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  • 人文・社会科学領域の知と臨床実践の近接するところ(太田充胤,井口真紀子,中島孝,松本卓也,孫大輔,大岡忠生,津野香奈美)

医学界新聞

寄稿 太田充胤,井口真紀子,中島孝,松本卓也,孫大輔,大岡忠生,津野香奈美

2023.10.09 週刊医学界新聞(レジデント号):第3536号より

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 「医学教育モデル・コア・カリキュラム」令和4年度改訂版において,文化人類学や社会学といった人文・社会科学領域の学修目標が導入されたことに見られるように,近年,医療の人文・社会科学的側面にスポットが当たる機会が増えています。とはいえ,そういった別領域の知見が自身の臨床実践にどのように結びつくのか,実感を伴って把握できていない医学生・研修医は少なくないと思われます。

 本特集では,人文・社会科学領域の知を吸収した医療者に,どのようにそうした知と出合い,自身の実践の中に取り込んでいくことになったのか(もしくは,臨床実践ではない形で生かすことになったのか)を具体的なエピソードと共に語っていただきました。

こんなことを聞いてみました

①どのような学問領域とどう出合ったのか
②オススメの書籍
③医学生・研修医へのメッセージ

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東京大学大学院総合文化研究科相関基礎科学系科学史科学哲学研究室修士課程

自分の立つ場所を外側から謙虚に見つめる

①私は医歴9年目で病院勤務を離れて,東大駒場の科学史・科学哲学を標榜する研究室に修士課程で入学しました。現在は定期非常勤で外来業務をしながら,学生として広く科学論を学び,医学の現代史を研究領域として修士論文を執筆しています。

 研修医1年目にSFを読んでいた時期があり,このとき読んだものの一つが伊藤計劃の『ハーモニー』(早川書房,新版2014年)でした。『ハーモニー』の舞台は医療が極度に発達して社会システムを支配した近未来で,人々は恒常的監視と即時治療によって病気とは無縁の人生を送っています。これは素朴に考えれば理想の医療・公衆衛生が余すところなく実現されたユートピアなのですが,不健康を許容しないその社会はむしろディストピアとして作中では描かれていました。ああ,現代医療というのは外から見るとこういうふうにも見えるのか……とこのとき初めて理解し,衝撃を受けたのを覚えています。

 その後母校の内分泌内科へ入局し専攻医として働くうちに,『ハーモニー』で描かれていたことの意味がよくわかってきました。糖尿病や高血圧のように苦痛を伴わない疾病の患者さんは,自ら治療を求めて来院する人ばかりではありません。いったい,私は彼らに何を提供しているのだろう。予防とは何だろう。医療とは何なのだろう。よくわからなくなって,医療や科学について書かれた本を読みあさるうちに,科学認識論という分野にたどり着きました。

 科学認識論とは,科学という営みの背後にある暗黙の前提を明らかにする学問領域です。今日の科学論では,科学による知の生産は他のあらゆる活動と同じく,社会的な営みの一つだと考えられています。言い換えれば,科学はただ「客観的な事実」を発見しているのではなくて,何らかの認識的な枠組みに基づいて知識を生産し,運用しているということです。同時代の当事者からはかえって見えづらいこの枠組みを,歴史的な検討から明らかにするのが科学認識論という分野です。

 こうして考えてみると,医学・医療の営みもまた,医療者自身が意識していない枠組みに規定されていることに思い至ります。こうした鳥瞰的な視点を持つことが,私自身の日々の臨床を客観的に省みることにも役立っています。

②玉手慎太郎『公衆衛生の倫理学―─国家は健康にどこまで介入すべきか』(筑摩書房,2022年)をお薦めします。国家や社会が人の健康にかかわるとはどういうことだろう。とりわけ「より健康にさせる」ことの妥当性は,何を根拠に認められるのだろう。こうした問いにぶつかったとき,いきなり歴史や哲学から攻めると大変です。人文学領域の議論になじみのない読者にまずお薦めしたいのは,倫理学という切り口です。

