医学界新聞

対談・座談会 尾藤誠司,矢吹拓

2023.10.16 週刊医学界新聞(通常号):第3537号より

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 医療者の目線を患者に向けるのではなく,そこにある意思決定アジェンダに直接向けることで,責任を伴った形で患者と同じ方向を向いてほしかった――。患者―医療者関係にまつわる理論と実践について『患者の意思決定にどう関わるか?――ロジックの統合と実践のための技法』(医学書院)にまとめた尾藤氏が,同書の中で「意思決定関与」という言葉を用いることにこだわった理由だ。なぜ意思決定「支援」ではなく,意思決定「関与」なのか。長年,尾藤氏と共に医師人生を歩んできた矢吹氏が話を聞いた。

尾藤 矢吹さんとは節目節目で楽しく,仲良くさせていただきました。今日はいつも通り矢吹さん,Bさんの呼び方で行きましょう。

矢吹 いいですね!

尾藤 矢吹さんとは,医療者としてだけでなく,バンドマンとしても共に活動してきましたね。『固有名詞で愛されたいの』という楽曲を一緒に作った思い出があります。

矢吹 私が専攻医の頃ですね。総合内科,総合診療の分野に進み始めた時にBさんと出会い,「医師の中にもこんな人がいるのか」と驚きました。以降,その背中をずっと追い続けています。

尾藤 ありがとうございます。私はもう還暦が近くなりました。これまで臨床家として患者―医療者関係の課題を中心にコミュニケーションワールドにどっぷり浸かってこられて,とても幸せに感じています。残りの臨床家人生は,さらに濃密にその世界にコミットしていきたいと思う中で,『患者の意思決定にどう関わるか?』の上梓をきっかけに,共に医師人生を歩んできた矢吹さんとの対談をしたいと思ったのです。

矢吹 書籍を読ませていただきました。ヘルスケアにおける意思決定の話題からAIや行動経済学にまで話題が広げられており,目次上はバラバラなテーマのように見えますが,通読すると納得感を抱き,Bさんならではの一本の軸があるように感じました。

尾藤 これまでの医師人生で私自身が心をわしづかみにされてきた事柄を中心に執筆しました。矢吹さんの言うように,一見取っ散らかっているのだけれど,まとめ終わった後に振り返るとこれまでの集大成になったと自分自身でも思いましたね。一貫しているのは医療者として日々を過ごす中で出合う「うまくいかなさ」に向き合うこと。今では,物事をうまくいかないままとらえ続けるのが医療者の一つの在り方だと考えるようになりました。

矢吹 医療現場におけるアプローチの多くが「もっと善くしよう」「正解にたどり着こう」との方向になりがちな中で,Bさんはそうではないところに魅力を感じているのですね。

尾藤 たぶん天邪鬼なんですよ。一つの事象をいろんな角度から見る癖があるのです。

矢吹 スポットの当て方がユニークだといつも思います。特に興味深いのは,一般的には意思決定「支援」という言葉が用いられている中,あえて意思決定「関与」という言葉が今回の書籍では用いられていることです。

尾藤 私自身も日常臨床では意思決定支援という言葉をよく用いていますし,すごく違和感があるという訳ではありません。ただ,「支援」という言葉の持つニュアンスとして,意思決定を行う主体はあくまでも患者や患者の代行者にあり,医療者は「患者の意思決定を外側から支援する」という関係性を想像してしまいます。そもそも説明的関係に基づくインフォームド・コンセントは,医療者がなるべく意思決定に関与しない姿勢を生み出す構造を持ちます。それによって,説明責任はあるけれども意思決定への責任を回避したい医療者の欲求が顕在化し,患者は意思決定主体者としての権利は保護される一方で,重要な決断において誰にも助けてもらえない置き去りの状況にされてしまう。そんなイメージを超えたいという意図で,今回は「関わる」という言葉にこだわってみました。

矢吹 「支援」だと,どこか他人事のように思えてしまうと。

尾藤 はい。医療者の目線を患者に向けるのではなく,そこにある意思決定アジェンダに直接向けることで,責任を伴った形で患者と同じ方向を向いてほしかった。これが「関与」という言葉を用いた理由です。言葉遊びのような印象を受けるかもしれませんが,この違いは患者―医療者関係を考えながら医療を実践していく上では重要な位置を占めると認識しています。

矢吹 そういう点では,異なる価値観を尊重し,わかり合えないことをわかり合うこと(dissensus)の大切さについて,書籍の中で議論が展開(79~80頁)されていたことにはとても考えさせられました。

尾藤 個々人の持つ価値観が大きく変わることは少ないです。病気を治して生き続けることが重要だと考える医療者に対して,場合によっては「こんな侮辱を受けるなら死んだほうがマシ」と思う患者はいるでしょう。そこには,医療者の専門職規範とは相反する価値観が立ち現れています。ここで重要なのは,専門職規範にとどまりつつもそうした価値観の存在を尊重することではないでしょうか。先ほどの例で言えば,「死なないことが大事だと考える私が,あなたのためにできることはないか」と,最良の落としどころを探す努力ができればいいかなと思います。もちろん,この関わりは患者側の価値観を根本的に変えることが目的ではありません。

矢吹 でも,時に医師には,相手を変えたい,コントロールしたいという欲望が出てしまいませんか?

