みんなの研究倫理入門
臨床研究になぜこんな面倒な手続きが必要なのか

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「研究倫理」は気が重い。提出書類の山、法令や指針の束、退屈な研修会……。「とりあえず念のためにやっておく」手続きにとらわれていませんか。形式的な「法令順守」を離れ、研究倫理のルールの考え方に立ち返り、頭をひねって考えてみよう。
症例報告に倫理審査は必要? 患者への謝礼はいくらまでなら許される?
──身近な疑問をめぐる対話から出合う研究倫理は、こんなに知的で面白い!

田代 志門
発行 2020年12月判型:四六頁:306
ISBN 978-4-260-04269-7
定価 2,640円 (本体2,400円+税)

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はしがき

 今、「研究倫理」という言葉を聞いて心が躍るという人はほとんどいないと思います。たいていイメージするのは、倫理審査委員会に提出する書類の山や遵守すべき法令や指針の束、そして退屈な研修会の場面ではないでしょうか。私は長らく研究倫理の研究や教育に携わってきて、こうした状況になっていることを少々残念に感じています。
 もちろん、好むと好まざるとにかかわらず、最近では研究倫理の議論に触れざるをえなくなり、その結果全体として研究者のリテラシーは上がってきました。昔はお飾りでしかなかった倫理審査委員会の「外部委員」の席には、今や患者会のメンバーや医療に関心のある市民が着くようになりつつあります。教科書やeラーニングプログラムをはじめとして、研究倫理に関する学習用教材も充実してきました。これは二〇年前の状況を考えれば驚くべき変化です。なにしろそのころには国内での共通ルールもなく、倫理審査委員会に申請することも患者から同意を得ることも当たり前ではなかったからです。
 しかしその一方で、ここ五、六年で法令や指針の整備が急速に進んだこともあって、人びとのなかで杓子定規な考え方が広がっているような気がします。研究成果を公表する際には中身にかかわらず倫理審査委員会の承認を得たり、ありとあらゆる研究で患者から書面で同意を取ったりするのもその一つです。もちろん倫理審査や同意は大事な手続きですが、何のためにそれが必要なのか、ということが忘れられ、単に自己防衛のための形式的な「法令順守」(とりあえず念のためにやっておこう)に陥っているのではないでしょうか。

 そんななかで、私はこの本を法令や指針の細かな規定をいったん離れ、そもそも何のために研究倫理のルールがあるのかを学ぶことを目的として書きました。特に医療現場で行われる研究を念頭においているので、捏造や改ざんのように科学一般に関する話題ではなく、患者を巻き込んで行う臨床研究に特有の問題を取り上げています。
 ところで、法令や指針の解釈ではなく、基本的な考え方を取り上げたのには理由があります。一つには法令や指針はどんどん変化するので、そのつどアップデートが必要で、あまり長持ちしない知識だから、という事情があります。しかしそれ以上に、実は目の前の問題解決にとっても、長い目で見れば基本的な考え方を知るほうが「役に立つ」と私自身が考えているからです。実際、医療現場で実施されている研究計画は多種多様で、目の前の法令や指針を機械的に当てはめても、どうしたらよいのかがわからないことがあります。そうしたときに、基本的な考え方を知っていれば、法令や指針をどう解釈すべきかが定まってくるのです(ゴールが明確になれば手段が定まるように)。さらには、学んだ考え方を発展させて、そこに明示的に書かれていないことについても、新たなルールを自ら提案できるようになるかもしれません。

 そういうわけで、この本では研究倫理の基本的な考え方を知るうえで必須の四つのトピック「研究と診療の区別」「インフォームド・コンセント」「リスク・ベネフィット評価」「研究対象者の公正な選択」のみを扱うことにしました。それぞれについて二話一セットで説明しているので、全体で八話構成になっています。もちろん、この他にも大事な議論はありますが、まずは必要最低限ということで話題を絞りました。
 とはいえ、それは必ずしも誰でも知っているような基礎的な内容だけを扱っているというわけではありません。今回選んだ四つのトピックについては、ごく基本的なところから解説を始めていますが、読み進めるうちに読者が最新の議論にたどり着くよう工夫しています(なかには必ずしも時代的に「新しい」話題ではないものもありますが、少なくとも私が大事だと考える論点は含めています)。というのも、実際ごく基本的な部分を除けば、研究倫理の考え方は常に論争的であって、唯一の「正解」があるようなものではないからです。そのため、本の構成も生命倫理学者、研究者(医師)、倫理審査委員会事務局担当者(看護師)という立場の異なる三人の対話という形式をとりました。これは単に読みやすさを考えてのことではなく、研究倫理の議論は何か専門家が一方的に教授するようなものではなく、異なる立場の人々が対話するなかで生み出されるべきだ、と私自身が考えているからです。
 もう一つ大事にしたのは、身近で具体的な疑問を出発点にして対話を進めていくことです。海外のアカデミックな研究倫理の議論のなかには、なかなか日本の医療現場と結びつけて考えにくいものが含まれています。いくら議論としては面白くても、今回はそういった臨場感のない話題は扱っていません。むしろ、「症例報告に倫理審査は必要なのか」とか「患者への謝礼はいくらなら許されるのか」といった素朴な疑問を真面目に取り上げて、考え方の道筋を説明しています。その他にも、幾つかの話では実際に日本で実施された研究計画をモデルとして、事例検討ふうに議論を進めました。研究倫理の議論は現実と切り結んでこそ真価が問われるものだからです。