 本書では,今日の公衆衛生が直面しているさまざまな課題が,最新の議論をもとにわかりやすく整理されています。並んでいるトピックは「肥満対策」をすることの問題から,ちまたでみかける自己責任論の是非,はやりの手法「ナッジ」が孕む倫理的課題,パンデミック下の倫理まで,いずれも医療者なら「モヤモヤ」を抱いたことがあるものばかりではないでしょうか。もちろん,どのトピックも一つの決まった答えを導けるようなものではありませんが,何がどのように問題なのか,そこにどのような価値の対立構造があるのかがクリアに理解できるようになっています。

③医療者にとって,「より良く生きること」「健康に生きること」の価値を疑うことは簡単ではありません。その価値を提供している自分たちの正しさを疑うのは,なおのこと難しいと思います。他分野の知に触れることは,自分が立っている場所を外から謙虚に眺めることに通じると実感しています。ぜひ幅広く学んでください。


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祐ホームクリニック大崎 院長/上智大学グリーフケア研究所 客員研究員

死を前に立ち現れる「希望」

①大学卒業後,プライマリ・ケア医として地域医療や在宅医療にかかわってきました。プライマリ・ケアの臨床で経験する多くの問題の中でも,特に自分にはとらえきれないと感じていたのが「死」の問題でした。薬物治療がそれなりにできるようになっても,看取った患者さんの数が増えていっても,死を前にした人たちの考えや選択は自分の価値観を大きく超えるもので,死を前にした患者さんやご家族の深い苦悩に触れるたびに困難を感じる日々でした。

 そんな難しさを抱えながら過ごすある日,上智大学がグリーフケアの講座を開講するお知らせをネットで見つけました。出願の締め切りはわずか3日後でしたが,「今の悩みと関係する学びがあるかもしれない」と思い大急ぎで出願しました。開講式の日の初回授業は「死生学概論」。それが死生学との出合いでした。日本の死生学は,死と死にゆく過程を対象とする欧米の死学も含み込みつつ,生と死を表裏一体のものとしてとらえる学際的な領域です。講座修了後,大学院が設立されたので進学し,在宅医の死生観をテーマに研究を行い,博士論文を執筆しました。自然科学的なものの見方と人文・社会科学系の考え方には大きなギャップがあり,正直苦労も大きかったです。しかし,徐々に慣れてくると,自由に考えて,それを自分なりに表現し,他の人にコメントをもらって磨いていくという学問の面白さを体感できるようになりました。

②私の「推し本」は死にゆく人の声に初めて耳を傾けたことで知られる,エリザベス・キューブラー=ロスの『死ぬ瞬間――死とその過程について』(中央公論新社,新版2020年)です。死生学の古典でもあり,読んだことのある方も多いのではないでしょうか。

 書物を単に「知識を得る」ものととらえると,本書は「死の受容の5段階(否認→怒り→取引→抑うつ→受容)」を提示しただけということになるかもしれません。しかし,本は知識を伝えるだけでなく,考え方を鍛えたり,自分の経験できない世界を生きさせてくれたりするものでもあります。表現を味わい,考えながら本書を読むことで,死を否認する社会にいながら死を前にした時間を生きる人々の語りの豊かさと深み,それを聞くことの困難に接近することができます。医療現場では語りに対する表面的な理解で「受容」が治療目標のように扱われがちですが,本書を丁寧に読むことでロスの描いた「受容」は決してそのような状態ではないことも理解できるでしょう。

 特に私が好きなのは,「希望」に関する記述です。5段階のどこにいようとも,新薬ができるかもしれない,奇跡が起こるかもしれないといったはかない希望を人は胸の奥に持ち続け,それが彼らを支えています。それは決して「医学的に正しい」ものではないかもしれません。しかし,死という圧倒的な不条理を前に,希望は人が人として生きるためになくてはならないものです。医療者として,この「希望」をどう支えられるか,本書を通して考えてみてはいかがでしょうか。

③医師は人と向き合う職業です。もやもやすることも多いですが,医学以外の多くの知と接続しながら考えられることが臨床の奥深さでもあります。人の意味の世界を考える時に,人文・社会科学系の知は大きな力になります。人生の転機は偶然やってくることもあるので,興味を持ったら気軽に学んでみてください。新たな世界が広がるかもしれません。


