医学界新聞

連載

2007.06.11

 

連載
臨床医学航海術

第17回   医学生へのアドバイス(1)

田中和豊(済生会福岡総合病院臨床教育部部長)


前回よりつづく

 前回までに,現在起こっている歴史上の大きな変革である9つの現代医療のパラダイム・シフト,それを乗り越えるために現代に生きる私たちに求められる4つの意識改革,そして,現在の日本の医学教育の5つの問題点について述べた。

 今回からは,歴史上の大きな変革であるパラダイム・シフトが起こっている現代医療の荒海にいずれ航海に出るであろう医学生に対して,問題点の多い日本の医学教育事情を考慮して,いくつかの実際的なアドバイスをしたい。この実際的なアドバイスで,医学生が医学部卒業・国家試験合格と臨床研修の間の大きなギャップを少しでも埋めることができるようになり,より安全に臨床医学の荒海を航海することが可能となることを筆者は期待する。

知の基盤

 実際に医学生に対して具体的なアドバイスをする前に,2007年2月8日の日本経済新聞朝刊の「ニッポンの教育 第2部『学び』とは何か(1) かすむ志乏しい意欲 忘れられた『知の基盤』」という記事を紹介する。この記事によると,「医学部や司法試験などの“受験勝ち組”には大きく三点の気質の変化があるという。(1)試験に必要なことだけを予備校で要領よく学ぶ効率型学習の弊害,(2)公的な職業に就くという意識の乏しさ,(3)人生をどう生きるかといったビジョンを語れない。」ということである。そして,“受験勝ち組”はこの三点の中でも(1)が深刻で,試験に無関係な知識が驚くほど欠如していて,古代ギリシャにあったような「リベラル・アーツ」がみられないという。この「リベラル・アーツ」とは,「論理学や幾何,天文学などを重視した古代ギリシャが源で,実利より学びの面白さを尊び,論理的・科学的思考力の育成を目指してきたものである。この「リベラル・アーツ」が『知の基盤』となり,現代の科学技術文明の発達を支えてきた。」とのことである。

 この「リベラル・アーツ」は「教養科目」と訳されるが,この事態を一言で言うと「教養」がなくなっているということである。筆者は第9回医学教育(1)で基礎学力の低下を述べたが,基礎学力自体が低下しているのであるから,「教養」がなくなるのは当然のことかもしれない。そして,この「教養」を培うのがまぎれもなく学生時代のはずなのである。筆者は第6回意識改革(1)の「プロ精神を持つ」で,「現在では『学生時代=遊び』,『研修医時代=勉強』という図式は成り立たなくなっている」と述べた。しかし,筆者は何も「すべて遊ぶことが悪い」とか「遊ぶな!」とか言っているのではない。「遊び」は人生の中で非常に重要な意味がある。「遊び」があるから人は辛い勉強や労働が可能となる。だから,学生時代に大いに遊ぶのは重要なことである。しかし,ここで「学生時代=遊び」が問題というのはその「遊び」がまったく「教養」の育成へとつながっていないからである。「学生時代によく遊んだ」という人の中には,学生時代に何かに打ち込んで人間的に成長したわけでも教養があるわけでもなく,なんとほんとうに「遊んだ」だけの人がいるのである。そういう人には,「デカンショ()」を読み漁った世代やMahler交響曲第1番「巨人」をBruno Walter指揮のレコードで初めて聞いた感動をついこの前のことのように話す人などのように「文化の香り」が感じられない。現代の若い世代には,このような教養が「ファミコンのゲーム」,「マンガ」や「アニメ」にとって代わられてしまったのであろうか? もちろん,「ファミコンのゲーム」,「マンガ」や「アニメ」も一種の「文化」なのであるが……これははたして「教養」がなくなったというのか,それとも,「教養」の内容が変化したと捉えるべきなのだろうか?

教養という土壌

 いずれにしろ,「教養」とは樹木の生長に例えれば「土壌」にあたる。肥沃な「土壌」がなければそこに巨大な樹木は生育しないはずである。その意味で文化 cultureの語源が耕す cultivateという言葉と同じであるのは理解できる。人間を樹木に例えると,もちろん花・葉・枝・幹や根も大切であるが,その「土壌」自体も大切なのである。そして,その樹木が最終的にどれだけ生育するかを評価したいのであれば,その花・葉・枝・幹や根を見ることも大切であるが,その「土壌」が最も重要なのである。つまり,「教養」こそが人間の「真価」なのである。

 このことを考えると,試験,特に些細な知識を問うだけの単純なクイズは,単に樹木の枝葉を調べるようなものであると言える。もしも人間の真価である「教養」を調べようと思ったら,もっと他の方法でなければならない。それに関して,藤原正彦氏の『国家の品格』(新潮新書)にこういう話が出てくる。

 「ロンドン駐在の商社マンが,あるお得意さんの家に夕食に呼ばれた。そこでいきなり,こう訊かれたそうです。『縄文式土器と弥生式土器はどう違うんだ』唖然としていると,『元寇というのは二度あった。最初のと後のとでは,何がどう違ったんだ?』そう訊かれたそうです。その人が言うには,イギリス人には人を試すという陰険なところがあって,こういう質問に答えられないと,もう次から呼んでくれないそうです。『この人は文化の分からないつまらない人だ』となる。すると商談も進まなくなってしまうらしい。」と。

 要は,イギリス人はこういう質問によってその人の「教養」を試そうとしているのである。実際にこのような具体的な質問を突然外国人からされて,英語で答えられる日本人は数少ないと思う。このような陰険ともとれるぶしつけな質問を突然するイギリス人自身も,その質問に対する明確な答えが返ってくることを期待しているわけではなく,その質問を糸口に何か自分が知らない日本文化についておもしろく語ってくれることを期待しているのだろう。まさにイギリス人らしい人の試し方である。

 実際にこういう質問を突然英語でされて筆者もどれだけ答えられるかまったく自信がない。ちなみに前出の新聞記事で,以前は定番であった古典のはずだが司法研修生がほとんど読んでいない課題図書として,『ソクラテスの弁明』『武士道』『君主論』などが挙がっていた。筆者もそれらの課題図書を1冊も読んだことがなかった! とすると,この原稿を書いている筆者自身も「教養」がないということになる!?

現代医療のパラダイム・シフトの諸相
・基礎医学から臨床医学の時代へ
・疾患志向型から問題解決型の時代へ
・専門医から総合医の時代へ
・単純系から複雑系の時代へ
・確実性から不確実性の時代へ
・各国主義からGlobalizationの時代へ
・画一化からtailor-madeの時代へ
・医師中心から患者中心の時代へ
・教育者中心から学習者中心の時代へ

求められる4つの意識改革
・プロ精神を持つ
・フィールド・ワークを行う
・真理の追究目的から患者の幸福目的へ
・知識を知恵にする

医学教育の問題点
・基礎学力の低下
・ギャップの存在
・教育・学習方法
・評価方法
・人間関係

次回につづく

註)デカンショ:哲学者カルトとカントとショーペンハウエルの頭文字。この3人の哲学者の哲学書を読み漁った世代があったそうである。戦前の旧制高校時代の相当昔の話らしいので,筆者もよく知らない。

参考文献
藤原正彦:国家の品格(新潮新書,p41, 2005)

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