 いずれにしても、この本では対話形式で研究倫理の基本的な考え方を学ぶことで、最終的には「研究倫理って(意外と)面白いな」と思ってもらえることを期待しています。実際、現実の書類とか法令とかの話を脇におけば、研究倫理の議論には独特の面白さがあります。それを私なりに言えば、「研究活動を社会的にデザインすることの創造性」ということになるでしょうか。
 少し考えてみてほしいのですが、一般的な医療行為に関する倫理的な問題(例えば目の前の患者の治療を中止すべきかどうか、といった問題)を考えるときには、現実には理屈だけではものごとは進みません。というのも、関わる人びとの感情やそれまでの経過に加え、そもそも「誰が」それをするのか、といったことを無視できないからです。そのため、臨床での長い経験とか患者からの厚い信頼といった属人的な部分が考慮されるでしょう(理屈のうえでそれが正当化されるかはともかくとして)。その一方で、臨床研究の「社会的なデザイン」ということになると、こうした部分はあまり大きな比重を占めません。むしろ、複雑なパズルを一つずつ丁寧に解いていくような知的な営みが必要となるからです。それゆえに、目の前の患者に対して誠実に向き合っているベテランの臨床医が、非倫理的な研究計画を立てることもあれば、人間的にどうかと思う若手の医師が倫理的に素晴らしい研究計画を立案することもあるのです。結局のところ、研究計画という人工物は、特定の人や行為から切り離されても存在しえるからです。
 とはいえ、現実にはたった一人の研究者が適切にデザインされた研究計画を立てることは極めて困難です。現実社会のなかで患者を巻き込んだ研究計画を「八方よし」で進めるためには、考慮すべき要素が多岐にわたるからです。だからこそ、いろいろな立場にいる人たちがどうしたら「善い」研究になるだろうか、と一緒に頭をひねるプロセスが大切になってきます(しばしば、臨床研究は「事業」である、という言い方がされますが、そこにはこういう発想が前提となっているように思います)。このプロセスのなかで行われる創造的で知的な対話にこそ、研究倫理の面白みはあるのです。
 この本を読んで実際にそう思っていただけるかどうかはわかりませんが、手続きとしての研究倫理に辟易している人びとにとって、また新しい目で日々の活動を見直す機会になればこれ以上嬉しいことはありません。それではさっそく始めていきましょう。

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はしがき

第一話 どこから倫理審査が必要なのか研究と診療の区別[その1]

第二話 「実験的」な医療研究と診療の区別[その2]
 研究と診療の区別 さらに学びたい人のために

第三話 誰のための説明文書? インフォームド・コンセント[その1]

第四話 「治療との誤解」を考えるインフォームド・コンセント[その2]
 インフォームド・コンセント さらに学びたい人のために

第五話 利益と不利益を数え上げるリスク・ベネフィット評価[その1]

第六話  研究の意義は常に必要なのかリスク・ベネフィット評価[その2]
 リスク・ベネフィット評価 さらに学びたい人のために

第七話 研究における「弱者」とは研究対象者の公正な選択[その1]

第八話 「囚われの集団」の問題研究対象者公正な選択[その2]
 研究対象者の公正な選択 さらに学びたい人のために

あとがき

索引

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なぜ研究倫理をわかりやすく説明できるのか!
書評者:清水 哲郎(岩手保健医療大臨床倫理研究センター長)

 著者田代志門氏は,大学院生-若手研究員時代から研究倫理に取り組んできました。臨床倫理の事例検討や死に直面した患者の聞き取り調査などにも研究の手を広げていて,それぞれのところで頭角を現しつつあったのですが,研究倫理に関する需要が大きかったようで,やがて斯界をリードする立場になって今に至っています。その著者が研究倫理に関して新著を出したというので,手にとってみました。  