尾藤 コントロール願望をいかに制御するかは課題ですね。異なる価値観をいかに尊重できるか。

矢吹 わかり合えないことで対話をあきらめてしまったり,わかり合えないからどちらかの価値観を優先させたりするのではなくて,患者に関わり続けることが大事なのですね。他方,患者によっては「もう何でもいいから先生にお任せします」となる方もいます。その時はどう考えればいいのでしょう。

尾藤 その場合は,意思決定プロセスを医療者側がある程度リードしていくようなコミュニケーションスタイルもアリだと個人的には思っています。ただし,そこで患者さんが葛藤したり,迷ったりするのをやめないようなリードの仕方が求められます。お寿司屋さんの大将が「今日はいいサヨリが入っているんだけど,お好きですか?」みたいにリードをするような工夫です。

矢吹 支援のモデルにならざるを得ない時には,バランスをうまく取る必要があるということですね。私もまだまだそのバランス力は未熟ですが,チームで対応に当たる時は「今このチーム,支援側に寄っているな」というのが何となく見えるようになってきました。その時は,あえて異なるスタンスで提案することもあります。でも特にACPをテーマとした多職種での議論の際は,議論の方向性をどう調整していくべきなのか,日々頭を悩ませています。

尾藤 その延長線上で私が引っかかっているのは看取りの問題です。在宅での看取りは善いものとして取り扱われているものの,果たして本当にそうなのか。「病院で最期までジタバタしてもいいじゃん」と私は思うのです。がん治療において標準治療を強いる医師が傲慢だと揶揄されるのと同じ構図です。知らぬ間にパターナリズムに陥っているのではないでしょうか。医療者の常識として考えられているような目の前の事象を細かく分解し吟味する視座は,臨床家のスキルとして必須であり,医師のプロフェッショナリズムとしても必要なのだろうと思っています。

矢吹 今の議論に関連して,読んでいて特に面白かったのは,能動態・受動態とは別の,もう一つの「態」である中動態に関して言及されたパート(89~93頁)です。自由に決めているつもりでも,さまざまな情報から影響を受けた上で下される意思決定は,果たしてその人オリジンのユニークな意思と言えるのか。要するに能動でも受動でもなく,中動的に「決まる」ことがたくさんある中で,医療者の患者への関与が続けば続くほど,患者の意思や意向は刻々と変わっていくのではないでしょうか。

尾藤 その通りですね。その意味では「その人オリジンのユニークな意思」にこだわる必要もないのかとも思います。関係性と揺らぎの中で物語は続いていくという感じでしょうか。

 一方で,医療者が意思決定アジェンダに関与していく時に,「医学的に正しいことが患者にとっての最善である」というレトリックに陥らないような注意は重要です。私自身は,EBMとは医療者自らが持つ科学的根拠の脆弱さを自己認識するための技術であると理解しているのですが,実際には医学的根拠で患者の価値世界を封じ込め,単色に染め上げるための技法として用いられている節もあるのではないかと危惧しています。

矢吹 なるほど。

尾藤 コロナ禍での対応など,公衆衛生的な側面が強ければ致し方ない場合もありますが,一人の人間が,両親や子ども,担当医など,さまざまな人と関わり合いながら決断に向かう中で,それらの複雑性を排除するのは違うはずです。例えば「スタチンを飲むのはあなたのためですよ」と医師が伝えるのは,動脈硬化を予防したいという医師側の善意からのアドバイスです。けれども患者側から見たら,健康よりも重視すべきことがあるのかもしれない。これは,善意において患者を侵略しているとも言えるでしょう。パターナリズムが持つ闇ですね。

矢吹 もしかしたら悪いことをしているのではとの自覚が,医療者側にあるかどうかという点が大きい気がします。「エビデンスに裏打ちされたわれわれ医療者の選択は全て正しく,患者さんのためになっている」とのスタンスだと危うい。社会的な構造として医師が勝ち組に位置付けられていることも,この考え方に拍車を掛けているように思えてなりません。試験で高得点を取って医学部へ入学した人たちが,より上位をめざし,より正しい(と思われる)ものを希求しようとする。そうした循環の中では,自身の後ろめたさやできなさに向き合う機会が生まれにくい。

尾藤 そうなんですよね。医療者としての免許を得る前の人生で何を経験したかに依拠する気もします。

矢吹 挫折を知るとか?

