医学界新聞

対談・座談会 森田達也,田代志門

2023.07.24 週刊医学界新聞(通常号):第3526号より

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 臨床現場で何だかもやもやする出来事に出くわしたけれど,状況をどう整理しどう考えればいいのかわからない――。書籍『臨床現場のもやもやを解きほぐす 緩和ケア×生命倫理×社会学』(医学書院)1)では,そうした臨床でのもやもやに関して,緩和ケア医の森田氏と生命倫理学者/社会学者の田代氏が往復書簡での議論を通して,「それでどうするの」「なんでそうなるの」という問いへの実践的な解を与えることをめざしています。

 本紙では,両氏による対談を企画。臨床現場と人文・社会科学領域の知見の近接するポイントを瞥見した上で,ACP(Advance Care Planning)にまつわるもやもやについて話しました。

森田 田代先生は医療のフィールドで長く活躍されていますが,人文・社会科学の研究者でありながら,どうして医療現場への関心を持ったのですか。

田代 私は社会学と生命倫理学を専門としていますが,そうした学問が臨床現場でどのように生かせるのかに関心を持っていました。同じ領域の研究者間で議論を詰めて精度を上げるのも面白いのですが,一度も抜かない刀を研ぎ続けているような感覚もあり,時にはどのくらい使えるものなのか確認しながら研究を進めるべきなのではとの思いがありました。

森田 現場志向性が強いのですね。

田代 はい。症例検討会で医療者の皆さんが話し合っている際に,自分の中にある知識のストックを活用することがあるのですが,さまざまな事柄を説明する力のある言葉や概念もあれば,全然役に立たないものもあります。現実の場面で機能させることで概念や理論をブラッシュアップしたり,臨床の医療者の疑問から研究を展開させるサジェスチョンを得たりしています。そのように現場と研究の間を行ったり来たりしながら考えを煮詰めていくことに面白さを感じます。

 森田先生は人文・社会科学領域の知とはどのように出合われましたか。

森田 医師になって3年目,ホスピスでの緩和ケアに携わるようになってから,患者の意向や価値観に接する機会がぐんと増えました。患者の意向を受けて実際の処置をどうするのか,医療者の間で議論を進めると意見がいくつかに分かれるわけです。そして,そのいずれもがもっともらしく見える。答えのない問いにどう結論を出せばいいのか……と逡巡する体験が,人文・社会科学とのファーストコンタクトだったように思います。自分たちの持っている医学の知識だけでは対応し切れないエリアがあると気づきました。

田代 臨床の世界は良くも悪くも結論を出す必要がありますよね。反対に人文・社会科学系の学問の世界では結論をいくらでも先延ばしにできる部分があり,それにも良し悪しがあります。

森田 臨床の医療者は,たとえ普段の仲がうまくいっていなかったとしても,目の前の患者にとって益があるとなれば一致団結して決断を下し,事に当たりますからね。

田代 現場を持っていることの強みでしょう。自分たちの行為がどのような結果を生むのかをしっかり見据えつつ迅速に判断していくことは大切で,私自身そこから多くを学びました。

森田 「医学教育モデル・コア・カリキュラム」(令和4年度改訂版)では,文化人類学や社会学といった人文・社会科学領域の学修目標が導入されました。しかし,誰がどう教えるのかは模索段階にあります。

田代 複数の大学で医学部生を相手に講義を行った経験から,なるべく具体的な事例を扱って,想像力を喚起しながら教えること自体には意義があると考えます。けれども,実習も未経験で臨床の事情をほとんど知らない学生たちは学びへの動機に乏しいと言わざるを得えません。人文・社会科学の知を医療者が学ぶとすると,臨床での経験が十分にある方たちの生涯教育がメインになるのではないでしょうか。

森田 同感です。まずは現場に立ってからだと。

田代 一方で,そうした知への入り口を作ることも大切だと考えていて,今回の書籍『臨床現場のもやもやを解きほぐす 緩和ケア×生命倫理×社会学1)は1つのモデルになったのではと思います。学生向けの教科書はありますが,臨床の医療者が読んで面白いかと問われると必ずしもそうではありません。読み物として面白く,自身の臨床にぐっと引き付けて考えられるような内容をめざしました。