◆研究倫理を現場目線で関係者と一緒に

 すると,わかりやすく,自分で考えながら面白く読み進めることができるので,感心しました。本書は生命倫理学者,看護師・CRC,医師という立場にある3人が話し合うという設定で書き進められていて,読者は研究倫理委員会の動向に絡む看護師と医師の問いかけに生命倫理学者が答えるのを傍聴する立場になります。こうした状況設定自体が,研究倫理に取り組む著者の姿勢と経験を示しています。つまり,倫理委員会事務局にいて調整役を務めるCRCの立場からはどのように見え,感じられるか,自ら臨床研究の企画を倫理委員会に提出し,あれこれ言われる医師の立場からはどうか,という理解の蓄積がなければ,このように会話を書き分けつつ,現場目線の読者に現場目線で応じて,わかるように説明を工夫することはできなかったでしょう。  

◆煩瑣な解説書は関係者を陰鬱にする

 研究倫理の解説書というと思い浮かべるのは,研究の黒歴史から始まり,ベルモント・レポート,ヘルシンキ宣言を経過して現在に至る流れから学ぶといったものでしょうか。あるいは倫理原則から始まり,倫理的に適切な研究のためにはどうすればよいかという手続きを中心に,臨床現場の研究者に煩瑣と思われ,審査側には細かいチェックが面倒と思われることが,微に入り細をうがつように説明されていたりするものでしょうか。そういったイメージと重なって,倫理審査委員会というと,重苦しいとか陰鬱とかいう感じを思い出してしまいます。  

◆普通の倫理感覚で考え始める

 しかし,本書は全く明るく考えられます。「私も自分なりに考えて良いのだ」と希望が出てきます。なぜそうなっているかというと,これもまた現場感覚なのです。実際CRCや研究者の具体的問いかけを,その現場感覚でわかるように整理し,普通の倫理感覚で考えられるような話の進め方をし,ところどころで,関連のあるベルモント・レポートなどの文言や事件の経緯などが紹介されるので,自分たちが今考えている実際の問題を踏まえてそれらを理解でき,なるほどそうなのか,とふに落ちるのでしょう。

◆倫理原則だけでは決まらないこと

 本書は,(1)研究と診療の区別,(2)インフォームド・コンセント,(3)リスク・ベネフィット評価,(4)研究対象者の公正な選択という4つのテーマを次々と取り上げます。この構成と上述のような話の進め方は,倫理というものをどう捉えるかと連動しています。つまり,研究倫理に限らずおよそ倫理というものは,原則レベルでは大方にとって当たり前のことです。しかし,その当たり前の原則を理解したところで,具体的にどうすればよいかは決まらないことが多いのです。例えば「他人の害にならないように」という倫理原則からは,どんな小さな害もだめだとなるでしょうか。いえ,私たちはちょっとしたことなら「お互い様」だとして許容し合っています。では,どのくらいの害なら「原則に反する」となるでしょうか。この線引きが必要ですが,ここは事柄によりさまざまな決まり方をしています。あるマンションはペットを飼うのは周りの住民に迷惑だとして禁止していますが,隣のマンションは注意して飼うという条件で許容しています。そこでの決まり方は社会の通念や,住民の考えの傾向を反映するでしょう。このように倫理原則と具体的な事柄に関するルールとの関係を理解することは,細かいルールをいちいち説明したり,覚えたりすることに先立って大事な「考え方」の問題となります。本書はこうした「倫理」というものの性格をわきまえて,説明が進んでいるので,わかりやすいのです。 

◆どこが難しいかもわかる

 とはいえ,本書はただ「わかりやすい」では終わりません。よく理解した上で,「難しい論点もあるぞ」ということがわかるようになってもいます。この論点は研究倫理の研究者である著者自身が考えているところなので,本書は単なる入門書ではなく,より進んだことを考えたい人にとっても面白く読めるものとなっています。 

 
みんなで考え語り合おう。善い研究はそこから始まる!
書評者:森下 典子(国立病院機構本部総合研究センター治験研究部治験推進室長)

 臨床研究はより良い治療法を開発するために欠くことができないプロセスであり,どうしても患者さんの協力を必要とするからこそ,研究を実施する際には倫理的配慮が求められます。しかし研究者の中には,「どうしてこんなに面倒な手続きが必要なんだろう」と考える人もいるでしょうし,倫理審査委員会事務局(以下,事務局)では「この研究って,まるで日常診療の中で実施するみたいに書いてあるし,良い面ばかり強調しているけど,患者さんを参加させても大丈夫なのかな?」などと,もやもやすることもよくあることです。

