ユマニチュード入門

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「この本には常識しか書かれていません。しかし、常識を徹底させると革命になります。」——認知症ケアの新しい技法として注目を集める「ユマニチュード」。攻撃的になったり、徘徊するお年寄りを“こちらの世界”に戻す様子を指して「魔法のような」とも称されます。しかし、これは伝達可能な《技術》です。「見る」「話す」「触れる」「立つ」という看護の基本中の基本をただ徹底させるだけですが、そこには精神論でもマニュアルでもないコツがあるのです。開発者と日本の臨床家たちが協力してつくり上げた決定版入門書! ●新聞で紹介されました! 《いま目の前にいる、かけがえのない人間と、いかに関係するか。この「現前性」と「固有性」への配慮こそが、人を薬に変える。》-斎藤環(精神科医、筑波大学教授) (『朝日新聞』2014年7月20日 書評欄・BOOK.asahi.comより) 《介護の話は、家族の関係や心の持ちように還元されがちだ。ケアされる人が情報をどう受信するか、どうすれば情報を届けられるかの理解と知識が欠けている。欠落を埋めるものが、この本にある》-岸本葉子(エッセイスト) (『長野毎日新聞』2014年7月6日 書評欄より)
本田 美和子 / イヴ・ジネスト / ロゼット・マレスコッティ
発行 2014年06月判型:A5頁:148
ISBN 978-4-260-02028-2
定価 2,200円 (本体2,000円+税)

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はじめに

 人口の高齢化は、日本でも、世界でも、急速に進んでいます。病院においても高齢の患者さんの占める割合が年々高くなってきています。わたしは総合病院で働く内科の臨床医ですが、近年、自分がこれまであまり経験することのなかった出来事に遭遇することが増えてきました。

 病院は“病気を治す場所”として、体調を崩した方が次々に訪れます。医師としてのわたしの仕事は、病院を訪れる理由となったその人がおもちの病気を診断し、その治療を行うことです。医師や看護師は疾患の病態生理やその診断の方法、選択すべき治療の内容などについての教育を受けています。知識とともに自分たちの経験の蓄積もあり、その実践には自信をもっています。

 しかし、患者さんが脆弱な高齢者である場合、疾患だけを治していても、その方の健康を取り戻すことはできないことを痛感するようになりました。たとえば、肺炎で10日間入院しているあいだに歩けなくなってしまったり、自分で食事がとれなくなってしまった人。認知の機能が低下して自分がどこにいるのかわからず、入院中であることを理解できない人。治療の意味がよくわからずに点滴を自分で抜いてしまい治療の継続が困難な人……。

 このような人々に出会うことがごくごく普通のことになってきています。そして、このような人々の多くは、入院の直接の原因となった疾患は治っても、自宅での生活に戻ることができなくなる場合が少なくありません。

 そもそも、わたしたちが学んできた医学は、治療の意味が理解でき、検査や治療に協力してもらえる人を対象とすることを前提にしています。高齢で認知機能が低下してきた方々にどのように接していけばよいのか、わたしは途方に暮れていました。

 そんなとき、高齢者とりわけ認知症の人にも有効なケアがフランスに存在することを知りました。ユマニチュードというそのケアを実際に経験するために、2011年の秋にわたしはフランスを訪れました。そこで学んだケアの技法は、非常に具体的な技術を原則にのっとって実践するものであり、わたしはこの技法は日本でも十分に利用できる、と確信をもちました。

***

 ユマニチュード(Humanitude)はイヴ・ジネストとロゼット・マレスコッティの2人によってつくり出された、知覚・感情・言語による包括的コミュニケーションにもとづいたケアの技法です。この技法は「人とは何か」「ケアをする人とは何か」を問う哲学と、それにもとづく150を超える実践技術から成り立っています。認知症の方や高齢者のみならず、ケアを必要とするすべての人に使える、たいへん汎用性の高いものです。