森田 書籍では,私が臨床の視点からあるテーマに関する事例を提示して,緩和ケアの立場から望ましい対応を解説した上で,田代先生が生命倫理の立場から論点を整理し,ひとまずどうすべきかについて方向を示します。以上を受けて再び田代先生が社会学の立場からもやもやを生む社会構造を解説し,最後に私が臨床家へのサジェスチョンを整理するという構成を取っています。特に後半の社会学の視点は私にとって新鮮で,面白く読みました。

田代 企画当初,社会学的な視点は臨床ではあまり役に立たないだろうと考えていたのですが,書き進めるにつれ重要性を感じるようになりました。というのも,社会学は自身がその一部でもある社会を一歩引いて見ようと苦闘してきた学問でもあり,俯瞰的な視点に長けているからです。臨床では,目の前のケースにコミットしすぎて方向を見誤る場合もありますが,社会学的なスタンスは一歩引いた視点を担保してくれます。

森田 臨床家としても,少し引いた場所から自身のもやもやへの新たな視座を与えられることは心地良いと感じられそうです。

田代 前向きにさまざまな決定を下すカンファレンスにはなじまないかもしれませんが,臨床家が行った実践を振り返るリフレクションの場とは相性がいいのではないでしょうか。リフレクションをするには,実践を行った自分自身から少し距離を取る必要がありますから。

森田 ACP(Advance Care Planning)に関するもやもやについても話しておきたいです。私がもやつくのは,患者に希望をたくさん話してもらったところで,希望を実現するための医療体制や法の整備等が進んでいないことには,どうしようもないという点です。加えて,先々のことを前もって話しても仕方がないのではというもやもやもあります。人の希望は時間経過やそれに伴う状況の変化によって,容易に変わり得ます。

田代 ACPでは基本的に,病状が進行して,患者自身では意思決定ができない状況が想定されているわけですよね。その場で自分が意見を言えないため周囲の人に依頼する状況ですから,必ずしも自身の意思が反映された処置を受けられるとは限らないという。

森田 そうです。

田代 私は現実のACPには,2つの異なるレイヤーが混在しているのではないかと考えています。1つは,前もって自分の将来のことを決めて,固定してしまうという系統の話です。“拡大された自己決定”とでも言えそうですが,これはACPの前史とも言える事前指示書(Advance Directive:AD)的な発想ですね。もう1つは,本人が意思決定できなくなっても,本人の存在を中心に置きながら,家族や医療者等周囲の人たちが物事を前に進めていくための関係づくりをあらかじめしておくといった系統の話です。前者と後者には重なる部分もありますが,大きく異なるのは,前者の自己決定を貫徹させようとするスタイルではどこかで無理が生じる可能性が高い点です。実際には実現できることもあればそうでないこともあるわけですから。

森田 ええ。ですから,患者に意向を表明させるだけではなく,希望をいかに実現させるかに力点を置いて体制を整備するのがまず先なのではと思っています。その上で,希望が必ずしもかなうわけではないことを伝えるのが妥当でしょうか。

田代 そう思います。将来の選択には不確実性が織り込まれていて,完全にコントロール下に置くことは不可能だと踏まえておく必要があるのだと思います。未来のことまで全て自分の思い通りに決められるという感覚がある種の幻想なのだと。

 また,そもそも自己決定だけが大事な価値なのかという議論もあります。人類学者アネマリー・モルは著書『ケアのロジック――選択は患者のためになるか』(水声社)2)の中で,現代社会では自分で選択することの価値が肥大化しすぎているけれど,選択すること自体に価値があるわけではないとの論を展開しています。