 そんなとき,自信を持ってお薦めしたいのが本書です。本書は,臨床研究に携わる人なら誰もが迷い込みやすい「研究と診療の区別」「インフォームド・コンセント」「リスク・ベネフィット評価」「研究対象者の公正な選択」の四つのトピックスから構成されており,日常業務の中で研究倫理が問題となる「ある,ある」とうなずくエピソードが満載です。三人の魅力的なキャラクターの会話を通して,私たちを正しい方向に導いてくれたり,道に迷わないようにするための術(考え方)を教えてくれたりしています。

 私が田代先生に最初に出会ったのは,あとがきにも触れられているが,2012年度厚生科研「臨床研究に関する国内の指針と諸外国の制度との比較」の班長をしていた時である。法学者,生命倫理研究者(田代先生はご自分のことを社会学者と呼ばれる方がしっくりとこられるようではあるが),生物統計家,臨床医,CRCたちで英米仏の規制当局,大学病院,地域研究倫理審査委員会などを回って臨床研究を各国がどのように規制しているのかを調査した。当時,昭和大病院にいらっしゃった田代先生と話して,われわれ理系人間が真似のできない見事な思考回路で研究倫理の本質を語る姿に私はひとめぼれした。彼の真骨頂,「難解な研究倫理の命題を誰もが理解しやすい言葉で,現場目線で解説・解決する」を具現しているのが本書籍である。

 本書を初めて読んだとき,自分や職場の同僚,研究者が描かれているような親しみやすさを感じました。だからこそ「よくぞ私の気持ちを代弁してくれた」と登場人物に感情移入することもしばしば。例えば「治療の誤評価」や「治療楽観主義」の許容範囲を巡る議論の中で,“CRCの水野さん”が,患者さんが研究参加による後悔がないように意思決定支援をしたい,でも本人の人生観にもかかわることにどこまで踏み込むべきなのか,と悩む場面があります。このような疑問や葛藤は,CRCなら大いに共感するところです。

 本書の何よりの魅力は,「研究者,事務局,倫理審査委員会委員,CRC,患者さんなど,臨床研究に携わるみんなが一緒になって,研究倫理について考え,語り合いませんか」という著者からのメッセージが散りばめられているところにあります。本書を読めば,きっと四つのトピックスについて,自分の職場ならどんな話の展開になるのか,いろいろな人たちと語り合ってみたい,という気持ちにさせられます。

 本書では「答えは決して一つではない」ことが強調されています。「臨床研究の利益も不利益も引き受けてくれる患者さん」のため,そして臨床研究を「善い研究」にしていくために,みんなで考え,語り合うことが必要です。そうすることで研究の倫理は厚みを増し,患者さんが安心して参加できる土台が作られていくはずです。自分の意見や考えを抱え込んだり,一方的に相手に伝えたりするだけでは,研究倫理のもやもやは解決しないことを本書は示してくれます。だからこそ,「みんなの研究倫理入門書」なのです。

 いつも優しく,根気強く,相手が誰であれ,どんな問題でも相談に乗ってくださり,適切に問題解決のヒントを与えて下さる田代先生。本書はそんな先生の優しいメッセージが余すところなく込められている,臨床研究に携わる人には必携の,そして最高の一冊です。  

 
理系人間にはおそらく書けない,研究倫理の入門書
書評者:藤原 康弘(医薬品医療機器総合機構理事長)

 史上最高の研究倫理に関する入門書である。一読して,まずそう思った。なにも著者の田代志門先生が,小生が国立がん研究センター時代に長らくお世話になった先生だからお世辞を言っているわけではない。研究倫理,特に臨床研究を巡る倫理の勘所をこんなにわかりやすく解説してくれた本に,小生は出合ったことがない。

 中身は,臨床研究倫理を巡っての4つの大きなポイント(1)研究と診療の区別,(2)インフォームド・コンセント,(3)リスク・ベネフィット評価,(4)研究対象者の公正な選択について,各々2話形式で,適宜イラストと簡潔にまとまった図表が配置される中,仮想の3名の登場人物,湾岸大医学部講師で内科医の火浦先生,同大病院倫理審査委員会事務局CRC・看護師の水野さん,そしてアフロヘアが印象的な同大医学部生命倫理学准教授の土田先生の会話を通じて解説されている。