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国立病院機構新潟病院 病院長/ヘルスデータサイエンティスト協会 理事

人類学の知と次元を超えた臨床実践に向けて

①私の場合,臨床体験から人文・社会科学領域の知を求めたのではない。イデオロギーや信念・宗教対立を引き起こした1960年代の世界的学生運動や全共闘運動世代を乗り越えるため,人文科学や哲学に惹かれ,人類学を通して医学を深めたいと思ったからなのだ。1958年生まれの私には,二重らせんDNA構造を発見したワトソン・クリックらへのノーベル生理学・医学賞(1962年),量子力学の朝永振一郎へのノーベル物理学賞(1965年),アポロ11号の月面着陸(1969年),大阪万博の開催(1970年)は強い知的刺激だった。物理学やDNAを極めたいが,一方で人間や自分を理解したい気持ちが芽生え,還元主義では人間理解は不可能という考えに至った。先輩たち,全共闘世代は教条的マルクス主義者かレッテル貼り(ラベリング)論者でしかなく,いかに先輩たちと違う存在になれるかが自分の課題となった。ちょうどその頃,万博公園跡地に民族学博物館の建設が決定(1974年)され,初代館長に京大の梅棹忠夫教授が任命された。彼の学問や方法論『知的生産の技術』(岩波書店,1969年)から,人類学(anthropology)の研究手法がわかり,マルクス,キリスト,ブッダまでをも相対化し,知的に吸収できるのではないかと思いを馳せた。

 高校生になった時,青土社の月刊誌「現代思想」が発刊(1973年~現在)され定期購読を始めた。そこで,高校の大先輩の柄谷行人の理論,科学哲学,文化人類学,ソシュールの言語学などに触れることができた。これらは構造主義運動であり,その後ニューアカデミズムとして発展していった。高校卒業前になり,人類学を通して人を生物学的・心理社会的に理解するという方向性の素晴らしさから,物理学への誘惑を断つことにして,最終的に医学を選択した。赤ひげに憧れたのではなく,人間を科学的に探求したかったのである。その頃,まだ医学進学課程というシステムが残っており,大学入学の最初の2年間は全学の教授たちからも直接指導を受けられ,「人間科学ゼミナール」という自主ゼミを藤沼康樹氏(家庭医療学開発センター長)たちと設立した。人類学とは,人を対象とする学問の統合体であり,その中にあって,病い・健康概念すら相対化し科学的に論じるのが医学と考えた。人類学には,医学専門領域だけでなく,行動科学,脳科学,社会学,言語学,比較遺伝学,考古学はもちろんエコサイエンス全体が含まれる。医学は人類学に統合できるという考えは学生時代から現在まで一貫して変わらない。WHOの健康概念がまずあり,そこから医学を構築しようとする人々とは今でも一切かみ合わない。

②ビル・モイヤーズのTVインタビューを基にしたジョーゼフ・キャンベルによる『神話の力』(早川書房,2010年)という貴重な書籍を薦めたい。YouTubeで検索するとオリジナルTV映像(The Power of Myth)にアクセス可能で英語学習にも役立つ。書籍は良くまとまっていて読み応えがある。宗教的物語から古代神話まで古今東西の物語を用いて,人の誕生から成長・発達,イニシエーション,老化,死,喪失,復活,再生,紛争,愛,平和,医学的な課題までも論じており,文化的相対性の中でこれらの意味の普遍性を教えてくれる。レジデントはこの本から,ナラティブアプローチの本質とその素材に触れることができると同時に,キャンベルの博識に驚かされるだろう。古代の名著への興味だけでなく,文化人類学を学ぶきっかけも得られるに違いない。