森田 そこで用いられる「選択」は,自己決定と同義なのでしょうか。

田代 同じだと考えていただいて問題ありません。そもそも自己決定と本人利益は本来緊張関係にあるはずですが,本人が選べばそれが良いことだとの価値観が現代では優勢になりすぎてしまい,それ以外の価値が見えにくくなっています。その意味で,運用次第では,自己決定への偏重を助長する装置になりかねない側面がACPにはあるのかもしれません。

森田 田代先生が2つ目に挙げた,本人を中心に置いて,本人利益が最大になるよう協力していくチームを作るという発想は,そうした自己決定の理論とは異なる考えに立脚しているわけですね。

田代 はい。本人による自己決定一辺倒ではなくて,本人を中心にしつつも,周囲の人間も含めたチームでより良いと思える共通解を探るようなACPの在り方です。こちらのほうが実際的なのではないかと私は考えています。

森田 もちろん強固な価値観を持っていて,自己決定に重きを置くタイプの患者も少数ながら存在します。そうした患者に関しては自己決定をなるべく実現させる方向で対応すればいいけれど,そうでない大多数の人にまで未来の選択を迫るのは悪手でしょう。先のことばかりを見据えて今現在,目の前の生き方に目を向けないのでは本末転倒です。

田代 未来に対する今現在ということですが,ACPを考えるに当たって,社会学者の真木悠介が『時間の比較社会学』(岩波書店)3)で展開した時間意識の議論はヒントを与えてくれるかもしれません。先々に備えて今のうちに決められることを決めておきましょうというACPの発想の前提には,直線的な時間意識があります。時間が過去から現在,未来へと一方向的に伸び続いていくイメージですね。これは,私たちの日常において支配的な感覚です。ある時点に学会報告があるから,その手前のどこかのタイミングで文献を読むなど,先のほうにするべきことがあって,そのために今を使っていくような時間感覚を指します。

森田 確かに,日常生活ではそのような感覚で過ごしています。

田代 それとは別に,今ここに重心を置いた時間意識もあります。緩和ケアの領域では,こちらの時間意識を大切にしてきたのではないでしょうか。なぜなら,直線的な時間意識を強調することは,自身の死への恐怖とつながるからです。大多数の人間は今ある時間がずっと続いていく感覚で生きていて,来年の仕事なども平気で引き受けてしまうわけですが,余命数か月の状況におかれた患者は少し先の未来に予定が立つことはないという現実を直視することになります。

森田 先のことばかりを考えて死が怖かったのが,ある時目の前の一日一日を大切に生きようとの方向に考えをシフトした途端,解放されて気が楽になったという話を患者さんから聞いたことがあります。そういう意味でも,未来の選択をしておくこと,それを実現することにばかり気を取られて,今ここで患者が何を感じているのかへの意識が希薄になってしまってはいけないですね。基本的には目の前の出来事にフォーカスしつつ,必要があれば先々のことも考えるといった運用が適当なはずですが,医療現場ではそのバランスが崩れがちです。

田代 私自身もそうですが,医療者や家族は,どこまでいっても直線的な時間意識から抜け出るのは難しいのだと思います。周囲の人間は患者が亡くなったらその先に自分たちのやるべき仕事があるし意識もするわけですが,それは患者本人から見える世界とはおそらくずれている。そのずれが,バランスを欠きがちな原因の1つとしてあるのかもしれません。

森田 医療者はつい未来に目を向けてACPをどうするといったことを考えがちです。その目線に患者とのずれがあるのですね。未来のことばかりを考えないよう気を付けながら,先に挙げたチームでより良い方向性を探る作業を地道に行うのが現実的な方策でしょうか。

田代 チームでのいわゆる人生会議で話し合いを繰り返すうちに,もともと考えていたこととは違う考えが浮かんできたり,合わないと思っていた周囲の意見を悪くないと思うようになったりと,患者側に変化が生じるケースも少なくないようです。

森田 ACPのプロセスを通して人生や生命にはアンコントローラブルな側面もたくさんあることに気付き,受け入れて,今現在に目を向けられるようになることもあるでしょうね。そうなってくるともはやACPと言う必要もなくて,本人を含めた単なる多職種会議なのではという気もしてきます。

