医学界新聞

看護のアジェンダ

連載 井部俊子

2024.01.22 週刊医学界新聞(看護号):第3550号より

 2023年11月末,「今度everyday ethicsを書きたいと思っています」という相談を著者から聞いて心待ちにしていた新刊が完成し,手もとに届いた。

 頁をめくって“ながめて”いると,こんなフレーズが目に飛び込んできた。「携帯電話を身につけ,操作するのが本人にとっての日常であり,毎日の生活に欠かせないものであった。そのため,携帯電話を探すために本人は歩き回り,一方,看護師は,本人が立ち上がるたびに鳴り響くセンサーへの対応に追われてしまっている」というのである。客観的に考えると,なんともこっけいな話である。この方は,「携帯電話を日常的に使用していたにもかかわらず,入院するやいなや,看護師は“紛失するおそれがある”と家族に相談し,携帯電話をナースステーションで管理することにした」というのである。しかも,「家族もまた,“他人に迷惑がかかるから”とその管理に同意している」。

 いったいどういういきさつがあったのかと思い,該当の事例を読んだ。

 河村隆さん(80歳代)は,70歳代の妻と仕事を持つ40歳代の長女との3人暮らしで,長く営業職に携わっていた。河村さんはトイレに対するこだわりがあり,いつ排泄したかをカレンダーに書き込むなど几帳面な性格であった。ところが最近は日時がわからなくなり,正しく記入することができなくなっていた。さらに,夜中にトイレに行くときに転倒することが増えてきた。

 河村さんはある日,自宅で転倒して救急入院し,外傷性くも膜下出血と診断された。認知症による短期記憶障害,見当識障害,せん妄を発症していた。状況がよく理解できず混乱した河村さんは,「家に帰りたい」と何度もベッドから降りようとして落ち着かず,安静を保つことが困難であったことから抗精神病薬が処方された。さらに安全対策として,起き上がったら作動するセンサーがベッドに装着された。

 入院2日目の朝,センサーが鳴って看護師が駆けつけると,河村さんがベッドの脇に倒れていた。床頭台に頭をぶつけたようであった。すぐに頭部CT撮影をしたが経過観察となった。

 くも膜下出血の経過は良好であったため,リハビリテーションが開始された。河村さんは徐々に歩行できる距離が長くなった。しかし病棟の看護師たちは,河村さんがまた転倒するのではないかと心配する気持ちが強かった。その後,河村さんが立ち上がり歩こうとすると,「危ないから1人で歩かないでください」と制し,車椅子から立ち上がろうとすると,「危ないから立たないでください」と声を掛けることが続いた。

 河村さんは,実は,立ち上がって「携帯はどこか」と探そうとしていたのであった。この時,すでに携帯電話はナースステーションで預かっていたのである。河村さんは,人の手を借りずに排泄したい,妻や長女と連絡を取りたい,携帯電話がそばにないと困る,家に帰りたいなどと思っていた。

 一方,看護師は,河村さんの入院中の転倒を防ぎたい,認知症で私物の管理ができないため紛失しないように管理したいと考えていた。しかし,河村さんのセンサー対応に時間を取られて,他の患者や業務に余裕をもって対応することができなくなっていた。

 病棟では,認知症看護認定看護師の助言を受けて,河村さんの行動観察からニーズや強みをアセスメントした。その結果,河村さんは当初,「認知症のある,センサーが鳴り止まない困った患者」というレッテルを貼られていたが,河村さんの「持てる力」に気付くことで,一方的な行動制限をするのではなく,ニーズを満たし,「持てる力」を支えるケアに切り替えることができた。こうして河村さんの入院生活は自由と権利が尊重されることとなった。単純に考えると,河村さんの携帯電話を取り上げるのではなく,適切に使えるように支援するのが倫理的であることがわかる。

 Everyday ethics(日常倫理)とは,「私たちが日々いかに暮らし,他者とどう関わっていくかということに対する人の価値(何が大切か)に関わること」と著者は説明する(鶴若麻理,那須真弓編『認知症ケアと日常倫理――実践事例と当事者の声に学ぶ』日本看護協会出版会,2023年,5頁)。つまり,「普通」という点を強調し,「生死に直結するような特別な問題ではなく,入居者が日常生活を営む中で,スタッフや他の入居者などの他者との相互行為において生じるもの」であり,「毎日の選択や決定にまつわることも含まれる」のである。

 日常倫理と対比されるのは「ドラマチックな倫理」である。

 ドラマチックな倫理とは,医科学技術の進展に伴い,生と死に関わる生命倫理の問題群に対して,その是非や行動の在り方を考えるもので,臨床現場で毎日生じる類いのものではない。例えば,人体実験,遺伝子工学の技術革新に伴う人間への遺伝子操作,新生児の治療中止,脳死からの臓器移植,医師による死の介助,人工呼吸器装置を中止することの是非などが紹介される。

 日常倫理は,ドラマチックな倫理と対比する形で,その重要性が指摘されてきた。生命倫理では,人の生死に関わることではなく,日常的によく生じるということで,見過ごされ,注目されてこなかったが,日常倫理は,広くヘルスケア領域において人と人との相互作用の中で,規則的あるいはルーチンでよく生じている問題を網羅するものであろうと筆者は主張する。

 具体的に認知症ケアの根本に据えられるべき,自律性,プライバシー,インテグリティ(全体性)について事例検討される本書を読むと,まさに“毎日が倫理に満ちている”ことを実感させられる。

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