医学界新聞


『精神看護』誌2021年5月号[24巻3号]より

対談・座談会 小貫 洋子,大沢 岳征,雨宮 栄子,安藤 由紀,貝田 博之

2021.04.26 週刊医学界新聞(看護号):第3418号より

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 2020年11月に発行された『「身体拘束最小化」を実現した松沢病院の方法とプロセスを全公開』(医学書院)では,「どうすれば身体拘束を最小化できるか?」という問いに対する提案を事例とともに数多く紹介している。しかし医療現場には,本書を読んで「ではこの通りにやってみよう」と簡単には進められない事情や状況がある。

 『精神看護』誌では身体拘束最小化をめざしながらもなかなかうまくいかない現状に悩む4人の看護師に対し,院内で身体拘束最小化を達成した貝田氏がアドバイザーとして答える座談会を企画。現場の困り事とそれに対するヒントを話し合った様子をダイジェストでお伝えする(座談会全文は『精神看護』誌2021年5月号[24巻3号]に掲載)。

――では安藤さんの病院で今困っている状況を話していただけますか。

安藤 転倒してインシデントレポートを上げた後に,スタッフが責められるような雰囲気になってしまい,それが拘束を外す足かせになっているように感じています。以前は私も医療安全委員をしていたので,転倒があると現場に行って,「どういう状況で転んじゃったの?」「センサーはちゃんとONになってたの?」「何分前に見に行ったの?」と,責めるつもりはないのですが,質問していました。でも今,現場で自分が逆に聞かれる立場になったら,そうやって聞かれることが,「ああ,私にミスがあったのかな。責められてるわ」と感じて,つらいと実感しています。状況把握のための質問をする限り,誰がやっても責めてるように見えるなと思います。

――なるほど。インシデントやアクシデントが起きた時のレポートと,それを確認する時の方法について,貝田さんの病院ではどうされてきたのですか。

貝田 当院ではインシデントレベルの何かが起きた時,インシデントレポートは出すのですが,それに対して医療安全委員会からの確認はないです。

安藤 えっ! そうなんですか。

貝田 インシデントレポートを上司に上げたら,よほど状況把握ができない内容でなければ個人への確認はありません。

 1つ思うのは,目に見える骨折をするのも事故ですが,拘束をすることでの見えない弊害もありますよね。例えば患者さんの自尊感情が低下した。意欲がなくなった。立ち上がる気力もなくなった……というのは事故じゃないのか,と。そちらのほうが,人間の根源を痛めつける大事故だと私は思うんです。目に見える事故(転倒・骨折)は責められるけれど,目に見えないもっと大きな事故(人間性の毀損)を起こしていても責められない。その論理的矛盾に我々は気づくべきだと思うんですよね。

 そこに視点を当てて,スタッフに,「転んで骨折をしたけれど,あなたは患者さんの自尊感情を保つために外したんだよね」と,そういう肯定的な一言を付け加えてあげれば,言われたスタッフは楽になるような気がするんです。

 アクシデントレベルになったら確認しなければいけないことが出てくるとは思うんですが,その時でもスタッフを肯定するような一言を添えられるかどうか,それ次第だとは思いますね。

全員 (どよめき)ああ,なるほど。すごくいいですね。

安藤 インシデントだってアクシデントだって,私たちは防ごうとしているけれど,どうしたって起きてしまうんですもんね。

大沢 1つ質問したいのですが,私は主任なので,スタッフからインシデントレポートを受ける側です。先ほど貝田さんがおっしゃっていたこと,確かにその通りだなと思うのですが,委員会が確認しなくても,管理者としてスタッフに「どうして転んだの?」「どういう状況だったの?」と確認する必要はあると思うんです。そこでもうちょっとスタッフも前向きに捉えられる言い方って,どういうものでしょう。

貝田 当院でも,師長は同じように聞きますよ。ただ,嫌な顔はしませんね。うちの師長はちょっと変わってて,職員の失敗を責めないというか,そこには無関心を装えるというか。むしろ「頑張ったんだもんね」と褒めるようなスタンスで話を聞いてくれていますね。恐らく師長本人は看護部長から怒られているのかもしれませんが,それをスタッフには全く見せないのです。

大沢 なるほど。ある意味演技をするというか,俳優になるというか。自分は上から責められるかもしれないけれど,下にはそれを見せない。事実確認の部分は「はい」「あ,そうですか」であっさり済ませて,「頑張った結果としてこうだったんだよね」ということを前面に出す,という感じですね。わかりました。

――安藤さん,スタッフのチャレンジにポジティブなフィードバックをすることはできそうですか。

安藤 はい。明日からそうします。「どうして転んだの?」「どうして?」と言われた時は私も嫌だったので,やっぱり相手にもそんな思いをさせちゃいけないですね。また,先ほど貝田さんが言われた,拘束したことによってより重大な事故が起きているのに,そちらは見ないようにしているという指摘はもっともだと思いました。

――そうですね。今の部分,小貫さん,合点がいったでしょうか。

小貫 ……私が看護部長になる前は,うちの病院は,インシデントレポートを持っていくと,必ずといっていいほど書き換えの指令が出ていたんです。

――すみません。何の指令?

