医学界新聞

看護のアジェンダ

連載 井部 俊子

2021.04.26 週刊医学界新聞(看護号):第3418号より

 このところ月曜日の帰宅時間は午後9時半を過ぎる。家につくと,手を洗い,うがいを済ませ,テレビをつける。チャンネルは2チャンネル,Eテレである。午後10時25~50分の番組「100分de名著」をみるための環境整備をして,真面目にテレビと向き合う。司会は,伊集院光(タレント)と安部みちこ(NHKアナウンサー)であり,毎回,画面でお会いする。伊集院のコメントは,自身の経験にもとづいて具体的であり,なるほどと思わせる妙味を持っている。安部は進行役として絶妙な運びをする。

 2021年3月は「100分de災害を考える」がテーマであった。「大震災,巨大台風,そして感染症――。予測不可能な災禍が相次ぐこの国で,私たちに求められている叡知とは」何か,「いのちを脅かす理不尽にどう立ち向かうか」を考えようという企てである(『NHK100分de名著 100分de災害を考える2021年3月』NHKテキスト)。「100分de災害を考える」で採り上げた4冊の名著は,寺田寅彦著『天災と日本人』,柳田国男著『先祖の話』,セネカ著『生の短さについて』,池田晶子著『14歳からの哲学』である。解説は若松英輔(批評家,東京工業大学教授)で,誠実な語りが印象に残った。

 イエスと同じ時代に生きた哲学者ルキウス・アンナエウス・セネカ(B C4/AD1頃~65)は,「生きることにとっての最大の障害は,明日という時に依存し,今日という時を無にする期待である」という。もじゃもじゃ頭の俳優・滝藤賢一が続けて朗読する。「われわれのける生が短いのではなく,われわれ自身が生を短くするのであり,われわれは生に欠乏しているのではなく,生を蕩尽とうじんする,それが真相なのだ。莫大な王家の財といえども,悪しき主人の手に渡れば,たちまち雲散霧消してしまい,どれほどつましい財といえども,善き管財人の手に託されれば,使い方次第で増えるように,われわれの生も,それを整然とととのえる者には大きく広がるものなのである」。

 これは『生の短さについて』の冒頭の文章であり,セネカは,人生は短いのではなく,本人が人生を短くしているのだと指摘する。「時間」は,1年,1日,1分,1秒と私たちの生活を刻む。時計で測ることができ,誰にとっても平等に分け与えられ,同じように進む。しかし,大切な人と1日を過ごしたあとに私たちが感じるのは,時間の「長さ」ではなく,「時」の「深さ」である。つまり,量的な「時間」に対し,質的な「時」という表現もできると若松は解説する。

 ギリシャ神話では「時間」を「クロノス」,「時」を「カイロス」と呼び,クロノスはのちに英語のクロックへと派生した。さらに,私たちは「時間」を節約するだけでは十分ではなく,その奥にある「時」を愛しまねばならないと若松は述べる。つまり,目に見えない「時」こそが,真の「富」なのである。「ものごとはね,心で見なくては目に見えない,いちばんたいせつなことは,よく見えない」(サン=テグジュベリ,『星の王子さま』)と深くつながっているというのである。

 私たちが人生を蕩尽してしまう理由としてセネカが指摘するのは「閑暇かんか」,つまり暇を悪しきものと考える態度であるという。確かにわれわれは,暇にしているのは良くないことだ,暇を持て余すくらいなら何か仕事や勉強をしなければいけないと考え......

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