サイエンスイラストで「伝わる」科学
[第1回] なぜイラストなのか
連載 大内田美沙紀
2023.05.22 週刊医学界新聞(通常号):第3518号より
一歩一歩描き示すことで説明が伝わる
ある年の冬,私は大学病院に入院をしていた。学生時代に打ち込んだ柔道によって脱臼癖がついてしまった右肩を修復する手術を受けるためだ。この手術については事前に口頭や文面で何度も説明を受け,頭では理解していたつもりだったが,私は少なからずおびえていた。
そしていよいよ手術を翌朝に控えた日の夕方,執刀医から手術の手順について改めて説明を受ける機会があった。あの時の先生の説明の仕方は今でも忘れられない。先生は,私の右肩のレントゲン写真を見せながら,何も書かれていないコピー用紙とボールペンを取り出した。何をするのかと思っていたら,先生はその白い紙に肩関節部分を丸や線で簡略化して図解し,「ここに内視鏡を入れて」「ここの靭帯を引っ張ってきて」「ここにボルトを入れて」とゆっくり描き示しながら私の反応を見つつ手術の工程を一歩一歩説明してみせたのだ。
この時私はこれから自分の身で行われる手術の内容についてようやく本当に理解した。同時にそれまでの漠然とした不安が払拭されたのを覚えている。
イラストが秘めるポテンシャル
「なぜ,この時代にイラストなのか――」。サイエンスイラストレーターと名乗るようになって,この質問を受けた時,いつもこの右肩の手術の話を思い出す。私という一個人の経験ではあるが,医師が患者(私)へ行ったコミュニケーションにおいて,あらゆる手法の中で最も有効だったのがイラストだったのだ。
私は現在,北海道大学のサイエンスコミュニケーターの養成機関でイラストを活用したサイエンスコミュニケーションの教育と実践を行っている。前職の京都大学iPS細胞研究所の国際広報室では,広報業務と共に論文やプレスリリースで用いるイラストを制作していた。そしてそれ以前は,米国の大学でサイエンスイラストレーションについて学び,卒業後は1年余り研究所や博物館に勤め,さまざまなサイエンスイラストレーションを制作してきた。本連載では,これまでの経験と仕事を振り返りながらイラストの「伝える力」について改めて考え,医学・医療分野を含んだ科学におけるその活用法を紹介していきたい。
話を大学病院での入院時に戻そう。なぜあの時,執刀医によるイラストでの説明が私の頭にスッと入ったのだろうか。思えば当時,私は精神的,肉体的に弱っており,理解力が著しく低下している状態だった。もしも,専門用語や情報量が多い写真などでの説明を受けていたならば,思考は停止していただろう。重要な要素だけを抽出し,簡潔に書き起こしたイラストは,論理的解釈を越えて感覚的な理解となり頭に入ってきたのだ。さらに,目の前で少しずつ描かれていく過程を見つめていたのも良かった。じわじわと描かれることで,「この線は靱帯」「この円印はボルト」など,描かれるもの一つひとつが頭の中で整理される時間ができ,矢印やコマ割りでの説明によって頭の中で手術の手順を動画のように再生できたのだ。
患者への説明にイラストを活用する
手順を示したコマ割りのイラストで思い当たる作品がある。私は2014年より個人のWebサイトでポートフォリオを公開している。アクセス数を解析したところ,何年も見られ続けている記事があった。それは手の込んだ華美な雑誌のカバーアートでも,緻密な動物イラストでもなく,意外にもコミカルなタッチの「石鹸から石器モデルを作る」イラストだ(図1)。もともとは米国の大学在籍時の知り合いから頼まれ,人類学の教材用として制作したものである。石鹸をプラスチックナイフで削って石器モデルを作る工程をコマ割りで示している単純なものだ。
こうした手順を示したコマ割りのイラストは,万国共通で年齢層にもよらず幅広く伝わるものだと思う。取り扱い説明書や,マニュアル書でもわかりやすいものはイラスト中心の構成ではないだろうか。
時間をかけて落書きのように描き示しながら,手順を一歩一歩説明する――。古典的で非効率な方法のように見えるかもしれないが,この方法が最も有効で患者さんにとってありがたい時があるかもしれない。ちゃんとした綺麗なイラストである必要は全くない。丸や線だけのうまいと言えないものでも,相手に意味が伝わりさえすれば,それは立派な図解イラストだ。医療者の伝えたいことを患者さんが本当に理解しているかわからないとき,いったん時間をかけて,白い紙とペンを取り出してみてはいかがだろうか(図2)。
大内田 美沙紀(おおうちだ・みさき)氏 北海道大学大学院教育推進機構 オープンエデュケーションセンター 科学技術コミュニケーション教育研究部門
2012年広島大博士課程修了。博士(理学)。15年米ワシントン大にて修士号(人類学)と,自然科学イラストレーションの認定資格を取得。米コーネル大鳥類学研究所,米スミソニアン自然史博物館,京大iPS細胞研究所などでの勤務を経て,22年より現職。学術論文のグラフィカルアブストラクト制作などをはじめ,ビジュアルを活用した効果的な科学・医療情報発信を担う。
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