小貫 この部分がおかしいから書き換えなさいと,書き方への指導が入っていたんです。

――ヘェッ!

小貫 そう。だからスタッフは,インシデントレポートを書くことが嫌だし,患者さんが転ぶと書かなきゃいけないから,ますます「転ばせたくない」という思いが強くあったんです。今,私が看護部長になってからは,インシデントレポートが上がってきても,書き直させたりせず全部受け取るようにしています。

 ただ,今の話を聞いていると,私のところには師長たちから上がってくるので,頑張ったのに転ぶ場面に当たってしまった看護師には,「頑張ってくれてありがとうね」という言葉を,私からも直接かけたいなと思いましたね。


――では別の困り事に行ってみたいと思います。雨宮さんいかがですか。

雨宮 看護部長としての悩みどころは,急性期でも慢性期でも,点滴が入った場合に患者さんに抜かれてしまうリスクです。本当に身体拘束をしないとなれば,看護師1人がその患者さんに付きっきりにならなければいけません。点滴も患者さんから見えないように服の中を通したり,工夫しながら行っていますが,それでも抜針する,転倒するといったことがある。そこに当たった看護師の疲弊を聞くと,看護管理者としては何とかしてあげたいなと,その場合は拘束もやむなし,という思いになるんです。

――正直にお話しいただいてありがとうございます。ここに松沢病院の方がいないので,松沢病院の本の編集を担当した者として代理で1つお伝えしたいのですが,松沢病院でも,超急性期に必要だと判断した場合の身体拘束は行っているんです。ただし,「こういう状態になったら外す」ということをあらかじめ決めた上で,です。そして拘束した後も,拘束解除を話し合うカンファレンスを毎日行うそうです。だから期間限定の身体拘束になります。一方,全国の病院では,「こうなったら外す」を決めずに始まる身体拘束があまりにも多い。その点が問題なのかなと思うのです。

 貝田さんはどう思われますか。

貝田 以前,介護スタッフ対象の研修を行った時に例題を出したんですよ。「2人で夜勤をし,もうすぐ夜勤明けという朝,一番忙しい時間帯に経管栄養を抜こうとしている人がいます。介護施設なので,再挿入はできません。他の患者さんは40人います。そういう状況でどうしますか」と聞いたら,「1人が見守りにつきます」と言っていました。「残りの40人を,1人で起こすの?」と言ったら,「そうです」と。

 今,私たちの目の前にある課題は,自分たちの価値観をどう変えていくかということだと思うんですよ。恐らく,見守っているほうのスタッフは,もう1人のスタッフに申し訳ないでしょうし,その申し訳なさをなんとかしてあげたいなとは思いますけど……。実際に現場で1人が見守り,1人が業務という状況下のスタッフの2人に,「あなたたちはこういう大事なことをしているんだよ」と,自分だったら伝えると思います。そして,もう1人のスタッフには,「相手の分も補ってもらって,ありがとうね」と言うかもしれません。それくらいしか,思い浮かばないのですが。

大沢 その点に関連して私が注目したのは,松沢病院の本の30ページに,「松沢病院の認知症病棟入院に際してのお願い」という形で,同意書が載っていますよね。それを見ると,「当院(松沢病院)は身体拘束をしません。そのため,歩行中の転倒,ベッドや椅子からの転落による骨折事故が起こる可能性があります。病院としても可能な限りの事故防止策を講じ,職員も注意を払っておりますが,こうしたリスクについて,あらかじめご承知いただきたくお願い申し上げます」と書いてありますよね。これは今まで私たちが使ってきた「身体拘束をすることを了承してください」という同意書とは全く逆ですよね。

――これも松沢病院の本の編集を担当した者としてお伝えすると,身体拘束が外せない1つの理由が,「転倒した時に家族から責められる。場合によっては訴訟になる」という恐れだと聞きました。この同意書を作ったことによって,身体拘束をせずに転んだ時に家族から一方的に責められる,場合によっては訴訟になる」という恐れからスタッフがある程度解放されて,家族の理解のもと,最小化に挑戦しやすくなったとおっしゃっていました。

雨宮 なるほど,こういう同意書があると,もう少しスタッフが心配せずに,安心の中で働けるかも,ですね。

(抜粋部分終わり)


3418_0301.jpg 座談会が終わった直後,話せてよかった,気持ちが軽くなった,と感じた。同じような思いを抱えている人や課題を乗り越えた人と話せたことで,自分の悩みは間違いではなく乗り越えられるものだと勇気をもらえたからだ。

 座談会で話しているうちに,少しずつだが当院の現状も見えてきた。3年前よりも今,昨年よりも今,当院は身体拘束最小化に向けて考えるスタッフが増えているし,実際に行動制限が解除されている事例もゼロではない。一方で,大きな成果が出ないからダメだと思っていた自分がいた。

