医学界新聞

寄稿 林智史

2022.12.19 週刊医学界新聞(通常号):第3498号より

 「ユマニチュード」とはフランスの二人の体育学の専門家,イヴ・ジネスト氏とロゼット・マレスコッティ氏が1970年代に開発したケアの技法であり,「人間らしさを取り戻す」という意味をもつフランス語の造語です。ケアをする人が「あなたを大事にしています」と思っていても,それがうまく伝わらなければ意味がありません。その思いを相手が理解できる形で伝えるための具体的な技術をまとめたものが,ユマニチュードです。現在,認知症ケアに携わる人々に対して有用な技術と考えられています。日本には2012年に当院の本田美和子氏によって紹介され,同年のジネスト氏,マレスコッティ氏の日本での講演会をきっかけに日本でも研修が始まりました。医学・看護教育への導入,自治体の高齢社会対策プロジェクトへの参画,人工知能を用いた研究などが行われ,2019年には日本ユマニチュード学会も設立されました(代表理事=本田美和子氏)。

 私がユマニチュードを知ったのは2015年に東京医療センター総合内科に入職した時です。当時私は総合内科医として内科全般の知識を高め,病気の診断・治療をすることにまい進する一方で,急性病態を治療した後の退院調整に毎回時間がかかることに困っていました。ある時,私が退院調整の大変さについて看護師に愚痴をこぼしていると,まさに退院調整中の認知症高齢患者ご本人が笑顔で「大変ね」と話しかけてきました。そこで,看護師と共に生活や家族のことについて聞いたところ,会話が弾み,退院調整のヒントも多く得られた上,お互いに楽しい時間を過ごせました。これは退院調整に苦労していた私にとって意外な出来事でした。特に印象的だったのは,看護師の患者への対応です。視線の高さ,優しい口調,安心感を与える触れ方,といった一つひとつの行動が,患者の心を開いていっているように見えたのです。それから病棟内でまねしてみましたが,予想と反して話が盛り上がりません。そこで看護師に相談したところ,ユマニチュードを紹介されました。

 ユマニチュードと出合ってから約7年たった今,私は,ジネスト氏,マレスコッティ氏,本田氏らとともに,発祥の地であるフランスのユマニチュード認証施設を訪問する機会を2022年10月に得ました。本稿では,その訪問の様子を紹介します。

 フランスでは,ユマニチュードを導入した施設が自分たちのケアの質の客観的評価を求めたため,2011年より認証制度が始まりました。フランスの介護施設数は約7000ですが,認証取得施設は現在26です。日本でも,2022年4月より日本版ユマニチュード認証制度が始まり,現在21の病院と介護施設が認証取得をめざしています。

 今回フランスの認証施設のひとつである介護施設「La Maison de Jeanne」を訪問したのは,認証に当たって求められるユマニチュードの5原則,①強制ケアをゼロにする。しかし,ケアを諦めない,②本人の唯一性とプライバシーを尊重する,③最期の日まで自分の足で立って生きる,④組織が外部に対して開かれている,⑤生活の場・やりたいことが実現される場を作る,がどのように実現されているのかを見学し,「良いケアとは何か」を体験から深く理解するためでした。

◆自主性を持って活動する入居者

 La Maison de Jeanneは,ノルマンディー地方の豊かな自然に囲まれた地域にあります。到着時,玄関には桜や日本の国旗が飾られており,施設を挙げて笑顔で迎えてくれました。

 施設の中では,180人の入居者が自主性を持って行動していました。自分で食べたり,飲み物をとったり,洗い物をしたりと,まさに日常生活をしています。認知症の方も,職員が見守りながら本人ができることは一緒に作業していました。さらに驚いたのは,食器が陶器やガラス製であったことです。通常病院や介護施設では,プラスチックなど割れない食器を使用しますが,割れる心配よりも,食事の質が重要視されていました。また食事中にエプロンを使わないことも,尊厳を守る手段の一つとして徹底されていました。入居者がみんな自分らしさを生かして生活していることが伝わってきました。

 施設内にはデイサービスの場所があり,入居者が集まり楽しんでいました。また,美容院や図書館,託児所,バーカウンターなどもあり,地域住民も利用できます。子供たちと入居者が触れ合う場面は,特に印象的でした。

 さらに,われわれのような見学者を受け入れることが職員のモチベーション向上に寄与しているそうです。職員はユマニチュードの技術を維持・向上するために日々のケアの中でリーダーからフィードバックを受け,毎週少人数で10分程度のワークショップを行っています。入居者だけでなく職員にも自信と楽しさを与えてくれる施設でした。

◆ユマニチュードの技術は世界共通

 今回,私はマレスコッティ氏に見ていただきながら「ケアのときに不安のために大声を出してしまう全介助の高齢女性」に対してケアを行いました。ユマニチュードでは,ケアが困難な状況下においては,コミュニケーションを主導するマスターと,実際に手を動かす黒衣に役割分担をします(写真)。私はこのケアではマスターを担当しました。本場フランスでも自分が普段行っている技術は十分に通用し,ユマニチュードは技術であること,また世界中どこでも共通だということを肌で感じることができました。マレスコッティ氏からは「よく相手の目を見ることができていますね」と褒めていただき,嬉しく思いました。

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写真 La Maison de Jeanneでのケアの実践
コミュニケーションを主導するマスター(中央・林氏)と,実際に手を動かす黒衣(左・ユマニチュードインストラクターの看護師・丸藤由紀氏)で役割分担し,ケアに取り組んでいる。

 2022年現在,高齢者人口が3627万人と過去最多を更新し,総人口に占める割合も29.1%まで高まっている日本においてこそ,ユマニチュードの普及が必要であると感じます。日本でも多くの施設が「良いケアを実現していることを証明したい」と考えていることでしょう。日本版ユマニチュード認証制度は病棟単位でも取得が可能です。認証制度の普及は多くの施設の役に立つはずです。

 東京医療センター総合内科では,本院の医師である本田氏と片山充哉氏,ユマニチュードインストラクターの看護師である藤岡菜穂子氏と共に,病棟回診を通じて若手医師にユマニチュードを普及する取り組みを行っています。実際,動くことができないと思っていた患者が立ち上がり,さらに「ありがとう」という言葉を発する姿を見たときの若手医師の驚きの表情は印象的です。また,若手医師だけでなく,リーダーとなる医師にもその有用性を感じてもらいたいと感じています。

 ほかにも片山氏を中心にユマニチュードに興味がある病院に対して,ユマニチュードのワークショップと回診を組み合わせた“お試し回診”を行っています。これまで富山,長野の病院で実施しましたが,それぞれの施設の医師や看護師から高評価を得て,徐々にユマニチュードの取り組みが始まっているとも聞いています。

 個人でできる活動には限界がありますが,チームで取り組めば院内への普及もしやすくなります。ろうそくの火を一本一本別のろうそくに移していくような時間のかかることですが,一本ずつ増やしていったろうそくが,将来消えることのない明るく大きな灯になるように進めていきたいと考えています。

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国立病院機構東京医療センター総合内科・感染症内科

2013年大分大卒。熊本赤十字病院で初期研修後,15年国立病院機構東京医療センター総合内科での後期研修を経て,19年より現職。現在は総合診療専門研修の指導を行いつつ,診療にも携わっている。

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