尾藤 そう。他人に対して良かれと思ってしたことが,逆に相手を悲しませてしまい落ち込んだ,みたいな体験。そうした壁に当たった時にちゃんとへこむためのアンテナは大切かもしれない。

矢吹 意思決定に関わる話題に総じて言えることですが,意思決定の在り方について,基本的には患者さんではなく,医療者がアプローチ方法を考えている。医療者側が主導権を握ってしまっている。そもそも,この構造に課題があるのではないでしょうか。

尾藤 構造的な難しさはどうしてもぬぐい切れませんね。

矢吹 ところがコロナ禍のSNSの世界では,医療者に向けた一般の方からの発信を数多くみかけました。

尾藤 ケースによっては,医療者側が正しいと考えていたことが少数派の場合もありましたね。何事においても健康が最優先される価値観(ヘルシズム)に対して,一般の方からの少し冷ややかな視点があることは知っておくべきなのだろうと思います。

 今後,意思決定に関する患者―医療者関係を少しでも変えていくには2つの方法があると考えます。一つ目は,立場上,患者よりパワフルな位置にどうしても立ってしまいがちな医療者が,意識的に隙を見せること。医療者としての鎧を脱ぐことと表現してもいい。これまで私が活動を続けてきた「“もはやヒポクラテスではいられない”21世紀 新医師宣言プロジェクト」の「私の新医師宣言」の内容は,その指針として参考になると思います。

 もう一つは,AIが診察室に本格的に実装された時,果たして医療者たちは患者に何ができるだろうと考えてみることです。当院でユマニチュードを導入し始めた頃,静岡大学のAI研究のグループが何度か見学に来られ,次第にAI研究者と話すようになりました。その縁もあって2016年からAIとの共生をテーマに,「『内省と対話によって変容し続ける自己』に関するヘルスケアからの提案」と題した研究開発プロジェクトを開始し,そこで「考えるとは何か」を改めて考えるようになったのです。

矢吹 興味深いです。

尾藤 私は,「知能」とはアンサートーカーである,と思っています。すなわち最適解を選び出すための問題解決能力です。医療で言えば,ある特定の病気を見つけ,診断し,治療して解決するための能力に当たるでしょう。そういう意味で,ただ純粋に客観的な医学的根拠をもとに患者ごとの個別の最適解を提示できるAIは,人間の能力を上回っていると言えます。セカンドオピニオンの役回りは,まさに適役です。

 一方で,意思決定に「知能」が占める割合がどの程度かを考えると,3分の1から多くても半分ほどと思われます。残りは親や家族に相談したり,一人で葛藤したり,後悔したりと,意思決定には物語部分が大きく関与するからです。今後さらにAIの性能が上がり,問題解決に向かうための最適解という意思決定のパーツを客観的に示してくれるようになれば,患者に関与し物語を共に進めていくことに医療者が専念できるはずです。患者―医療者関係に大きな変革が起こるでしょう。

矢吹 AIの本格的な臨床導入が進めば,今までは医療者ごとにバラツキのあった医療情報については,エビデンスとしてはっきりとした輪郭が見えてくるのかなと思いました。

尾藤 輪郭が現れてきた時に,曖昧でにじんだ部分をどう取り扱うか。この方法に一定の解はまだありません。これがポストAI時代の臨床実践の在り方でしょう。このにじんだものに医療者全員で取り組めるようになれば,またさらに面白い世界に突入していくと思います。これからが楽しみです。

(了)


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国立病院機構東京医療センター 内科医長

「「物事をうまくいかないままとらえ続けるのが医療者の一つの在り方」」

1990年岐阜大卒。国立東京第二病院(当時),米UCLA公衆衛生大学院等を経て,2008年より現職。研究領域は臨床意思決定と患者―医療者関係。『患者の意思決定にどう関わるか?』(医学書院),『「医師アタマ」との付き合い方』(中央公論新社)など編著書多数。ロックバンド「ハロペリドールズ」のボーカリストとしても活躍する。

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国立病院機構栃木医療センター 内科医長

「医療者の患者への関与が続けば続くほど,患者の意思や意向は刻々と変わっていく」

2004年群馬大卒。前橋赤十字病院にて臨床研修修了後,国立病院機構東京医療センター総合内科を経て,11年より国立病院機構栃木医療センター。13年より現職。編著に『薬の上手な出し方&やめ方』『外来診療ドリル』(いずれも医学書院)など。YouTubeチャンネル「医師の教養」では平島修氏と読書トークを繰り広げる。雑誌『総合診療』編集委員。

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