 また,私はこれまで「身体拘束最小化をしていこう」「拘束が長期になっている方は見直そう」と発信しているつもりになっていただけで,スタッフと共に患者さんのそばで拘束解除の具体的な方法を考えられていたわけではないことに気付いた。そもそも私自身が口先だけの説明だったから,現場はなかなか動きにくかったのではないだろうか。そう考えると,私自身が一番「最小化は無理だ」と諦めていたとも言える。座談会で他施設の方と話をすることで,冷静にそうした現状を振り返ることができた。

 私が看護師長だった時は自分の病棟だけを管理していたために,患者さんと直接かかわることも多く,やってみようと思えばすぐに行動に移せた。しかし昨年,看護部長という全ての病棟を管理する立場になり,現場に行くことがめったになくなっていた。

 管理者が言葉だけで「身体拘束最小化に取り組もう」と発信したところで状況は変わらない。座談会で貝田さんが「まずは自分の勤務中に最小化に取り組んだ」と話すのを聞いて,言葉だけではなく行動で見せることも必要だと思った。私の中で「部長は現場には行かないもの」という思い込みがあった。これからは積極的に現場に入り,スタッフと一緒に考えていきたい。そして,いつかはスタッフから発信する形で最小化に取り組める組織にしたい。

 今感じている課題は,身体拘束最小化の実現には看護部だけの考えや動きでは限界がある,ということだ。医師を含めた他職種との考え方や方向性を整えていくにはどうするべきか。一事例ずつ問題を解決していく中で,病院としての方向性を定めていくしかないのだろうか。座談会の中で貝田さんは「現場で動いているスタッフが変わることで病院全体の方向性が変化した」と語っていた。看護師1人ひとりの働きが身体拘束最小化の実現につながった事例に私は希望を感じている。

 先日私が病棟に行くと,2人のスタッフが車椅子のカタログを見ていた。どうしたのかと尋ねると,患者さんが車椅子からずり落ちることがあるので,車椅子や車椅子用のクッションを変えたら落ちないのだろうかとカタログで探していたのだという。これを聞いて私はうれしかった。「ずり落ちるから車椅子ベルトを使おう」ではなく,「何か代替方法がないのか」と探してくれたことが。私が見えていなかっただけで,スタッフは行動制限最小化に向けて,とっくに歩み出しているのだ。


3418_0302.jpg 座談会後,他の病棟から異動してきた看護師Aさんに「私ミトンが嫌いなんですよ。外していきましょう。使い過ぎだと思うんですよね」と声を掛けられた。こんなにストレートに言われたことがなかったので驚いたが,仲間ができたと喜んだ。

 認知症患者のBさんが退院した時に,Aさんが私に言った。「よくあの状況で縛らなかったですよね。前の病棟だったら車椅子安全ベルトを使っていたと思います」。Bさんは歩ける認知症の方だった。歩けるとは言っても転倒リスクが高く,見守り歩行レベルであるため,臥床時以外は看護師や看護助手の誰かが見守りをしていた。これまでであれば,「看ていられません。危ないし。安全ベルトを使わせてもらいたい」という声が出るところを,今回は誰からもその声が出なかった。

 Bさんの入院中,私は夜勤時にペアを組んでいた看護師に言った。「Bさんを縛らずに看られていて,みんなすごいなって思ってるんだ」と。するとこんな言葉が返ってきた。「縛ったほうが大変じゃないですか。大きな声を出すだろうし。今より大変になる。薬が増えたら寝ちゃって,ご飯食べなくなる……誤嚥する……そして歩けなくなっちゃうだろうし」。

 看護助手さんも,忙しい合間をぬってBさんとパズルを一緒にしたり,新聞を読んでくれたりした。「Bさん,字がうまいんですよ」「大事な物は冷蔵庫にしまうんです」など,ケアに役立つ情報も教えてくれた。

 そうやって,車椅子安全ベルトを使うことなく,そして転ぶことなくBさんは無事に退院することができた。これは快挙である。

 これまで,退院した認知症の方についてスタッフに何かを伝えたことはなかったが,Bさんが転ぶことなく無事に退院できたのは皆のおかげ! これは認定看護師として声を大にして伝えなくては!! そう思った私は,病棟会で次のように伝えた。「Bさんが転ばずに自由に歩けたのは,忙しい中でもみんなが見守りをしてくれたからです。本当に大変だったと思いますが,ありがとうございました。100点以上です」。

 スタッフみんながどのように受け止めたかはわからないが,今後も患者さんにとって良かったことは伝え,そのケアができた自分たちを褒め,喜び合い,良いケアの連鎖を作っていきたい,そう思った。

 座談会に参加し,悩みを聞いてもらう中で,「うちの病院は物品だけではなく,仲間にも恵まれているのだ」と思った。できないことを人のせいにしないということ。全ては私の意思次第だということ。伝えるべきことは,はっきり伝えるべきだということ。

 それらに気付くことができた座談会だった。前を向いて仲間と知恵を出し合いながら働いていきたい。

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