 私が田代先生に最初に出会ったのは,あとがきにも触れられているが,2012年度厚生科研「臨床研究に関する国内の指針と諸外国の制度との比較」の班長をしていた時である。法学者,生命倫理研究者(田代先生はご自分のことを社会学者と呼ばれる方がしっくりとこられるようではあるが),生物統計家,臨床医,CRCたちで英米仏の規制当局,大学病院,地域研究倫理審査委員会などを回って臨床研究を各国がどのように規制しているのかを調査した。当時,昭和大病院にいらっしゃった田代先生と話して,われわれ理系人間が真似のできない見事な思考回路で研究倫理の本質を語る姿に私はひとめぼれした。彼の真骨頂,「難解な研究倫理の命題を誰もが理解しやすい言葉で,現場目線で解説・解決する」を具現しているのが本書籍である。

 第1,2話では,「手段」として未確立な研究と確立した診療,「目的」として一般化可能な知識を得るための研究と個別ケア目的の診療という2×2マトリックスで,研究と診療の区別を語るところが印象深い。また第3,4話のインフォームド・コンセントの項では,まず「倫理審査委員会は内輪の委員会ではなく,社会に開かれた公共的な場所であるべき」とのフレーズ,そして「治療との誤解」に思わずうなってしまった。第5,6話では,リスク・ベネフィットの評価の流れを「多様なリスクと利益の同定」,「リスクの最小化」,「リスクと利益の比較考量」に分解してとらえてくれてありがたかった。最後の第7,8話は,弱者対象研究におけるインフォームド・コンセントを同意能力と自発性の観点で論じてくれていて頭の体操に最適である。

 2021年1月,現行の臨床研究法や運用の見直しの必要性等も含めた検討が厚生科学審議会臨床研究部会で始まっている。初学者のみならず,ベテランにとっても「何のためにルールがあるのか」を考え直す必読の書として推奨したい。


チェックリストに答えはない,楽しい研究倫理の唯一無二の本
書評者:森田 達也(聖隷三方原病院副院長・緩和支持治療科)

 「あいつ,かしこいですよ~」「スマートですよねぇ……はあっ♡てなります」「なんか癒される~」「ビッケに似てる!!」……僕の周りの,著者(田代志門)に対する評判である。ビッケというのはスウェーデンのアニメの主人公で,見た感じもなんとなく似ているが,「行く先々で降りかかる困難を知恵と勇気で見事に乗り越えていく」というキャラ設定も重なりそうだ。こうあるべき! から少し離して,「それって,こういうことじゃないですかね?」とさわやかに整理してくれるのは,社会学者という専門性と性格があいまってなせるわざだろう。

 さて,本書,「細かいルールはちょこちょこ変わるので,背景にある大きな考え方を共有したい」という著者のポリシーに貫かれた1冊である。どこをどう読んでも,自分の研究,臨床と研究の曖昧なところの悩みの背景にある大きな概念が浮かんできて,ああそうだったのか,と気付く。

 著者の関心領域である,診療と研究の境目にある診療を研究と見なすべきかについて論じた前半部分は圧巻である。行為を,手段として確立している/いない×目的が患者にベストなことをする/一般化できる知識を得る,の4区分に分け,診療と研究の別を明確にしていく。そして,「手段として確立していないが目的が患者にベストなことをする行為」に対して,著者は,あえて1つの正解を持ってこない。臨床として扱う,研究として扱う,独自の第3のカテゴリーとして扱うべきとの意見がある,とまとめてくれている。そうなのか――専門家の間でも唯一解があるわけでもないのか!

 患者が研究を理解する点について語る中盤部分では,何を患者は理解するべきかという点から,「研究は自分のためにベストなものを見つけてくれたものである」という“治療との誤解”と,「効果を希望を持ってちょっと(より多く)見積もっている」という“治療の誤評価”とに分けて説明する。そして,後者については,ある程度の幅で患者の誤解は許容されるという立場もあるといってくれる――幅があるっていいなぁ……。

 後半の研究の社会的価値に関する検討でも,真理追究の学問(天文学)を対比させることで,医学研究は有用性の学問としての価値に意識せずに基づいていることを気付かせてくれる。そこで,社会的価値が不足しているから研究として認めないとする立場の是非を,「基本的な価値観をめぐる対立でもありますし,そう簡単に合意できない部分」と言い切る――うんうん,価値は一つに決めないほうが生きやすいよね!

 「議論の最前線に行けば行くほど百花繚乱で,そうそう一致した見解があるわけではない」――本当にその通りで,「何とか研究のチェックリスト」に○をつけるのは楽しくないが,自分で考える楽しさ,自分でルールをつくることの楽しさを感じられる本だと思う。研究者はもとより,臨床と研究の間で,「何とかチェックリスト」ではない本質的な課題を楽しみながら考えてみたい読者,おでんの具よりも“だし”に目がいく人にお薦めです。

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