医学界新聞

寄稿 紙谷 聡

2021.07.19 週刊医学界新聞(通常号):第3429号より

 予防接種の普及により予防接種で防げる感染症が減少した結果,病気そのもののリスクよりも予防接種のリスクに人々の関心は移ってきました。ワクチンは基本的には健康な人々も対象になるため,極めて高い水準の安全性が求められます。よってワクチンのリスクがゼロでないかぎり,国がその安全性を厳重に監視することは極めて重要です。

 米国疾病予防管理センター(CDC)の予防接種安全性モニタリングシステムは,VAERS(Vaccine Adverse Event Reporting System),VSD(Vaccine Safety Datalink),そして予防接種の個別の有害事象に関して専門的なコンサルテーションなどを行うCISA(Clinical Immunization Safety Assessment)などが相補的に機能しています。本稿では米国の予防接種安全性モニタリングシステムを解説し,日本の展望についても私見を述べます。

 VAERSは1990年に設立した予防接種安全性モニタリングシステム(前身となるシステムは1970年代から存在)であり,CDCと米国食品医薬品局(FDA)が共同で管理しています。予防接種後の有害事象・副反応疑い(因果関係の有無を問わないワクチン接種後の事象)の自発的報告を受けて分析するシステムであり,受動的安全性モニタリングとも言われています。日本では医薬品医療機器総合機構(PMDA)の副反応疑い報告制度が同様の受動的システムになります。

 医師等による報告を求める日本の同制度と異なり,医師に限らずどのような方でもVAERSに有害事象を報告可能であり,VAERSのウェブサイトなどを通じて報告できます。年間約4~5万件の報告があり,一部の疾患については医師の報告義務があります。また,重篤な有害事象が報告された場合には報告者に連絡を取り,経過について詳しく聴取し評価します。

 VAERSの利点は,まれな事象であっても問題となり得る有害事象をシグナルとして迅速に検出できる点です。さらに情報の透明性も保たれており,VAERSのデータには一般の方でもウェブサイトからアクセスできます。一方で最大の欠点は,有害事象の因果関係の検討ができない点です。これは検討に必須である比較群(ワクチン非接種群など)のデータの欠如,さらに分母となる全体の予防接種者数のデータが欠如しているからです。

 日本においても有害事象の評価で「因果関係は評価できない」という報告がよくみられますが,個別の症例をいくら検討しても因果関係を証明することは困難であることが一般的です。そのため多くの場合,因果関係の評価にはワクチン接種群と比較群を疫学的に検討することが必要になります。つまり,VAERSは主に仮説を立てる(懸念のある有害事象を検出)システムとして機能するのですが,その仮説を検証するためのさらなる優れたシステムが必要なのです。

 また,VAERSは報告者の自発的な報告に依存する「受け身」のシステムであるためレポートバイアスに弱く,メディアなどで取り上げられた因果関係の証明されていない有害事象の影響を受けて,その報告が急増してしまうといった欠点などもあります。こうした背景から,米国では因果関係を評価できて,かつ「能動的な」モニタリングシステムの構築が予防接種政策として急務となったのです(図1)。

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図1 予防接種安全性モニタリングから予防接種政策決定までの過程

 VSDは1990年に創設されたシステムであり,9つの民間の病院群とCDCの官民共同プロジェクトです。ワクチンの安全性の検証を行い国内外に研究結果を発表してきた実績を持つ極めて優れたシステムで,米国の人口の1200万人以上をカバーする予防接種データのコホートを有しています。

 この予防接種データと参加病院群の電子カルテからの臨床データを結び付けて,VAERSに報告された有害事象が真の副反応であるか否かをさまざまな研究デザインをもって検証することが可能です(図2)。高度な個人情報保護管理のシステムを有し,研究を行う際はCDCおよび各病院群の倫理審査委員会の審議を経る必要があります。VSDの強みは,ICD-10などの診断名コードでの評価のみならず,電子カルテ情報からその診断名コードが実際の臨床診断と合致しているかの検証も可能な点です。