 体育学の教師だった2人は、1979年に医療施設で働くスタッフの腰痛予防対策の教育と患者のケアへの支援を要請され、医療および介護の分野に足を踏み入れました。その後35年間、ケア実施が困難だと施設の職員に評される人々を対象にケアを行ってきました。

 彼らは体育学の専門家として「生きている者は動く。動くものは生きる」という文化と思想をもって、病院や施設で寝たきりの人や障害のある人たちへのケアの改革に取り組み、「人間は死ぬまで立って生きることができる」ことを提唱しました。

 その経験の中から生まれたケアの技法がユマニチュードです。現在、ユマニチュードの普及活動を行うジネスト‐マレスコッティ研究所はフランス国内に11の支部をもち、ドイツ、ベルギー、スイス、カナダなどに海外拠点があります。また2014年には、ヨーロッパ最古の大学のひとつであるポルトガルのコインブラ大学看護学部の正式カリキュラムにユマニチュードは採用されました。

 「ユマニチュード」という言葉は、フランス領マルティニーク島出身の詩人であり政治家であったエメ・セゼールが1940年代に提唱した、植民地に住む黒人が自らの“黒人らしさ”を取り戻そうと開始した活動「ネグリチュード(Négritude)」にその起源をもちます。その後1980年にスイス人作家のフレディ・クロプフェンシュタインが思索に関するエッセイと詩の中で、“人間らしくある”状況を、「ネグリチュード」を踏まえて「ユマニチュード」と命名しました。

 さまざまな機能が低下して他者に依存しなければならない状況になったとしても、最期の日まで尊厳をもって暮らし、その生涯を通じて“人間らしい”存在であり続けることを支えるために、ケアを行う人々がケアの対象者に「あなたのことを、わたしは大切に思っています」というメッセージを常に発信する―つまりその人の“人間らしさ”を尊重し続ける状況こそがユマニチュードの状態であると、イヴ・ジネストとロゼット・マレスコッティは1995年に定義づけました。これが哲学としてのユマニチュードの誕生です。

***

 さて、フランスから帰国後、わたしは親しい看護師の友人たちとこのケアについて学びはじめました。学んだケアの技法を自分たちの日常の業務の中で実践してみて、日本の看護・介護の現場でもフランスと同様のケアの成果をあげられることを実際に経験するようになりました。技法を学んだ仲間とともに、日本支部の設立準備も進めています。

 この本は、このケアの創始者であるイヴ・ジネスト、ロゼット・マレスコッティと、この2人から直接指導を受けた看護師との共同作業を通じて生まれました。そのケア介入の効果がときに劇的であることから、「魔法のような」と呼ばれることもあります。しかし、ユマニチュードは決して“魔法”などではありません。誰もが学ぶことができ、実践することができる、具体的な技術です。この本では、その入門編として、ユマニチュードの基礎となる考え方と技術を紹介しています。また、国立病院機構東京医療センターでは、ケアの実技を含めたユマニチュード研修の準備を進めています。

 ケアを行う際にさまざまな困難に直面している、ケアを職業としている方々や家族のケアをしている方々にこの本が役立てば、これほどうれしいことはありません。

 2014年4月
 国立病院機構東京医療センター
 本田美和子

カバーの写真は、101歳のピアニスト長谷川照子さんがピアノを弾いていらっしゃる手を撮影したものです。ご家族や介護の専門家の支援を受けながら毎日の生活を楽しみ、「明日は何をしようかしら」と微笑むそのお姿は、ユマニチュードが目指す到達点の象徴とも言えます。撮影をご快諾いただいたことに深謝いたします。

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はじめに


Section 1 ユマニチュードとは何か
1 ケアをする人と受ける人
2 その人に適したケアのレベル
3 害を与えないケア
4 人間の「第2の誕生」

Section 2 ユマニチュードの4つの柱
1 ユマニチュードの「見る」
2 ユマニチュードの「話す」
3 ユマニチュードの「触れる」
4 ユマニチュードの「立つ」
5 人間の「第3の誕生」

