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  • 人文・社会科学領域の知と臨床実践の近接するところ(太田充胤,井口真紀子,中島孝,松本卓也,孫大輔,大岡忠生,津野香奈美)

医学界新聞

寄稿 太田充胤,井口真紀子,中島孝,松本卓也,孫大輔,大岡忠生,津野香奈美

2023.10.09 週刊医学界新聞(レジデント号):第3536号より

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 「医学教育モデル・コア・カリキュラム」令和4年度改訂版において,文化人類学や社会学といった人文・社会科学領域の学修目標が導入されたことに見られるように,近年,医療の人文・社会科学的側面にスポットが当たる機会が増えています。とはいえ,そういった別領域の知見が自身の臨床実践にどのように結びつくのか,実感を伴って把握できていない医学生・研修医は少なくないと思われます。

 本特集では,人文・社会科学領域の知を吸収した医療者に,どのようにそうした知と出合い,自身の実践の中に取り込んでいくことになったのか(もしくは,臨床実践ではない形で生かすことになったのか)を具体的なエピソードと共に語っていただきました。

こんなことを聞いてみました

①どのような学問領域とどう出合ったのか
②オススメの書籍
③医学生・研修医へのメッセージ

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東京大学大学院総合文化研究科相関基礎科学系科学史科学哲学研究室修士課程

自分の立つ場所を外側から謙虚に見つめる

①私は医歴9年目で病院勤務を離れて,東大駒場の科学史・科学哲学を標榜する研究室に修士課程で入学しました。現在は定期非常勤で外来業務をしながら,学生として広く科学論を学び,医学の現代史を研究領域として修士論文を執筆しています。

 研修医1年目にSFを読んでいた時期があり,このとき読んだものの一つが伊藤計劃の『ハーモニー』(早川書房,新版2014年)でした。『ハーモニー』の舞台は医療が極度に発達して社会システムを支配した近未来で,人々は恒常的監視と即時治療によって病気とは無縁の人生を送っています。これは素朴に考えれば理想の医療・公衆衛生が余すところなく実現されたユートピアなのですが,不健康を許容しないその社会はむしろディストピアとして作中では描かれていました。ああ,現代医療というのは外から見るとこういうふうにも見えるのか……とこのとき初めて理解し,衝撃を受けたのを覚えています。

 その後母校の内分泌内科へ入局し専攻医として働くうちに,『ハーモニー』で描かれていたことの意味がよくわかってきました。糖尿病や高血圧のように苦痛を伴わない疾病の患者さんは,自ら治療を求めて来院する人ばかりではありません。いったい,私は彼らに何を提供しているのだろう。予防とは何だろう。医療とは何なのだろう。よくわからなくなって,医療や科学について書かれた本を読みあさるうちに,科学認識論という分野にたどり着きました。

 科学認識論とは,科学という営みの背後にある暗黙の前提を明らかにする学問領域です。今日の科学論では,科学による知の生産は他のあらゆる活動と同じく,社会的な営みの一つだと考えられています。言い換えれば,科学はただ「客観的な事実」を発見しているのではなくて,何らかの認識的な枠組みに基づいて知識を生産し,運用しているということです。同時代の当事者からはかえって見えづらいこの枠組みを,歴史的な検討から明らかにするのが科学認識論という分野です。

 こうして考えてみると,医学・医療の営みもまた,医療者自身が意識していない枠組みに規定されていることに思い至ります。こうした鳥瞰的な視点を持つことが,私自身の日々の臨床を客観的に省みることにも役立っています。

②玉手慎太郎『公衆衛生の倫理学―─国家は健康にどこまで介入すべきか』(筑摩書房,2022年)をお薦めします。国家や社会が人の健康にかかわるとはどういうことだろう。とりわけ「より健康にさせる」ことの妥当性は,何を根拠に認められるのだろう。こうした問いにぶつかったとき,いきなり歴史や哲学から攻めると大変です。人文学領域の議論になじみのない読者にまずお薦めしたいのは,倫理学という切り口です。

