医学界新聞

書評

2024.06.11 医学界新聞(通常号):第3562号より

《評者》 札幌厚生病院病理診断科主任部長

 医師21年目である私の手元には,発生学の本がぜんぜんなかった。唯一持っていたのは,学生時代に購入した『ラングマン人体発生学 第7版 日本語版』(医学書院MYW,1999年3月発刊の第5刷)だけ。発生学の本なんてなくてもいいでしょ,現役医師なら一冊あれば十分でしょ,と,慰めてくださる方もいらっしゃるかもしれない。でも,少なくとも私は,臨床に暮らす日々でずっと不全感を抱いていた。

 「近年のトピックスとして中腎様腺癌が挙げられ……」

 「中腸由来の神経内分泌腫瘍は後腸由来のものとは異なり……」

 「膵臓のdivisumでは腹側膵と背側膵の癒合が……」

 「脊椎に発生した脊索腫が……」

 「母斑細胞は由来が神経堤なので免疫組織化学でS-100が陽性となり……」

 成人の体の中に「ない」構造の名前が出てくると,途端に硬直してしまう。脊索って脊髄と違うんだっけ(※違います)。神経堤って神経管と違うんだっけ(※違います)。

 発生学の試験前に詰めこんだ知識のほとんどはすっかり萎縮した。それは発生の過程の中で「役目を終えたから合目的的に退縮した」のとはわけが違う。本当は今も使える知識なのに,長いこと用いずにいたから廃用性に萎縮したのだ。

 無自覚だったわけではないし,危機感がなかったわけでもない。「どこかで一度,発生学をやり直さないといけない」という気持ちはずっとあった。たまには必要に駆られてググったりもした。でも,ふしぎなことに,発生学はググってもよくわからないのだ。基礎的な単語の意味や簡単なシェーマなどはすぐ見つかるのだけれど,それらを有機的に結んで「知恵」にする作用がオンラインではうまく働かない。

 だから私は本書に飛び付いた。「ミニマル」すなわち必要最低限の知識だけ書いてあるということか。謙虚だなあ。でもちょうどいいや。読み始めてしばらくして気付く。あれ,発生学でこんなに分子生物学的な知識を使ったっけ? 分子発生生物学だって?

 当たり前のことだが発生学もまたこの20年で進歩していた。今の学生が聞いたら笑うだろうけれど,おじさんはHedgehogファミリーもWntファミリーも発生学と組み合わせて学んだことはなかったのである。発生学の本で,腫瘍学で聞き慣れた遺伝子の話を踏まえて網羅できるというのはうれしい誤算だ。イラストは美しい。文面は「学生向け」と言いつつ決して簡単すぎないし媚びていない。ミニマル(最低限)というのはミニマム(最低の)という意味ではない。これくらいは最低限知ってないと,今の時代に医師をやっていけない,という意味。

 買って長く手元に置いておきたい本と,借りて済ませてしまえる本というのがある。一度目を通せば後は売り払ってもいい本というのもたくさんある。でも,発生学は手元に長く置いておけば何度でも活用することができる類いの学問だ。24年にわたってあちこちの本棚に連れ回した孤独なラングマンのとなりに,ついに新顔がやってきた。


《評者》 群星沖縄臨床研修センター長

 10年前にも本書の書評を書いた。本書を読んだ感想をまとめると,本書はシステム2的な分析的推論を行うための当時最強のツールであり,EBM実践のためのクイックなデータブックである,であった。臨床疫学の各論必携本と呼んでもよい。

 あれから10年,われわれジェネラリストが待っていた第2版がついに出た。待ちこがれていた理由は,医学は日進月歩で変化し発展するからだ。新たな疾患概念や病歴,身体所見,そして診断検査のデータを供給する論文が無数に出版されている。3万もの論文の中から新しくかつ重要な情報を追加してくれている。

 本書の改訂でさらに注目すべきは,上田剛士先生流クリニカルパールが随所に記載されていることである。総合内科と救急の現場で研修医や専攻医を直接指導するジェネラリストが日々直面し解決してきた臨床問題への最適解がパールとなって輝いている。加えて,重要論文の写真のサイトへ飛べるQRコード等も付いており,学習者を助けてくれている。

 疫学データも常に変化する。さまざまな症候の鑑別診断で挙げられる重要疾患の事前確率も変化する。最新の臨床疫学データを用いてEBMを実践したいと思う人々には,この改訂版を病棟,外来,自宅に置いておくことをおススメしたい。

 最近,診断エクセレンスへの関心が集まっている。患者の健康問題の診断を正確かつタイムリー,そして効率的に実践するプロセスのことだ。これを実現するために現場の医師に求められるのは,アートとサイエンスの卓越した実装である。つまり,患者さんに共感を持って医療面接と身体診察を実施し,臨床疫学データに基づく臨床...

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