他者理解を促すためのブックガイド
[第4回] 他者を理解することの困難――彩瀬まる『かんむり』
連載 小川公代
2023.01.23 週刊医学界新聞(看護号):第3502号より
マネキンをイメージする時,均整の取れた標準体型を思い浮かべるのではないだろうか。それと同じように,人間の「男性の体」「女性の体」といえば,理想的な体型を想像するかもしれない。しかし,実際のところ,人間には「色々な体がある。生きて,情動を抱え,移動している」のである。これは彩瀬まるの最新作『かんむり』1)に綴られた言葉である。今回は,この小説に鮮やかに描かれるケアラーたちが内面に抱え,互いにうまく共有できずにいる苦悩について書いてみたい。
『かんむり』は,中学生の頃に出会った光と虎治が,その後,結婚して晩年に至るまでを描いた物語である。アパレル企業に勤務する光は,さまざまな体型のマネキンがあってもいいのではと会社に提案するのだが,彼女のこの発信からは,働き方が画一化されることによって,そこからはみだしてしまう母親たちの嘆きの声までも漏れ聞こえてくるようである。できれば仕事での活躍の場を広げたいと思っている光であったが,家庭で起こるありとあらゆる問題に対応せざるを得ないと感じている。
仕事のない夫に気をつかい,彼が新しい仕事に就いたらそれに集中できるよう家事と育児を負担し,労働環境の悪さを嘆く夜はなぐさめ,ふたたび会社を辞めたときには次の仕事探しを応援した。息子はみるみる大きくなり,思春期,受験,部活内でのトラブルなど様々な問題を家に持ち帰った。そのすべてをまず受け止め,対応を考えるのは私の役割だった。(『かんむり』192頁より)
虎治は失業や転職などの厳しい現実を経験し,かえって心を閉ざしていく。スイミング教室での男性間の生存競争に否応なく巻き込まれてしまう息子に避難場所を与えるのは,母親である光しかいない。父親の虎治は,息子が教室から離脱することを非情にも「逃げ」であると解釈した。
『かんむり』という優しさに満ちた小説は,かつては柔らかい感性を持つ少年であった虎治が,大人になるにつれその感性を失っていくさまもとらえている。虎治がヤングケアラーだったことがその背景にはあるのだろう。母親は彼が赤ん坊の頃に育児ノイローゼになり,彼を置いて家を出た。彼は母親の代わりに「家のことを当たり前のようにこなしていた」のだった。「ヤングケアラー」とは,「家族にケアを必要とする人がいるために,本来大人がすると想定されているような家事や家族の世話などを行っている一八歳未満の子供や若者を指す言葉」であるが2),村上靖彦によれば,「母親を介護していたわけではなく,『母の代わり:つまり母親役割の代理』を務める子ども」もこのカテゴリーに入る3)。虎治は母親を「代理」する役割を担うヤングケアラーなのだ。虎治の「友達の,制服のシャツのアイロンを母ちゃんにかけてもらってる的な話を聞くと,いーなー俺もそういうのされたいなーって思った」という言葉は,仕事で忙しい父の代わりに家事を行わざるを得ない彼の願いなのだろう。母の不在の影響は彼の生育環境にも作用する。「つまんねえことで泣くなだらしねえ」と言い聞かせ,虎治に男らしさを強要する父親はいたが,彼の弱さを引き受け,光のように子どもに“避難所”を与える母親はいなかった。
光はこんな虎治の生い立ちを知るがゆえに,無理をするのだろう。彼女が「虎治の母親のようにパンクしなかったのは偶然」だとわかる時,その危うさも浮かび上がる。この小説を読むと,他者に応答する能力が千差万別であることに気づかされる。その能力が生育環境によっても多かれ少なかれ左右されると認識することで,他者理解は深まるのではないだろうか。
参考文献
1)彩瀬まる.かんむり.幻冬舎;2022.
2)澁谷智子.ヤングケアラーってなんだろう.筑摩書房(ちくまプリマー新書);2022.
3)村上靖彦.「ヤングケアラー」とは誰か――家族を“気づかう”子どもたちの孤立.朝日新聞出版;2022.
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