 1980年代にナラティブアプローチは再勃興し,認知革命と共に心が復権した。その頃の心理学は心の存在を前提としない行動心理学となっており,刺激→応答問題にすり替わってしまっていた。1990年にジェローム・ブルーナーは『意味の復権――フォークサイコロジーに向けて』(ミネルヴァ書房,新装版2016年)を出版,マイケル・ホワイトとデイヴィッド・エプストンも同年『物語としての家族』(金剛出版,新訳版2017年)を発刊した。ナラティブ論では,人が事象(event)を認識しようとする時,事象そのものは直接認識できないが,心の中で表象(representation)として,ナラティブ(物語+言葉)を使って認識できると考える。難病になると不幸になると考えるのはドミナント・ナラティブであるが,適切な医療・ケア・リハビリテーションにより病いの意味は再構成され,代替ストーリー(alternative story)が生まれ,人は適応して前に歩めるというのがナラティブアプローチである。まさに,緩和ケアや難病ケアの基本と言えるが,学習は容易ではない。患者側も医療者側も,ナラティブを思い描く能力が必要だからである。上述の『神話の力』を読むと,この能力が自分にも備わっていることに気づかされるだろう。

③医師にとって患者の問題を考え続けることは重要だが,一時離れ, 別のことを学ぶ時間を確保することが最も重要である。現代の医師は,専門分野と語学,数学,情報科学の学習を怠らず,自己を変革しつつ,人間科学者(人類学者)として医学を追求することができれば,自然に人文科学も学べ,次元を超えた臨床力・研究力を身につけることができるだろう。


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京都大学大学院人間・環境学研究科 准教授

医学を相対化・批判する視点を持つ

①現在,精神科医をしながら,京都大学大学院人間・環境学研究科で教員をしています。主に学部生のいわゆる一般教養科目を教えたり,大学院で精神分析の理論や精神病理学という人文科学と臨床の境界領域の研究を行ったり,学部生・大学院生の指導をしたりしています。

 私の通った医学部は当時単科大学だったこともあり,一般教養科目の種類がとても限られていました(今の医学部生の話を聞くかぎり,どこの大学でも同じような状況が続いているのではないかと思います)。私の場合は中高生の頃から哲学や現代思想に興味があったので,医学の勉強にそれほど身を入れていたわけではありません。この記事を読んでいる医学部生の中にも,医学の勉強だけをすることにどこか物足りなさを感じている人が少なくないかもしれません。

 しかし,その限られた一般教養科目で,多くのことを教えてもらいました。特に,医療人類学の講義で,医療の在り方を相対化してとらえる見方を学んだ経験は大きいです。医学の勉強だけをしていると,「病気は悪いもの」であって,「治すことが正しい」と考えてしまいがちです。しかし,もっと広く視野をとれば「何を病気とみなすのか」「何をもって治療とするのか」「治すことだけが正解なのか」といった問いが無数に現れてきます。そのような考え方が,現在でも臨床で大いに役に立っています。実際,精神科の治療では,患者さん本人の中に病気があるというよりも,むしろその患者さんの対人関係の在り方や,周囲の環境(職場や家庭)のほうに大きな問題があることがあります。そんなとき,「悪いものである病気を治療する」とすぐに結論するのではなく,一歩立ち止まって患者さんと一緒に悩んでみることが重要です。

②おすすめしたいのは,ミシェル・フーコーの『臨床医学の誕生』(みすず書房,新装版2020年)と『狂気の歴史』(新潮社,新装版2020年)という書籍です。これらは,現在の皆さんが学んでいるような,実地での研修に支えられた臨床医学や精神医学というものが,ある一定の物事の見方の中で成立してきた様を克明に描き出したものです。もっとも,前提知識なしに読むのは難しいかもしれません。最近では新書で優れたフーコーの解説本が出版されていますから,それを手引にしながら,苦労して読み解くのがいいと思います(わかりやすさが求められる医学の参考書とは違って,こういう人文書は,それを苦労して読んだ経験が後々生きてきます)。

③ある状態が病気だとみなされるのはどうしてか? 本人が希望していないのに強制的に治療が行われることがあるのはなぜか? 特に精神疾患の場合,強制入院の制度がいまだに存在しているのはどうしてなのか? 治療しなければならないのは社会のほうではないのか?――こういった当然出てくるはずの疑問を,医学の勉強はしばしばかき消してしまいます。医師になって臨床現場に出るようになると,そういった疑問を抱く時間すらなくなるかもしれません。だからこそ,医学部生のうちに医学を相対化したり,時には批判的に検討したりする視点を身につけることが重要なのです。