Section 3 心をつかむ5つのステップ
第1のステップ-出会いの準備
第2のステップ-ケアの準備
第3のステップ-知覚の連結
第4のステップ-感情の固定
第5のステップ-再会の約束

Section 4 ユマニチュードをめぐるQ&A


ユマニチュードとの出会い
著者紹介

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人間らしくあるための「見る」「話す」「触れる」「立つ」
書評者: 中村 耕三 (国立障害者リハビリテーションセンター総長)
 「これは魔法だ」。

 テレビでユマニチュードの番組を見た感想である。認知症を発症しケアが困難な「困った,手のかかる人」になってしまった人が,来日したイヴ・ジネストさんのユマニチュードのケアを受ける。1時間程のケアの終わりには,その「困った人」が「ありがとう」とお礼を言うようになり,Vサインを送ったり,イヴ・ジネストさんの頬に別れのキスをしたり,自分で立ち,歩いたりする。ケアを見守っていた家族からは「まったく認知症を感じなかった」など,夢のような出来事に驚きと感謝の言葉が続く。

◆具体的な技術をわかりやすく図解

 しかしユマニチュード(Humanitude)は魔法ではなく,誰でも習得できる150の具体的な技術からなっている。イヴ・ジネストさんら2人のフランス人により開発されたケア技術で,今,広まりつつあるという。本書は自らフランスに渡り,この技術を実際に経験してこられた本田美和子医師によるその入門書である。

 ユマニチュードは「見つめる技術」,「話しかける技術」,「触れる技術」そして「立つことへの効果的なサポート技術」の4つからなる。前3つは「知覚」,「言語」そして「感情」のこもったコミュニケーションの技術であり,あと1つの「立つ」そして「歩む」ことはケアを受ける人が人間であることを自覚できるための技術である。

 「見つめる技術」では,見下さないよう水平な目線で,視野の狭くなっている高齢者の正面から視線をつかみにいくことが示されている。「触れる技術」では,手首をつかまず,飛行機が着陸・離陸するように下から支えるなど,それぞれの技術がわかりやすく,素敵な図とともに説明されている。

◆忘れられない光景

 本書118ページに「シャワーや保清の目的はなんですか?」との問いがある。「単にきれいにするだけなら洗濯機です」とイヴ・ジネストさんは言う。この言葉に,私にとって忘れられない昔の光景がダブる。

 それは平成の初めころ見たシャワー室の光景である。ケアを受ける人を,シャワー用の担架に臥位の状態に載せる人,服を脱がせる人,担架に載せたまま長方形の湯漕につける人,両側から洗う人と続き,右から左へまさに流れ作業である。そして,そのシャワーを待つ車いすの長い列が続くのだ。私が,人が「立ち」「歩く」ことの重要性に関心を持つようになった原点で,あれはやはり「洗濯機」だったのである。

◆人間らしくあるための技術

 ユマニチュードの技術の裏には,人間は社会的な生き物であり,「その人の“人間らしさ”を尊重し続ける」という考え方がある。ネグリチュード(「黒人らしさ」の意)を踏まえたユマニチュードというネーミングも,「人間らしくある」状況を志向している。そこには,現在のケアが「生命の維持」や,転んでけがをしては困るという「医療安全」に重きを置きすぎていないか,そして「受ける人のためになっている」との確信(誤信)から「力づくのケア」になっていないか,との反省がある。

 人は立ち,歩き,社会生活を送る動物である。社会生活は他者とのコミュニケーションによって成立する。人は立って歩いて行きたいところへ行き,そこで他者と見合い,話し合い,触れ合い,他者との関係を深めながら生きていきたいという思いの強い動物である。