田代 確かにそうですね。ただ従来の多職種会議とは違い,その場に本人がいることが前提になっている点が大事なのだと思います。意思決定のプロセスに本人を巻き込んで,一緒に決めていく。そして本人が決められなくなっても本人中心のチーム編成を保つことで,ACPが本来的にめざすところが実現するのではないでしょうか。

森田 医療の目的のために,本人の大切にしている価値観を引き出すやり方に危うさを感じることがしばしばあります。将来的に医療的な処置をどう行うかを決めておきたいとの目的が医療側の根底にあって,その目的のために性急なやり方で患者から情報を引き出すといったスタイルです。

田代 患者に価値観を尋ねておくこと自体は間違っているわけではないし,倫理的にも正当化できると私は考えています。先々にわたる選択を事細かに確認していても,実際にその時が訪れると個別具体的な状況に対応できないことは往々にしてあります。ですから,どのような場合にも対応して判断が下せるよう,選択の根拠となる価値観を聞いておくことには一定程度の妥当性があるはずです。

森田 私が引っかかっているのは,順序が逆転している点です。つまり,本人とのコミュニケーションを重ねて関係性を構築し,日々の何気ない会話の中でにじみ出てきた価値観を感じ取って,それが結果として本人が意思決定できなくなった際に役立つのであれば,納得できるのです。しかし,先々の意思決定のために,関係性のできあがっていないうちから直接的に価値観を尋ねるのには違和感を覚えます。

田代 なるほど。確かに本人が何を大事にしているのか,どう生きたいのかは極めてプライベートな情報で,誰彼構わず開示したいはずがありません。それを引き出そうとする行為は暴力的になり得るため,手つきが乱暴にならないよう注意が必要です。

森田 患者の側から見ても,日々のやり取りを通して価値観を共有するのと,唐突に価値観を尋ねられるのとでは,結果としての処置が同じだとしても大きく印象が異なると思います。

田代 人生会議を通して意向が変わることもあると先ほど言いましたが,人の価値観は一定ではありません。誰かと話しながら改めて自身の価値観に気づくこともあれば,新しく価値観が生成されることもあり,尋ねられて常に同じ答えが出力されるような単純なものではないのです。ACPの実践に当たっても,人間の意思決定の複雑さを加味する必要があるでしょう。

森田 本日はACPの話題を中心に,臨床でのもやもやについて改めてお話しできてよかったです。未来の意思決定には本質的に難しいところがあって一筋縄ではいきませんが,今後も引き続き考えたいです。

田代 直線的な時間意識だけでは,死の恐怖とうまく付き合っていけないのだと思います。こうした時間意識は私たちの社会では常識的なものですが,臨床でのもやもやには,その常識を見直す契機があることを再確認できました。

(了)


1)森田達也,田代志門.臨床現場のもやもやを解きほぐす 緩和ケア×生命倫理×社会学.医学書院;2023.
2)アネマリー・モル(著),田口陽子,他(訳).ケアのロジック――選択は患者のためになるか.水声社;2020.
3)真木悠介.時間の比較社会学.岩波書店;2003.

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聖隷三方原病院 副院長/緩和支持治療科

1992年京大医学部卒。聖隷三方原病院緩和支持治療科部長などを経て,2014年より現職。12年より京大臨床教授。『患者と家族にもっと届く緩和ケア ひととおりのことをやっても苦痛が緩和しない時に開く本』(医学書院)など著書多数。共著書に『臨床現場のもやもやを解きほぐす 緩和ケア×生命倫理×社会学』(医学書院)。

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東北大学大学院文学研究科 准教授

2000年東北大文学部卒。昭和大研究推進室講師,国立がん研究センター研究支援センター生命倫理部長などを経て,19年より現職。『みんなの研究倫理入門』(医学書院)など著書多数。共著書に『臨床現場のもやもやを解きほぐす 緩和ケア×生命倫理×社会学』(医学書院)。

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