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図2 VSDデータファイルおよびカルテレビュー(2019年6月ACIP会議資料を参考に筆者作成)

 VSDデータの使用例として,ロタウイルスワクチンと腸重積の評価が挙げられます。1999年に腸重積増加によってロタシールドが市場から撤廃された後,認可前の大規模RCTによって腸重積の増加を認めなかったことから2種類の新しいロタウイルスワクチンが承認されました。しかし認可後,VSDによって20万回を超える接種を同じVSD内のデータを用いた背景率と比較検討した結果,まれではあるもののワクチンと腸重積の関連性を報告しました(N Engl J Med. 2014[PMID:24422678])。このようなワクチンとの因果関係の証明に限らず,逆に因果関係が否定される事象(妊婦における予防接種の安全性を証明など)も多く報告しています。

 さらにVSDは,ほぼリアルタイムで予防接種安全性を能動的にモニタリングできるシステム(Rapid Cycle Analysis:RCA)を2006年に構築しました。RCAのデータは,予防接種諮問委員会(ACIP)にて新型コロナワクチンなどの新規ワクチンの安全性を評価して政策決定する上で,極めて重要な判断材料となっています。VSDは創設以来,予防接種の安全性評価に多大なる貢献を果たしてきたほか,その研究論文は300本を超えており,予防接種安全性評価や研究において世界で最も信頼される組織の一つとなっています。

 VAERSと同様な受動的システムは,途上国を含めほとんどの国で運用されています。さらに近年,米国以外の先進国(カナダ,北欧,英国,オーストラリアなど)でも,VSDのように因果関係を評価できる先進的モニタリングシステムを確立してきており,アジア諸国(中国やシンガポールなど)においてもその構築に向かっています。

 残念ながら現在の日本に,VSDに代わる国のモニタリングシステムは存在しません。ワクチンへの信頼が世界で最も低い国のひとつとされる日本においてこそ,予防接種の安全性を因果関係も含めて評価できるシステムが求められるのではないのでしょうか。HPVワクチンの問題など日本の予防接種の歴史を振り返ってみても明らかですが,ワクチンの有害事象の因果関係を自国で検証できなければ,国民の予防接種への信頼を維持することは極めて困難です。

 VSDは今でこそ世界に誇る組織ですが,その始まりはたった1台のコンピューターと2枚のフロッピーディスクからだったと,設立当時からかかわっていたDr. Steven Blackは言います。各国特有の乗り越えるべき課題はあるとしても,1990年代にできたことが現代の技術をもってできないことはないはずです。

 日本は今,未曽有の新型コロナウイルス感染症に対抗すべく国を挙げて新型コロナワクチンの予防接種プログラムを推進しています。予防接種によって国民の健康と安全を保障するためには,継続的かつ先進的な予防接種安全性モニタリングシステムの構築が必要不可欠です。このパンデミックを契機に,日本は予防接種安全性モニタリングシステムを未来に向けてさらに進化させていくのか否か。日本の予防接種行政は今まさに,その岐路に立っているのだと思います。


*本寄稿は個人の見解です。筆者の第57回厚生科学審議会予防接種・ワクチン分科会副反応検討部会での講演資料は下記より。
https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi2/0000208910_00021.html

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エモリー大学小児感染症科助教授/米国疾病予防管理センター客員研究員

2008年富山大医学部卒。国立成育医療研究センターなどを経て15年に渡米。現在はエモリー大にて小児感染症診療に携わる一方,NIAID主導ワクチン治療評価部門(Vaccine and Treatment Evaluation Unit)の共同研究者としてCOVID-19ワクチンなどの臨床試験に従事。さらにCDC予防接種安全評価室客員研究員としてVSD(Vaccine Safety Datalink)に所属し,認可後のワクチンの安全性モニタリングを行っている。21年より現職。日本・米国小児科専門医。

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