 「力づくのケア」には,この配慮が欠けているのではないか。ユマニチュードでは,優しさに裏打ちされたコミュニケーション技術により,環境を,その人がこれまで過ごしてきた社会性の感じられる状態に戻す。その人は立ち,歩くことによって自らが社会生活を送る存在であることを確認するのである。

 イヴ・ジネストさんらは「人間らしくある」という目標を掲げ,それを具体的な技術になるまでに消化し,示した。それも非常に有用な技術で。……やはり「これは魔法だ」。

 あらゆる医療,介護に関わる人,高齢者を抱える家族の人にもぜひ読んでもらいたい。
「人間だもの」から「人間になる」へ (雑誌『精神看護』より)
書評者: 信田 さよ子 (原宿カウンセリングセンター・所長)
 ユマニチュードというフランス語の響きは、英語圏一辺倒にみえる認知症ケアの世界に新風を吹き込んでいる。すでにメディアでも多く取り上げられ認知症ケアにおける「効果」だけが喧伝されているようだが、本書の衝撃はその「哲学」にこそある。ある方法・技術がなぜ有効かの論拠を哲学と呼べば、近年それはあまりに軽視されつつある。エビデンス重視が輪をかけているのかもしれない。

 テレビでサッカーワールドカップを見ていると英語圏は世界のごく一部にすぎないのだと気づかされるように、認知行動療法の席巻は、実はフランスには及んでいないのである。ラカンの精神分析にみられるように、フランスは考え抜くことへの価値偏重ともいうべき国である。そこで誕生したケアの技術論は、具体的でわかりやすく、同時に深い哲学・ケア論に裏打ちされているのだった。

◆ありのままは怖い

 ひとことで言えば、徹底した「人間中心主義(ヒューマニズム)」である。しかし誤解してほしくないのだが、それは自然の制圧であり、動物ではないことの証明を含意している。「人と自然の調和」といった甘いものではなく、ベルサイユ宮殿の広大な庭園が自然を完璧に支配しつくした美であるように、「我々は気を許すと動物になってしまう」という緊張をはらんでいるのだ。言い換えると「ありのまま」「あるがまま」への恐怖や不信が、理性的行動を要請し、伝達可能な方法論をつくりあげることに貢献している。

 大ヒットしたアニメ『アナと雪の女王』で人気の主題歌が登場するシーンでは、観客が画面に合わせていっしょに「レリゴー、レリゴー」と歌うらしい。その「Let it go」はなぜか日本語の歌詞では「ありのままの」と訳され、「自分を好きになる……」につながっていく。英語に忠実な訳なら「これでいいの、もうかまわない」「素直な娘をやめて自分の道を行く」になるのだが、日本の観客には「ありのままでいい」「自分を好きになりたい」のほうが受けるだろうと考え、そう訳されたのだと思う。

 本書はそんな世界の対極に位置する一冊である。

 80年代初頭、パリに2年あまり住んだことがあるが、相手の自由を侵すことへの暗黙のタブー視は言葉や人間関係のルールに反映されていて、四六時中、日本では経験したことのない緊張と共に暮らした。なぜかあの異文化体験がよみがえる気がしたのである。

◆感情より、セリフと数字

 見る、聞く、触れる、立つ。これがユマニチュードの4つの柱であるが、その説明が秀逸である。イラスト入りなのはもちろん、セリフが逐一書かれているのだ。

 また「3回ノックする」「所要時間は20秒~3分」「40秒で終わる」などと具体的数字が挙げられているものの、ケアする側の感情や気持ちなどについては触れられていない。「感情の固定」という記述の部分も、よく読むと快記憶をとどめるためのオーバーアクションや演技的行為を指している。

 カウンセラーである私も、しばしばクライエントにセリフを提示してそれを語る練習をしたり、3秒間の沈黙を勧めたりすることがある。指示的で、「受容と共感」に抵触すると思われそうだが、クライエントの感情や思考に踏み込んでいるわけではない。