 本書では,今日の公衆衛生が直面しているさまざまな課題が,最新の議論をもとにわかりやすく整理されています。並んでいるトピックは「肥満対策」をすることの問題から,ちまたでみかける自己責任論の是非,はやりの手法「ナッジ」が孕む倫理的課題,パンデミック下の倫理まで,いずれも医療者なら「モヤモヤ」を抱いたことがあるものばかりではないでしょうか。もちろん,どのトピックも一つの決まった答えを導けるようなものではありませんが,何がどのように問題なのか,そこにどのような価値の対立構造があるのかがクリアに理解できるようになっています。

③医療者にとって,「より良く生きること」「健康に生きること」の価値を疑うことは簡単ではありません。その価値を提供している自分たちの正しさを疑うのは,なおのこと難しいと思います。他分野の知に触れることは,自分が立っている場所を外から謙虚に眺めることに通じると実感しています。ぜひ幅広く学んでください。

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祐ホームクリニック大崎 院長/上智大学グリーフケア研究所 客員研究員

死を前に立ち現れる「希望」

①大学卒業後,プライマリ・ケア医として地域医療や在宅医療にかかわってきました。プライマリ・ケアの臨床で経験する多くの問題の中でも,特に自分にはとらえきれないと感じていたのが「死」の問題でした。薬物治療がそれなりにできるようになっても,看取った患者さんの数が増えていっても,死を前にした人たちの考えや選択は自分の価値観を大きく超えるもので,死を前にした患者さんやご家族の深い苦悩に触れるたびに困難を感じる日々でした。

 そんな難しさを抱えながら過ごすある日,上智大学がグリーフケアの講座を開講するお知らせをネットで見つけました。出願の締め切りはわずか3日後でしたが,「今の悩みと関係する学びがあるかもしれない」と思い大急ぎで出願しました。開講式の日の初回授業は「死生学概論」。それが死生学との出合いでした。日本の死生学は,死と死にゆく過程を対象とする欧米の死学も含み込みつつ,生と死を表裏一体のものとしてとらえる学際的な領域です。講座修了後,大学院が設立されたので進学し,在宅医の死生観をテーマに研究を行い,博士論文を執筆しました。自然科学的なものの見方と人文・社会科学系の考え方には大きなギャップがあり,正直苦労も大きかったです。しかし,徐々に慣れてくると,自由に考えて,それを自分なりに表現し,他の人にコメントをもらって磨いていくという学問の面白さを体感できるようになりました。

②私の「推し本」は死にゆく人の声に初めて耳を傾けたことで知られる,エリザベス・キューブラー=ロスの『死ぬ瞬間――死とその過程について』(中央公論新社,新版2020年)です。死生学の古典でもあり,読んだことのある方も多いのではないでしょうか。

 書物を単に「知識を得る」ものととらえると,本書は「死の受容の5段階(否認→怒り→取引→抑うつ→受容)」を提示しただけということになるかもしれません。しかし,本は知識を伝えるだけでなく,考え方を鍛えたり,自分の経験できない世界を生きさせてくれたりするものでもあります。表現を味わい,考えながら本書を読むことで,死を否認する社会にいながら死を前にした時間を生きる人々の語りの豊かさと深み,それを聞くことの困難に接近することができます。医療現場では語りに対する表面的な理解で「受容」が治療目標のように扱われがちですが,本書を丁寧に読むことでロスの描いた「受容」は決してそのような状態ではないことも理解できるでしょう。

 特に私が好きなのは,「希望」に関する記述です。5段階のどこにいようとも,新薬ができるかもしれない,奇跡が起こるかもしれないといったはかない希望を人は胸の奥に持ち続け,それが彼らを支えています。それは決して「医学的に正しい」ものではないかもしれません。しかし,死という圧倒的な不条理を前に,希望は人が人として生きるためになくてはならないものです。医療者として,この「希望」をどう支えられるか,本書を通して考えてみてはいかがでしょうか。

③医師は人と向き合う職業です。もやもやすることも多いですが,医学以外の多くの知と接続しながら考えられることが臨床の奥深さでもあります。人の意味の世界を考える時に,人文・社会科学系の知は大きな力になります。人生の転機は偶然やってくることもあるので,興味を持ったら気軽に学んでみてください。新たな世界が広がるかもしれません。

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国立病院機構新潟病院 病院長/ヘルスデータサイエンティスト協会 理事

