医学界新聞

他者理解を促すためのブックガイド

連載 小川公代

2022.12.12 週刊医学界新聞(看護号):第3497号より

 ある朝,目覚めてみると虫のような姿に変身してしまっていたグレゴール・ザムザと彼の家族との関係がリアルに描かれた『変身』(1915年)は,フランツ・カフカの代表作である。ドイツ語から邦訳した多和田葉子は,この小説を,「読み返す度にこれまで見逃していた細部が浮かび上がってきて,全く別の物語を結ぶ作品」と評し,「今回は介護の物語が読めてしまった」と書いている1)。突如としてザムザが変身して部屋から出られなくなったことで,「一家の稼ぎ手が逆に介護される立場にな」ってしまうからだ1)

 そういう視点から読んでみると,確かに,従来の解釈であった「虫」や「毒虫」のザムザというより,「介護が必要になった」ザムザが浮かび上がる。彼が変身してしまった生き物は原書では“Ungeziefer”と表現されているが,多和田はこのドイツ語をそのままカタカナの「ウンゲツィーファー」と表記した上で,括弧内に「生け贄にできないほど汚れた動物或いは虫」と補足している1)。なるほど,多和田が「汚れた虫」という意味をそのまま保持する「ウンゲツィーファー」とした理由は,ザムザが家族の「お邪魔虫」1)になる悲惨さを正確に表すからかもしれない。

 最初はザムザを介護していた家族だが,次第に彼を厄介者扱いし,彼が生活する部屋の掃除もしなくなる。父に投げつけられた林檎で傷ついた彼は,「部屋を横切るのにも負傷兵のように何分もかかったし,もう高いところを這い回ること」もできなくなっていた1)。家族はザムザの弱った状態を理解せず,邪魔者扱いする。そして,ザムザは「汚物にまみれてひっそりと息を引き取る」1)。最期にはほとんど何も食べられなくなったザムザは,カフカ研究者の頭木弘樹が描出する,少食の,極端な摂生によって弱体化したカフカ自身を彷彿とさせる2)

 頭木自身も大学生の時に潰瘍性大腸炎という難病に罹り,その経験を『食べることと出すこと』に綴っており,闘病生活の中でカフカなどの文学作品を読むことが「とても救いになった」と語っている2)。カフカは,断食を芸にする男の物語『断食芸人』も書いているが,頭木はこの小説のある一節に注目しながら,そのカフカの心情をこう代弁している。「みんなと同じようにたらふく食べたいけれど,できない。(中略)みんなと同じように普通に生きたいけれど,できない。決して,そうしたくなかったわけではないのだ,と」2)。病気になると,健康な人が当たり前のようにしていること――身なりを整えることや食べること――すらうまくできなくなる。多和田が“Ungeziefer”を「ウンゲツィーファー」とした理由には,「糸くず,髪の毛,食べ残しなどを背中につけた姿で,もう何もどうでもよくなっていた」1)という弱者ザムザの気持ちを投影したかったことも挙げられるかもしれない。

 それにしても,ずっとザムザの世話をしていた妹までも「この虫獣はわたしたちにつきまと」うのではないかと嫌悪するのはなぜだろう1)。弱者への同情に欠ける人に「明日は我が身」と諭すのは逆効果であると,頭木は言う。弱者を嫌悪するのは,自分がそうなることを「恐怖」するからであり,「おそろしくて,見たくないし,近づけたくない」からだ2)。『変身』は,人間のおそろしい真実を「見る」こと,おそろしい真実に「近づく」ことを可能にする物語ではないだろうか。


1)多和田葉子編.ポケットマスターピース01カフカ.集英社;2015.
2)頭木弘樹.食べることと出すこと.医学書院;2020.

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