 そんな指示をする私にためらいがないのは、言葉や行為の型を提案することで、その人固有の感情や認知は最大限尊重しているという確信があるからだ。それは本書に流れる人間中心主義と同じではないか、そう思ったのである。感情労働という言葉があるが、気持ちや感情に踏み込まないことが、ケアする側の疲労を軽減することになるのかもしれない。

 さらに言えば、セリフと数字の重視は、茶道・華道や伝統芸能の作法と同じである。本書で指定されている腕の角度や触る位置は、生理学的根拠にもとづいているものの、ほとんど「○○流」といってもいい。踊りの練習で「木の枝をつかむように」といった比喩を用いることがあるが、本書に登場する「飛行機の離着陸のように触れる」「視線をつかみに行く」といった比喩の巧みさはどうだろう。

 日本舞踊や能では練習を重ねて熟達することで逆に個性が発揮されていくのだが、ユマニチュードもおそらく同じではないだろうか。

◆人間になるための技術

 ケアはしばしば、愛情や感情と重ねて論じられてきた。本書も、「ヒューマン」という言葉につきものの礼賛と共に受け止められるかもしれない。しかし、これほどクールで情緒を排したケアの技術論はなかったと思う。ケアが時には自立を損ねる危険性があることを熟知し、自覚的でなければ人間でなくなるかもしれないという恐れを抱いた著者たちだからこそ、まるで日本の伝統芸能の指南書のようなユマニチュードは成立した。

 技術とは伝達可能な方法論である。「これならできるかもしれない」「ちょっと実行してみよう」と読者が思えることはどれほど大切なことだろう。わかりやすさは一歩誤ると通俗的になってしまうが、哲学に裏打ちされることでそれは回避されるだろう。今後、技術の実践を通してクールな距離感を体得し、本書の哲学を体現した新しいタイプの援助者が増えるかもしれない。

 ユマニチュードは育児にも応用可能だ。生まれたばかりの新生児に人間としてかかわることで、その子は人間になっていくのだから。母性愛やあふれ出る気持ちだけに依存する育児を超えることができるかもしれない。そして家族の諸問題にも汎化〈はんか〉できるのではないかと思う。

 「人間だもの」に象徴される楽天性に裏打ちされたかにみえるこれまでの日本の援助論・ケア論が、「人間になる」ためのケアの技術論を受け入れ始めたとすれば、それこそ革命ではないだろうか。

(『精神看護』2014年9月号掲載)
「看護する自分」を再構成していくために
書評者: 勝原 裕美子 (聖隷浜松病院 副院長兼総看護部長)
 テレビや雑誌で取り上げられるようになったユマニチュード。「見る」「話す」「触れる」「立つ」を基本とするユマニチュードの技にかかると,認知症の患者がいわゆる認知症らしさを取り払われ,心身の回復を遂げていく。その様子には誰もが目を見張る。

 実は,私はすでに1年ほど前に知人からユマニチュードを紹介されて興味を持っていた。高度急性期病院である聖隷浜松病院にも,認知症の患者が増えているからだ。そして,認知症患者のおむつ交換をしようとしたら突然手をかみつかれたとか,病棟内を歩き回る認知症患者が3人もいて目が離せないといった現場の声は,随所から聞こえてくる。ケアに難渋し,時には暴力を振るわれてもいる。それでも看護師たちは,相手は患者さんなので辛抱するしかないと言い聞かせ,日々認知症患者に向き合っているのが現状だ。

 本書に期待することは大きく,たくさんの付箋を用意し構えて読み始めた。しかし,書かれていることは,おおむね看護基礎教育の中で教わった「患者に向き合う姿勢」のことであった。だからといってがっかりしたのではなく,その逆である。一つずつの文章に,患者に“認知症”というラベルを貼ることで見えなくなっていた一人の“人”への向き合い方の本質が書かれている。それが素直に心に響いてきた。