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鳥取大学医学部地域医療学講座 講師

人間の「行為」が持つ意味

①私が最初に哲学に出合ったのは学部での教養科目においてでした。高橋哲哉先生(東大名誉教授)の「哲学概論」という授業で,ハイデガーの存在論,アレントの政治哲学,レヴィナスの他者論などを紹介していたのです。とにかく面白い! というのが感想でした。なぜなら,哲学では「人間とは何か」「人はなぜ生きるのか(あるいは死の意味とは)」といった問いを考えるからです。そこで当時,アレントの『人間の条件』(志水速雄訳,筑摩書房,1994年)という本を買ってみました。しかし,これが大変難しかった……。読んでいても意味がわからず,一向に頭に入ってこないのです。しかし哲学への興味は尽きず,当時は解説書を読むことで満足していました。その後,医学の学びが始まり,哲学からはしばらく遠ざかっていました。

 医師になって20年ほどたったとき,またアレントの『人間の条件』を手に取り,何気なく読んでみました。今度はかなり「わかる!」という感じがして,その面白さにのめりこみました。アレントの思想は,一言で言うと,私たちが社会の中で行う「行為」にはどのような「意味」があるかを教えてくれます。アレントは統計学や社会科学がとらえる集団的な「行動(behavior)」とは違い,唯一性を持つ個人の「行為(action)」は,その例外性や逸脱性ゆえに「意味」を持つと言います。それは例えば,病いを抱えた患者が,複数の人間関係の中でどのような「物語」をつむぎ,それがどのように「意味」を持つのかということにもかかわっています。私たち医療者が,患者の病いの物語を聴き,それに対してケアを行うとき,アレントの「行為論」は大きな意味を持つのです。

 また,大学時代,高橋哲哉先生の授業で聞いたレヴィナスの「顔」という概念も,深く印象に残りました。しかし,当時はその意味が全くわかりませんでした。わからないからこそ,20年心に記憶していたのです。これも最近,レヴィナスの『全体性と無限』(講談社,2020年)という著作を読み,その深い意味について知りました。レヴィナスの哲学は「他者」のとらえ方にその特徴があります。私たちにとって他者の「顔」とは,他者が存在論レベルで私たちに呼びかけてくるところの根源的なものを指しています。私たちが他者の「顔」に接するとき,私たちは他者と深いレベルで応答し,対話していると言うのです。このレヴィナスの「他者論」も私の臨床における人間観に深い影響を与えました。

 今,私はフィンランドで実践されている対話的治療「オープンダイアローグ」にもヒントを得て,レヴィナスやバフチン(対話に関する言語論的哲学の提唱者)の哲学を取り込んだ対話実践を,プライマリ・ケアの臨床で試みています。来年の春には『対話のはじめかた(仮)』というケア従事者向けの対話実践に関する書籍を刊行できるよう,鋭意執筆中です。

②皆さんにオススメの一冊はハンナ・アレントの『人間の条件』(牧野雅彦訳,講談社,2023年),あるいは同じ書籍のドイツ語版からの翻訳『活動的生』(森一郎訳,みすず書房,2015年)です。『人間の条件』はドイツ系ユダヤ人であるアレントが英語で執筆した書籍なのですが,ドイツ語版の『活動的生』のほうが,より本人の思想の核心に近づいていると言われます。マニアックな人には後者をお薦めします。

③医学生・研修医の方々には,とにかく人文学(哲学,歴史学,文学)に親しんでほしいということです。哲学の解説書でも構いません。自然科学は法則性・予測可能性には優れた力を発揮するのですが,人間の感情や行為の「意味」については全く教えてくれません。人文学の知は,「人間」という存在に深くかかわる私たち医療従事者にとっても深い洞察を与えてくれるものだと,私は確信しています。


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ハーバード大学医学部救急診療部/山梨大学大学院総合研究部医学域社会医学講座

