医学界新聞

対談・座談会 中村 好一氏,川端 裕人氏

2021.01.18 週刊医学界新聞(通常号):第3404号より

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 2020年はCOVID-19の感染拡大に伴い疫学研究の存在感が高まりをみせた1年となりました。論文におけるデータ解釈の仕方など,あらためて勉強し直したいと思った方も多いのではないでしょうか。

 このたび,疫学の入門書として定評のある『基礎から学ぶ 楽しい疫学』(医学書院)が7年ぶりに改訂,第4版が出版されました。本書を上梓した中村氏と,第2版から本書を愛読し,小説『エピデミック』(2007年角川書店,2020年に集英社文庫)では疫学者らの感染症との闘いを描いた川端氏が,疫学の奥深さと魅力,その可能性を語り尽くしました。

中村 私が医学部に入学した1970年代の医学は「勘と経験の世界」。まだ科学的とは言えませんでした。大学でサイエンティフィックな領域を探す中で出合ったのが疫学です。私は疫学の奥深さに魅了され,卒後40年にわたり川崎病やプリオン病を中心に疫学研究を続けています。

川端 中村先生の取り組みは,『基礎から学ぶ 楽しい疫学』,通称「黄色い本」を通して拝見してきました。

中村 ありがとうございます。サイエンスジャーナリスト・ノンフィクション作家・小説家と多彩な顔をお持ちの川端先生は,どのように疫学と出合ったのでしょうか。

川端 きっかけは2001年に執筆した小説『ニコチアナ』(文藝春秋)で喫煙とがんの因果関係について踏み込んで考えたことです。倫理的観点から人体実験ができないこの分野では,疫学のアプローチが科学性を担保する上で重要な役割を果たしているのではないか。取材を重ねるうちにそう気が付いたのです。

中村 コロナ禍で話題となっている,感染症疫学をテーマにした小説『エピデミック』は2007年に刊行されています。まさに現在の日本社会を予言した内容です。本書を執筆した背景を聞かせてください。

川端 疫学に探偵物語としての魅力を見いだし,小説にしたいと考えたのです。疫学者が「時間・場所・人」の3要素を丹念に調べ上げて感染源にたどり着くプロセスは,探偵が証拠を地道に積み重ねて犯人を突き止めるプロセスによく似ているのではないでしょうか。

中村 同感です。疫学者は収集した情報をもとに仮説を設定し,「2×2表」(表1)などのさまざまな道具を用いて,曝露と疾患の関連の強さを明らかにしていきます。ここに疫学の楽しさがあるのです。

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表1 症例対照研究で「2×2表」を作成する(『基礎から学ぶ 楽しい疫学 第4版』p.65より改変)
1つの観察対照集団の中で疾患を持つ者を症例,持たない者を対照としてオッズ比 (a×d)/(b×c) を求め,曝露と疾病との関連の強さを計算する。

中村 疫学とは疾病予防,寿命の延長,QOLの向上を目的に現状を変革して人々の健康を支える方法論であり,人間集団における健康状態とそれに関連する要因の分布を明らかにする学問だと私は考えています。

 疫学の原点は,英国の麻酔科医ジョン・スノウがコレラの発生源となる井戸を突き止めた1850年代にまでさかのぼります。ただしこの時代の疫学は記述疫学を中心とした観察疫学で,2つの集団間の疾病頻度の比である相対危険などの観察がなく,まだ科学的とは言えません。

川端 では,疫学の科学的な学問としての始まりはどこにあるのでしょうか。

中村 私自身は喫煙と肺がんの研究にあると踏んでいます。1964年に当時の米公衆衛生局長官Luther Terry氏が公表したレポート『Smoking and Health』は,7000編以上の文献から喫煙が肺がんやさまざまな疾病の原因であることを明らかにした重要な資料です。本レポートで因果関係を推定する時の,関連の一致性,強固性,特異性,時間性,整合性の5つの視点は疫学研究者は必ず身につけるべき視点です。

川端 曝露と疾病の因果関係を導くところに,疫学の大きな学問的意義がありますね。中村先生がわが国における川崎病の疫学像を明らかにするために行っている川崎病全国調査は,50年の長い歴史を持っています。これはどのような調査なのでしょうか。

中村 本調査は1970年から2年に1度の頻度で行われ,全国の小児科医に回答をいただいています()。本調査のような記述疫学研究では疾病の患者規模を把握します。これは研究者が疾病研究を行う土台となるのです。

 川崎病ではしばしば冠動脈瘤や心筋梗塞などの心疾患後遺症がみられるため,追跡調査を行って長期予後を解明することが大切です。そこで虚血性心疾患や脳血管疾患など循環器系疾患の増加の有無を調べることを目的に追跡調査を行っています。最終追跡が行われた2009年時点で対象集団のおよそ8割はまだ20歳代で,循環器系疾患の好発年齢となる50歳代に至るまでにはまだ時間がかかります1)

川端 この種の調査に臨む疫学者には“長期戦”の覚悟が求められるのですね。

中村 ええ。私はこの調査で研究対象者全員の最期を見届けるのが,疫学者としての責務だと考えています。しかし,これを私一人で達成するのはとても難しいでしょう。追跡調査は実に息の長い仕事なのです。

川端 臨床医からしてみれば,こうした疫学調査の結果が自らの治療や診断に確信を持ったり疑問を抱いたりするきっかけにもなるのだと思います。

中村 特に本調査では,小児科の先生方が労を惜しまず調査に協力してくださいます。そしていただいた回答が川崎病研究のエビデンスを作り上げていくのです。同時に,疫学者には疫学の研究成果を臨床現場に還元する意識を高めてほしいと考えています。疫学者と臨床医が協働することで,研究の精度は飛躍的に向上するでしょう。

 疫学は疾病対策にも重要な役割を果たしています。エビデンスに基づいた政策の立案に不可欠なデータを提供するのは,まさに疫学なのです。

川端 エビデンスを必要とするあらゆる分野では,そのバックボーンに疫学があるのではないでしょうか。例えば健康の社会的決定要因を疫学的に解明する社会疫学はわかりやすい例です。他にも学校現場における教育効果の評価や,どの政策を選ぶと犯罪が減るかのエビデンスが必要な時も,疫学の手法が活躍します。2020年のCOVID-19の世界的感染拡大では,感染症疫学...

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自治医科大学公衆衛生学部門 教授

1982年自治医大卒。同年より福岡県職員として県庁・保健所に勤務,89年より同大公衆衛生学教室教員,99年より現職。92年米テキサス大公衆衛生学部,98年慶大法学部卒。専門は疫学,保健統計学,医療情報学,医事法学。著書に『基礎から学ぶ 楽しい学会発表・論文執筆』『基礎から学ぶ 楽しい保健統計』『基礎から学ぶ 楽しい疫学 第4版』(いずれも医学書院)。

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サイエンスジャーナリスト/ノンフィクション作家・小説家

1989年東大教養学部卒。日本テレビ報道局で科学報道に従事。97年に退社しフリーランスとなる。小説の取材を進めるうちに疫学と出合い,その科学性にセンス・オブ・ワンダーを見いだす。『「色のふしぎ」と不思議な社会―2020年代の「色覚」原論』(筑摩書房),『理論疫学者・西浦博の挑戦――新型コロナからいのちを守れ!』(中央公論新社)など著作多数。

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