医学界新聞

名画で鍛える診療のエッセンス

連載 森永 康平

2021.02.08 週刊医学界新聞(レジデント号):第3407号より

 「物語」の構造が診療に役立つと考える人は多くないと思います。しかし人々は「物語」を囲んでつながり,危険回避など生き延びるために必要な知恵や経験を後世に紡いできました。

 哲学者の野家啓一は『物語の哲学』(岩波現代文庫)で,「物語とは経験を伝承し,共同化する言語装置である」と説きました。「物語」は人に寄り添いながら遥かな時間や場所を越え,洗練されてきた文化装置なのです。この構造を理解することは,診療に役立つ大きな可能性を秘めているのではないでしょうか。

 物語の構造には起承転結や序破急,ヒーローズジャーニーなどいくつかの種類がありますが,最初に舞台や登場人物の説明が入る点は共通しています。この導入のおかげで私たちは物語をスムーズに追体験し,理解することができるのです。

 物語の構造を意識してを眺めると何が見えるでしょう。第4回で取り上げた「大枠から細部へ」の原則も生かして考えてみましょう。

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 チャタートンの死(ヘンリー・ウォリス)

 窓の外の景色,部屋の構造,異国風のおしゃれな服装から,アジア系というよりも西欧系でしょうか。

 シワのない整った顔立ちを見ると10~20代の若い男性のようです。服には黒いすす状のものがこびりついており,薄汚れたベッドの様子から貧しさが伝わってきます。

 右のベッド脇のテーブルには煙が漂うロウソク台があります。火が消えたばかりで,明け方でしょうか。

 

 あらためて男性にフォーカスを当てましょう。目を閉じ,安らかな顔でベッドに横になり腕を投げ出しています。靴は片方がつっかけたままです。ベッドにバタンと倒れこんだのかもしれません。そう考えると,無造作に床に転がる茶色の小びんとの結びつきが一気に読めてきませんか。左下の引き裂かれた紙束を見ると,自分の作品が世間に認められず行き詰まった未来に悲嘆し,自決を遂げた若き芸術家でしょうか。絵を観察することで物語がおぼろげに浮かび上がってきます。

 物語を理解することが,どう臨床現場で生きるのか見てみましょう。

 受診する患者さんは症状出現と受診までの経緯,それを今どう解釈しているか「物語って」います。まず医療者は患者さんを取り巻く背景や人間関係,病気の影響等を導入として把握します。そして敬意を払いつつ表情などの非言語的な情報を察知して対話を重ねることで,患者さんの「物語」に触れていきます。この時,医療者がいたずらに評価しようとしたり,関心を持っていないと伝わったりすれば,患者さんは口を閉ざしてしまうかもしれません。

 どんな最先端の検査でも,患者さんの物語は「検出」できません。例えば朝からの飲酒で酩酊状態になり,転倒した患者さんが受診したとします。医療者のあなたは患者さんを叱ったり,呆れたりするかもしれません。しかし,その背景には「理不尽な理由で職や家族を失い,自暴自棄になっていた」という物語が隠れているかもしれません。それを「検出」できるのはあなただけなのです。

 対話を経て得られた患者さんの物語を土台に,文脈を意識した診療を心掛ける。これによって医療者の独りよがりではない,身体的,精神・心理的,社会的な視点を含めた「全人的」なアプローチが実現できると思います。私たちの診療において,物語はメタ的な視点からも診療の構築を助ける,羅針盤の役割を果たしてくれるのではないでしょうか。

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