人類学の知と次元を超えた臨床実践に向けて

①私の場合,臨床体験から人文・社会科学領域の知を求めたのではない。イデオロギーや信念・宗教対立を引き起こした1960年代の世界的学生運動や全共闘運動世代を乗り越えるため,人文科学や哲学に惹かれ,人類学を通して医学を深めたいと思ったからなのだ。1958年生まれの私には,二重らせんDNA構造を発見したワトソン・クリックらへのノーベル生理学・医学賞(1962年),量子力学の朝永振一郎へのノーベル物理学賞(1965年),アポロ11号の月面着陸(1969年),大阪万博の開催(1970年)は強い知的刺激だった。物理学やDNAを極めたいが,一方で人間や自分を理解したい気持ちが芽生え,還元主義では人間理解は不可能という考えに至った。先輩たち,全共闘世代は教条的マルクス主義者かレッテル貼り(ラベリング)論者でしかなく,いかに先輩たちと違う存在になれるかが自分の課題となった。ちょうどその頃,万博公園跡地に民族学博物館の建設が決定(1974年)され,初代館長に京大の梅棹忠夫教授が任命された。彼の学問や方法論『知的生産の技術』(岩波書店,1969年)から,人類学(anthropology)の研究手法がわかり,マルクス,キリスト,ブッダまでをも相対化し,知的に吸収できるのではないかと思いを馳せた。

 高校生になった時,青土社の月刊誌「現代思想」が発刊(1973年~現在)され定期購読を始めた。そこで,高校の大先輩の柄谷行人の理論,科学哲学,文化人類学,ソシュールの言語学などに触れることができた。これらは構造主義運動であり,その後ニューアカデミズムとして発展していった。高校卒業前になり,人類学を通して人を生物学的・心理社会的に理解するという方向性の素晴らしさから,物理学への誘惑を断つことにして,最終的に医学を選択した。赤ひげに憧れたのではなく,人間を科学的に探求したかったのである。その頃,まだ医学進学課程というシステムが残っており,大学入学の最初の2年間は全学の教授たちからも直接指導を受けられ,「人間科学ゼミナール」という自主ゼミを藤沼康樹氏(家庭医療学開発センター長)たちと設立した。人類学とは,人を対象とする学問の統合体であり,その中にあって,病い・健康概念すら相対化し科学的に論じるのが医学と考えた。人類学には,医学専門領域だけでなく,行動科学,脳科学,社会学,言語学,比較遺伝学,考古学はもちろんエコサイエンス全体が含まれる。医学は人類学に統合できるという考えは学生時代から現在まで一貫して変わらない。WHOの健康概念がまずあり,そこから医学を構築しようとする人々とは今でも一切かみ合わない。

②ビル・モイヤーズのTVインタビューを基にしたジョーゼフ・キャンベルによる『神話の力』(早川書房,2010年)という貴重な書籍を薦めたい。YouTubeで検索するとオリジナルTV映像(The Power of Myth)にアクセス可能で英語学習にも役立つ。書籍は良くまとまっていて読み応えがある。宗教的物語から古代神話まで古今東西の物語を用いて,人の誕生から成長・発達,イニシエーション,老化,死,喪失,復活,再生,紛争,愛,平和,医学的な課題までも論じており,文化的相対性の中でこれらの意味の普遍性を教えてくれる。レジデントはこの本から,ナラティブアプローチの本質とその素材に触れることができると同時に,キャンベルの博識に驚かされるだろう。古代の名著への興味だけでなく,文化人類学を学ぶきっかけも得られるに違いない。

 1980年代にナラティブアプローチは再勃興し,認知革命と共に心が復権した。その頃の心理学は心の存在を前提としない行動心理学となっており,刺激→応答問題にすり替わってしまっていた。1990年にジェローム・ブルーナーは『意味の復権――フォークサイコロジーに向けて』(ミネルヴァ書房,新装版2016年)を出版,マイケル・ホワイトとデイヴィッド・エプストンも同年『物語としての家族』(金剛出版,新訳版2017年)を発刊した。ナラティブ論では,人が事象(event)を認識しようとする時,事象そのものは直接認識できないが,心の中で表象(represe...

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