児を上手にできない原因として,支援方式の違いを超えた根本的な問題があります。それは人工乳育児をベースにした授乳の仕方や,産科システムそのものにあるのです。
お母さんたちは妊娠中には,母乳のことも一生懸命考えていらっしゃいますが,出産が迫るにつれ,お産そのもののことで頭がいっぱいになる方が多いのです。「鼻からスイカが出てくる感じってどんなかしら?」って(笑)。
そして産後は受け身になり,ある程度,医療者にゆだねてしまう状況になりやすいのです。
多くの場合,お母さんは分娩室で産後の処置を受け,赤ちゃんは「きれいにしましょう。体重を測りますね」と新生児室に連れていかれて母子分離が行われる。そして「お母さん,どうぞ休んでくださいね」と言われてそのまま母子別室になり,新生児室に赤ちゃんを預けた状態のまま,お母さんは褥室で過ごすことになる。これはもちろん医療者の(知識の欠落した)善意で,自分たちは母乳育児を援助していると思って行っている。でも母子を離しておいて「授乳時間だから,はい,どうぞ授乳してください」ということ自体が問題なのです。
ここが重要なポイントです。もちろん理想的にはお母さんたちが主体的に母乳育児を行おうと思ってくださることが好ましいのですが,仮に百歩譲ってお母さんが受け身であったとしても,自然に母乳育児ができる環境が十分整った医療機関であれば,無意識のままにそのルートに乗ったとしても,おそらく新米ママたちはうまく母乳に入っていけると思います。医療機関のシステムや,そこにかかわる医療者がもっている具体的な知識や技術,病棟手順の質が,母乳育児の成否を分ける重要なファクターとなっているのです。
母乳育児を支援するJALCの理念,活動
――エビデンスに基づいた母乳育児を支援するJALC(Jap...
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