医学界新聞

サイエンスイラストで「伝わる」科学

連載 大内田美沙紀

2024.02.19 週刊医学界新聞(通常号):第3554号より

 これまでサイエンスイラストレーションの用途を3つに分けたゾーンのうちの2つ,「パッと見でわかるゾーン」と「感性を刺激ゾーン」について紹介した。最後に,最も古典的で科学イラストの元祖である緻密で正確な「じっくり見てもらう(妥協を許さない)ゾーン」のイラストについて紹介したい。

 突然だが,恐竜はお好きだろうか? もし恐竜好きならご存じであろう,「恐竜博」と呼ばれる,恐竜の特別展(国立科学博物館主催)が2023年に4年ぶりに開催された。展示の主役はもちろん恐竜であるが,白亜紀の哺乳類について2021年に特筆すべき論文1)の発表があったため,パネルによってその哺乳類の復元画が展示された(図1)。

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図1 Filikomys primaevus(フィリコミス・プリマエブス)の復元イラスト

 哺乳類の名前はFilikomys primaevus (フィリコミス・プリマエブス)。見つかった化石から,シマリスのような大きさで地面に穴を掘って暮らしていたことがわかった。注目すべき点は,複数体がまとまって化石化していたことで,つまりは社会性を持っていたことを意味する。これまで,哺乳類が社会性を持ったのは恐竜の絶滅以降だと考えられていたため,恐竜がいた白亜紀に社会性を持つ哺乳類が生息していた証拠が見つかったのは大発見だった。

 筆者は図1の復元画の制作を米ワシントン大学の研究チームと行ったのだが,とにかく修正の繰り返しが多かったのを覚えている。フィリコミスが穴を掘る筋肉や骨格を持っていたことを示すため,肩,肘,手首などの関節の屈曲を正確に描く必要があった。数ミリ,数度の手足の長さや関節の角度の調整が何度も行われた(図2)。

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図2 フィリコミスのイラスト完成までの過程
修正箇所を整理するため,毎回紙にまとめていた

 こうした論文や展示パネルで使われるような正確性を追求したイラストは「じっくり見てもらう(妥協を許さない)ゾーン」に属していると言える。なお,古生物の復元における「正確」とは,現時点で科学的に「最も確からしい」ことを意味する。

 生き物以外にも,さまざまな分野で正確性を追求したイラストは重宝される。2022年,理化学研究所の研究チームの依頼により最新の陽子の内部構造を描き起こした(図32)。これも現状「理論的に最も確からしい」イラストにする必要があった。

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図3 陽子内部構造を示したイラスト(文献2より)
丸型のものがクォーク,糸状のものがグルーオンを示す。

 陽子の内部構造の研究は1970年代から始まり,クォークとグルーオンと呼ばれる素粒子で構成されることがわかってきているが,それらが陽子内部でどう振る舞っているかは謎のままである。近年,素粒子実験における加速器技術が進化し,より細かな構造が詳細に観測できるようになった。今回描いた図3のイラストは将来の実験で観測されるであろう陽子の内部構造の理論的予想図である。現在のところ,将来の実験領域ではクォークとそれをつなぐ“のり”の役目を持つグルーオンが,水の中の泡のように陽子の中でダイナミックに生成・消滅を繰り返しながら存在していると予想されている。

 こうした「じっくり見てもらう(妥協を許さない)ゾーン」のイラストは,もちろんイラストレーターだけでは作れない。とにかく根気よく,研究者の指示に従って「最も確からしい」イメージになるまで修正を重ねていく。描き手側に「こう描きたい」という強い意志があり,言われるままに修正をしたくないというクリエイターには難しい領域と言える。

 「自分が描きたいものやエゴに囚われず,『科学』に従って制作していくのがサイエンスイラストレーターだ。よってわれわれは『アーティスト』ではない」

 駆け出しの頃,師匠のような存在の人にそう言われた。修正依頼の連続で心が折れそうになるときはいつも思い出している。

 アーティストたちはアーティストそれぞれ独自の「妥協を許さないゾーン」があり,それらを生み出す苦悩があるだろうと想像する。ときには何をめざし,何を作りたいのかわからなくなることがあるのだろう。

 サイエンスイラストレーターは,「科学」というある意味わかりやすい指標が示されており,同じく「科学」を追求するクライアント側とも衝突することがあまりない。そして科学は尽きることがない。なんてありがたいことなのだろう,と心から思う。

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1)Nat Ecol Evol. 2021[PMID:33139921]
2)日本物理学会誌.2022;77(10).
3)The Astrophysical Journal Letter. Focus on First Sgr A* Results from the Event Horizon Telescope. 2022.

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