病院・医療の枠を超え,自らの航路を切り開く

①私がまだ研修医だった時,一人の印象深い患者がいた。彼はまだ30歳前後だったが,重度の2型糖尿病を持ち,既に透析が開始されていた。彼は糖尿病の家系で,元々明らかな高リスクの健常者だった。しかし,高校を卒業して一人暮らしを始めた頃から1日約1万kcalの食事を続け,足が痺れたと言って病院に駆け込んだ時のHbA1cは15%を超えていた。彼はまだ若かった私にいろいろな話をしてくれて,つらい業務の中に多くの笑顔をもたらしてくれた。治療に当たって言うことを聞いてくれないことも多かったが,彼に会うのは当時の楽しみの一つだった。しかし,彼は私の担当中に心不全で亡くなってしまった。深い悲しみと共に,医師としての無力感を感じた。同時に,自分にバトンを渡された時には既にできることなど何もなかったのではないかという憤りを感じた。私は,病院に来る前に起きていること,医療という世界の外で起きていることをどうにかしなければ,このような患者を永遠に救えないのだと強く感じた。気づいた時には,大学の公衆衛生の講座の門を叩き,「全ての病気を予防できる社会を創りたい」という途方もない目標を指導教官の山縣然太朗教授(山梨大大学院総合研究部医学域社会医学講座教授)に伝え,初期臨床研修修了後には公衆衛生の道に進んでいた。

 山縣先生は,右も左も分からなかった私に,先制医療の概念を教えてくださった。先制医療は京大元総長の井村裕夫先生が2011年に提唱された医療概念であり,その文字通り「先に病気を制する」医療のことである。すなわち,超早期に人間の臓器や身体の変調を検出し,あらゆる疾患を発症前の介入により制圧する医療のことを意味する。私はこの先制医療の概念を社会実装することを目標に据え,研究を進めてきた。具体的には,数理・AIモデルをオミックス情報(遺伝子・タンパク質などの人間の生体情報の集合体)と組み合わせることで人間の疾患や健康状態を仮想空間上に表現し,超早期から疾患を可視化・制御するための研究を,統計数理研究所や米ハーバード大と共に進め,現在では同研究の社会実装を行っている。しかし,話はそう単純ではない。どんなに早く病気を検知してその介入法を知っていたところで,実際に人間の行動を変えない限り意味はないのである。

②そこで私は一冊の書籍に出合う。ノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラー教授の『NUDGE――実践 行動経済学』(日経BP,完全版2022年)である。NUDGE(ナッジ)とは,直訳すると「肘でつつく」という意味だが,セイラー教授が提唱するナッジとは,人が意識せずとも良い行動を取るようそっと後押しする「仕掛け」のことを指す。例えば,大学の食堂などで,あえて健康的なメニューを注文されやすい日替わりランチに設定するなど,生徒や教員が健康を害さないように選択を「そっと後押しする」のだ。つまり,良い行動を直接的に推奨するのではなく,自然とそれを選んでしまうような仕組みを作るのである。これは医療においてもさまざまな場面で重要になってくる。いかに患者さんに健康的な生活を送ってもらうか,治療を遵守してもらうか,病院に来てもらうか。彼らの病院の外での生活にまで目を向けて,患者さんが自発的に協力したいと思う「仕掛け」を医療の提供側が意識できなければ,治療が医学的に正しいとしても,それは医療としては正しくないのだろう。読者の皆さまがどのような分野に進むにせよ,本書には人間や集団をより良い方向に動かすための大きなヒントがちりばめられており,ぜひ一読することをお勧めする。

③私は医学部を卒業して約10年間,病院で働くという既存のレールを無視して自分が正しいと思う方向に進んできた。周りの医師からは白衣を脱いだと冷たい目で見られることもあったが,その信念を曲げなかったことが,今の自分につながっている。医学生・研修医の読者の皆さまにおかれては,自分が何を一番にやりたいのか,常に自分に問いかけながら学びを続けてほしい。その核にある部分は10年がたっても変わることなく,気づいた時には自分が満足する場所にたどり着いているだろう。病院や医療,そういったものはこの世界の一部でしかない。ぜひ全ての枠を取り払って,自分の興味と才能を一番に生かせる方法を考え続けてほしい。


