医学界新聞

寄稿 松崎朝樹

2023.10.09 週刊医学界新聞(レジデント号):第3536号より

 DSM-5-TR(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, Fifth Edition, Text Revision)が2022年3月に米国で発表され,同年6月に日本語版が発表されました。精神医学を語る上で避けては通れないのがDSMという存在。この機会に精神科診断において,押さえておくべきDSMのポイントを解説します。

 精神科で主に使われている診断基準にはDSMとICD(International Classification of Diseases)があります。米国精神医学会が作成したDSMは,当初は入院する精神障害者の統計のために作られたもので,カルテ記載や研究ではDSMでの記載が求められることが多いでしょう。一方で世界保健機関が作成したICDは,元々は死亡統計のために作られたもので,公的な診断書ではICDによる記載が求められます。DSMとICDは疾患のとらえ方や分類が大きく異なりますが,少しずつ共通性を高める試みが行われています。精神科医の業務上はICDも必要になりますが,臨床を理解するにはDSMが有用ですし,精神科専門医試験を見据えるとDSMにある精神障害を理解しておくことは避けて通れません。

 例えば悪性腫瘍であれば腫瘍マーカーや生検,感染症であれば炎症反応や培養といったように,身体疾患では病因に直接かかわる生物学的バイオマーカーが確認できます。しかし,精神障害については病因を直接的に確認する身体的な検査(診断の根拠にできるもの)は非常に限られます。身体因の除外が行われ,脳画像検査が補助的に用いられるのがせいぜいであり,精神科診断では病因に直結するバイオマーカーが利用できないことがほとんどです。

 だからといって,漠然と診断することは医者として恥ずべきこと。そこで精神症状やその経過などを考慮したアルゴリズムに基づいた診断が行われるようになったものが,今のDSMです。精神科診断を考える上での強力なツールですし,DSMに基づく診断過程は他の医療者にとって,そして患者にとってもより信頼できるものと言えるでしょう。もちろん,DSMが常に正しいわけではありませんし,全てでもありません。DSMのアルゴリズムで考えた上で,必要に応じて他の要素を加味して診断を修正したり,DSMにはない病名を用いたりすることも当然あって良いことです。DSMは診断の過程を示した,例えるならば算数の途中計算式のようなものです。診断結果は途中計算式のない答えであってはなりません。

 DSMの初版やDSM-IIは,それぞれの精神障害に対する説明の文章がつらつらと書かれたものでした。それは,読み手によりその解釈に差が生じるもので,医師によって疾患概念が異なり得る,医師の解釈次第で違う診断が下され得る精神医学に対して世の中の批判が向けられていました。そこで登場したのがDSM-IIIであり,具体的な診断基準が項目として並べられ,操作的診断が用いられるようになりました。その後,改訂を重ね19年間も使用されたDSM-IV,そして2013年から使用されているDSM-5となっています。

 ちなみにDSMはII,III,IVとローマ数字でカウントされてきましたが,5は算用数字で表記されています。これは,改訂に十数年の間隔が開いてしまった過去を反省し,5.1や5.2と細かな改定を重ねていくためのもの……と語られていました。それなのに,5.1の発表を待っていたらDSM-5-TRが発表されたことには私自身,驚かされたところです。

 DSM-IVの後にはDSM-IV-TR,DSM-5の後にはDSM-5-TRが発表されています。このTRはText Revisionの略で,日本語では本文改定と呼ばれるものです。手頃なサイズのDesk Reference(いわゆるMini-D)には診断基準だけが記載されていますが,その元となる,持ち運ぶには重すぎるあの大きな本のほうには診断基準に続いて診断的特徴,有病率,経過,予後,性差,鑑別診断,併存症など,精神障害にかかわるさまざまな説明文が記載されています。記載はされているものの,DSM-IVにしても,DSM-5にしても,新しく定義が発表されたばかりの精神障害について,有病率や予後などの情報はまだ十分ではなかったはず。そこで,診断基準が発表されたその後に得られたさまざまな知見が盛り込まれ,より正確な説明文が記載されたものがTRです。日常臨床は診断基準だけ押さえれば成り立ちますが,精神科専門医をめざす人は説明文にも目を通しておきたいものです。