 例えば,患者さんの背後から声をかけるのではなく,正面から近づき視線をつかみながら話しかけることを本書では“見る技術”と呼ぶ。これは学生時代にはとても気を使って行っていた当たり前のことである。相手が認知症であるかどうかは関係ない。人の身体や心に触れる仕事をする私たちだからこそ,触れられる側の身になったケアが大切だと教わってきたはずだ。そういった数々の教えと現実とのギャップを,本書を通して丁寧にみつめ,真摯に振り返り,「看護する自分」を再構成していくことも必要だと思っている。

 当院では,老人看護専門看護師がリーダーシップをとって,これからユマニチュードを定着させていく予定だ。ユマニチュードを広めるために各職場から選出されたナースたちが,ケアに最善を尽くす姿勢をさらに高めていくために,本書が教えてくれることがたくさんある。
誰でも学べる高齢者ケアの本質
書評者: 藤沼 康樹 (医療福祉生協連 家庭医療学開発センター長)
 フランス発の認知症高齢者ケアメソッド「ユマニチュード」の待望の解説書が登場した。

 日本が人類史上経験し得なかった高齢社会を迎えるに当たって認知能などの機能低下のある高齢者の増加に医療・介護・福祉がどのような姿勢をもって臨むのかということに関しては,主としてヒューマンリソース等のシステムに関する議論が,現時点では多いように思う。そして,ユマニチュードのようなケアメソッドが,今あらためて注目されているのは,医療や看護の領域から具体的なケア現場への発信が,必ずしも十分ではなかったことが背景にあるかもしれない。

 ユマニチュードという言葉は「人間らしさの回復」といった意味を持つ。そしておそらく,現象学あるいはメルロ=ポンティの身体論などの大陸哲学の影響があると思われるが,人間らしさとは,他者と関係性の中で保証され,「立つ」という身体機能に多くを依っているのだという原理に基づいている。ユマニチュードは,その具体的なケアの実践体系である。

 ユマニチュードの柱は,「見る」「話す」「触れる」,そして特別な地位を与えられている「立つ」の4つである。

 「見る」については,特に視線をとらえることがキーである。「話す」ことは「あなたはここにいる」という表現をすることであるとされ,それゆえ喋らない人にも語りかけねばならない。「触れる」ことが脳にもたらす情報量の豊富さが示され,特に5歳の子どもくらいの力で触れることが強調される。そして「立つ」ことは人間らしさの根源に関わることであり,この立つ時間を確保するために他の3つの柱があるといっても過言ではない。本書は,これらが魅力的なイラストともに,わかりやすい日常言語で説明されており,非常に読みやすい。

 本書は病院や施設の高齢者ケアの現場を想定して書かれているが,評者のような地域の家庭医にとっても非常に参考になる。例えば,外来通院中のアルツハイマー病の患者で,診察室では無表情でいつも壁を見ているのだが,ある日評者が前方に回りこんで,視線をとらえて,「こんにちは~」と語りかけたところ,ニコッと笑顔になり,付き添って来られたご家族もびっくりされたという経験がある。また,在宅医療に携わる医師ならば誰しも経験するところだが,例えば病院入院中に誤嚥があったためベッド上で食事がとれないという評価で退院してきた患者が,必要に迫られて立位になったり,室内で少しの歩行を繰り返すことで驚くほど食事がスムースになっていくことがある。感覚的に「立位」の意義はわかっていたが,こうしてユマニチュードで強調されていることで再確認できた。

 ユマニチュードで展開されているメソッドは,実際にはこれまで高齢者のケアに携わってきた優秀な専門職の間では常識といえる部分もある。しかし,その常識はどちらかというと倫理や価値観を基盤にしていたかもしれない。ユマニチュードはそれらを,理論的基盤から説き起こし,具体的に他者に伝えることができ,施設のシステムの改革に結びつけられる形に展開していることが新鮮である。

 高齢者のケアに関わる全ての専門職の方たちに一読を薦めたい。

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