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神奈川県立保健福祉大学大学院ヘルスイノベーション研究科 准教授

臨床の上流にある「根本要因」を明らかにする

①私は現在,臨床を離れ,公衆衛生系大学院で社会疫学や健康行動科学を教えています。社会疫学とは,健康の社会的決定要因を明らかにする学問です。例えば,社会経済的状況と呼ばれる学歴,収入,職業は,それ自体がその人の健康状態や寿命を決定する要因となっていることが既に明らかになっています。他にも,子ども時代にどのような環境で育ったか,どの程度社会的なつながりを持っているのか,どのような職場環境で働いているか,患者の性別が置かれている社会的状況はどのようなものか,紛争や社会情勢はどのようなものか等が,健康を決定する要因として報告されています。

 社会疫学者の道に進んだ最初のきっかけは,学生の時の臨床実習で特に糖尿病の患者さんを担当した時,「この状態になる前に何か予防策はなかったのか」「病気になるもっと前から介入すれば,そもそもこの人は病院に来る必要さえなかったのではないか」という強烈な不全感を感じたことです。そして既に病気になった人ではなく予防にかかわりたいと思い,まず公衆衛生大学院に進むことを決意しました。その後米ハーバード大の公衆衛生大学院に客員研究員として滞在する機会を得て,本格的に社会疫学者の道を進みます。

 自分でも日本のデータを使って研究を進める中,日本の中にもさまざまな健康格差があることがわかりました。例えば,日本国内でも市町村によって明らかに寿命の格差があります。また,学歴や収入が低いほど喫煙率が高いことは世界共通の傾向です。他に,パワーハラスメント(パワハラ)が起きている部署に勤務していると,直接パワハラを受けていなくても将来的にメンタルヘルス不調になりやすいこともわかりました。実は患者の健康は,思った以上に患者本人が置かれた状況(家庭,職場,地域)に強く影響を受けるのです。

 よく社会疫学では,「上流の対策をせよ」と叫ばれます。臨床医学は,下流で患者を待ち受ける立場です。そのため既に怪我をした人や病気になった人を治療するのに忙しく,「なぜそもそもその人がケガをしたのか,病気になったのか」を考える時間がありません。しかし問題が起きている上流(要因)を調べることによって,実は怪我をしやすい特定の環境があった,患者の家族全員の食生活が特殊だった(例:全ての食品にマヨネーズをかける習慣がある)等が判明することがあります。その場合,その環境を変えなければ新たに怪我をする人は減りませんし,病気の状態も良くなりません。患者だけに教育をしても,多くの場合問題は解決しません。なぜなら,元の環境や家庭に戻れば,依然として高いリスクに晒され続けるからです。

 もちろん疾患には環境要因ではなく遺伝的要因が強いものもありますが,いかに上流にある「根本要因」を明らかにし,そこにアプローチしていくかという視点を持つことは,疾患のさらなる悪化や再発を防ぐためにも必要だと言えます。近年,英国では医師による「社会的処方」という概念も広がっています。これは,薬を処方するのではなく,社会活動を処方することで患者の健康度を包括的に上げるというものです。日本でも,臨床医学に社会疫学的視点がもっと取り入れられ,より効果的な疾患の未然発生防止ならびに患者の疾患の改善と再発予防が実現できる環境になることを願います。

②『社会と健康』(東京大学出版会,2015年)を薦めます。どのような社会的要因が人々の健康に影響を与えるのかについて,日本で行われた研究成果等を紹介しながら解説する貴重な一冊です。

③医学生,研修医は,社会全体で見れば非常に恵まれた家庭に育ち,学歴が高く,社会全体から見ると将来的に高収入が得られる集団です。しかし世の中は,そういう人ばかりではありません。健康的な行動を選択できない人がいても,「こんなこともできないの?」と馬鹿にせず,「そういう選択しかできない何か事情があるのかもしれない」という視点で背景要因を理解する立場でかかわってほしいと思います。


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