 では,DSM-5とDSM-5-TRの違いとは何か。基本的には説明文の追加だけのはずでした。しかし,実際には他にも変更が加えられています。例えば,新しい精神障害の概念である,身近な人の死後に長い期間とらわれ続ける遷延性悲嘆症が追加されています。そして,日本語版は用語の日本語訳が多数変更されており,最も大きな変更点は〇〇性障害や〇〇障害と呼ばれていたものの多くが〇〇症と変更されたことでしょう。また,緊張病がカタトニア,適応障害が適応反応症に変更されています。ですから,日本で臨床をするわれわれはDSM-5-TR日本語版を手に,新しい用語も把握しておきたいものです。

◆DSM-5からDSM-5-TRへ改訂した際の主な変更点

・身近な人の死後に長い期間とらわれ続ける「遷延性悲嘆症」の追加
・「〇〇性障害」や「〇〇障害」が「〇〇症」と日本語訳が変更
・「緊張病」が「カタトニア」,「適応障害」が「適応反応症」など,一部疾患の名称が変更

 DSM-IVまではカテゴリに基づく診断であり,DSM-5ではスペクトラムの概念が登場します。一人ひとりの患者に精神科診断をつける作業を例えるなら,手にしたリンゴをうつ病の籠に入れるか統合失調症の籠に入れるのかといった区分の作業として考えられていたのがDSM-IVまでのカテゴリに基づく診断でした。

 しかし,精神障害それぞれは明確に境を持たず,しばしば他の精神障害との連続性を有していることがわかってきています。精神障害それぞれが連続体を成しているスペクトラムの概念で理解されるようになり,それはまるで虹の色が境目なく赤から黄,緑,青,紫と並ぶ中,手にしたリンゴの色がどの辺りの色合いに当たるのか,そのリンゴに含まれる複数の色も含めて理解する姿勢が求められるようなもの。DSM-5ではまだ,それぞれに病名をつけるカテゴリに基づく診断の傾向はあるものの,各障害の考え方として,「自閉スペクトラム症」や「統合失調症スペクトラム障害および他の精神病性障害群」という名称に「スペクトラム」の語が用いられています。また,DSM-IVからDSM-5への改訂に当たって強迫症に関連した精神障害などの群が再編成されており,スペクトラムの概念が盛り込まれていることが読み取れます。そして,パーソナリティ症(パーソナリティ障害)についてはDSM-5の時点で,カテゴリカルな診断基準と並行して,同一性,自己指向性,共感性,親密さの4つを共通軸として扱うスペクトラムの概念を感じさせる診断基準も,分厚いほうの本の最後に掲載されています。

 おそらく今後のDSMでは,これまでの診断基準との連続性を保ち,臨床で便利なカテゴリの概念を使用しながらも,より本質的なスペクトラムの概念が少しずつ盛り込まれるものと見込まれます。

 DSMは精神科医にとって,臨床において,そして精神障害の理解においても欠かせないツールです。このたび発表されたのはDSM-5-TRですが,これからもDSMは改訂を重ねていくことでしょう。これからも改訂の都度,最新のDSMの理解を通して精神医学的な知識のアップデートを続けていきたいものです。


1)American Psychiatric Association(著),髙橋三郎,他(監訳).DSM-5-TR 精神疾患の診断・統計マニュアル.医学書院;2023.

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筑波大学医学医療系臨床医学域精神医学 講師

1998年筑波大を卒業後,国立精神・神経医療研究センターなどでの勤務を経て,2014年より現職。精神医学を解説するYouTuberとしても活動している(チャンネル名「精神科医 松崎朝樹の精神医学」)。著書・訳書に『精神科診断戦略』(医学書院)『精神診療プラチナマニュアル』(MEDSi)『DSM-5をつかうということ』(MEDSi)。

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