医学界新聞

新年号特集 生殖医療と生命倫理——医学の発展は何をもたらすのか

対談・座談会 石原 理氏(司会),苛原 稔氏,加藤 和人氏,柘植 あづみ氏

2021.01.04 週刊医学界新聞(通常号):第3402号より

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生殖医療が不妊症の治療手段としてのみ利用されていた時代は過ぎ去り,現在では独身女性への治療,ヒト胚の遺伝子診断・ゲノム編集など,黎明期には想像もできなかった範囲にまで影響を及ぼしている。社会の在り方とも複雑に絡み合う生殖医療の形は今後どう変容していくのか。これまでの発展の経緯を振り返り,新たに生まれた問題点について議論を深めていく。

石原 英国の生物学者であるEdwardsと,産婦人科医Steptoeの手によって,1978年に世界で初めて体外受精児が誕生しました。臨床応用に向けた体外受精の研究を始めてから約20年,102例目での成功だったそうです。その後,1983年には東北大で日本第1号の体外受精児が誕生しました。

 それから約40年が経過し,今では日本でも約16人に1人が生殖医療(本座談会では「生殖補助医療」と同義で用いる)によって生まれています([寄稿]拡大し続ける生殖医療の適応範囲・図4参照)。初めに現在のような生殖医療の提供体制に至るまでの変遷を,本邦の生殖医療技術に関する議論に深く携わってこられた苛原先生よりお聞かせいただけますか。

苛原 世界初の体外受精児誕生の報せを聞いたことで,日本各地の産婦人科医がいち早く体外受精を導入しようと,取り組みの進んでいた海外を訪問し技術習得に励んでいました。そうした動きに合わせ,議論の場としての日本受精着床学会が1982年に設立されています。

石原 同年には体外受精を臨床導入するため,ヒトを対象にした新たな医療行為や医学研究の妥当性を倫理的,社会的観点から検討する倫理委員会が,徳島大学内に日本で初めて組織されましたね。当時としては異例の試みだったと思います。

苛原 ええ。本学産科婦人科学教室の教授であった森崇英先生(現・京大名誉教授)が提案し,設置が実現しました。現在では規約上認められませんが,大学病院の院長を倫理委員会の長とし,医師だけでなく生化学者や憲法学者,哲学者を含めた8人の委員からなる学際的な組織でした。結果,設置から約半年間で11回もの議論を行い,①生殖を補助する手段の1つとしてのみ体外受精の技術を認める,②生まれた子どもを長期間フォローする,という2つのポイントに意見が集約されました。

石原 1983年に日本産科婦人科学会(以下,日産婦)が発表した会告「体外受精・胚移植に関する見解」(図1)に近い内容ですね。日産婦での議論の下地になったことは間違いないでしょう。その頃,世界の生殖医療はどのような状況だったのでしょうか。

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図1 日産婦による「体外受精・胚移植に関する見解」(1983年発表版)
2014年発表版が最新。

苛原 英国に続き,オーストラリアや欧州諸国で体外受精児が誕生しました。国内初の報告はどの国も80年代前半であり,日本の取り組みが決して遅かったわけではありません。

 米国は技術的には進んでいたものの,受精卵の扱いに関して宗教的な議論が過熱したために臨床への導入がやや遅れました。それでも1981年には第1号が誕生しています。生命の萌芽である受精卵を研究,治療の対象とする生殖医療は,宗教思想と不可分の関係であり,今なお受精卵を用いた研究への抵抗は根強いです。

石原 当時,日本国内においても体外受精に対する批判の声は大きかったと思います。

苛原 記憶に残っているのは,1982年に読売新聞社が実施した体外受精に関する全国世論調査です。回答者の約6割が体外受精に対して「反対」ないし「時期尚早」との意見を持っていました。こうした世間からの風当たりも考慮し,前出の会告においては不妊症という病気に対する「治療」としての意義を前面に押し出していたように感じています。

柘植 そもそも社会における不妊症の認知度自体が高くなく,「試験管ベビー」といった歪曲的な表現が独り歩きしていたのもマイナスなイメージを抱かせた大きな要因でしょう。当時の意識調査をいくつか比較したところ1),「試験管ベビー」の単語が質問項目に入っていると反対意見が多くなり,「不妊治療としての体外受精」と記載されていれば賛成意見が増えていました。体外受精に対する偏った認識が世の中に跋扈していたことがよくわかります。

 また,当時は女性のみに不妊の原因が押し付けられていましたが,不妊の原因の約半数が男性に依拠することが次第に明らかになり,不妊がカップル間で解決すべき課題として取り組まれることがここ数年増えています。生殖医療に対する世間の印象が,約40年を経て少なからぬ変化を遂げていることは間違いないでしょう。

苛原 体外受精に対するイメージの変化とともに,医療技術自体の大きな発展も見逃せません。黎明期は採卵のタイミングを予測するために大勢の医療チームで対応しなければならず,相当な労力が必要でした。しかし,超音波機器や,排卵を誘発するGnRHアナログ製剤をはじめとした新規の薬剤開発等によって,子宮や卵巣,胎児発育の確認が簡便になったり,排卵・採卵時期もほぼ自由にコントロールできたりするようになりました。さらには1990年代初頭に顕微授精児が誕生したことで,従来妊娠する方法がなかった無精子症の方でも子をもてる可能性が開かれたのです。

 しかしその一方で,必要以上に排卵誘発を行ったために卵巣過剰刺激症候群で死亡してしまったケースなど,技術の発展の裏にはさまざまな問題がありました。

石原 その通りです。もともと健康状態が良好な方に提供する生殖医療の結果として,利用者の生命を左右してしまうこともあり得るわけですよね。現在日本は世界で最も安全な生殖医療を提供する国の1つであることが国際的に認識されているものの2),元来出産リスクが高いとされる高齢での出産数が急増しています([寄稿]拡大し続ける生殖医療の適応範囲・図3参照)。出産時のリスクに鑑み,時には利用者が望む医療の形が医学的な正解とは言いづらい時もあるでしょう。このようなケースに対して医療者がどのように患者と意見をすりあわせていくかは,生殖医療を提供する側の今後の大きな課題と言えます。

石原 さて,ここで意見を伺いたいのは生殖医療の適応範囲についてです。従来,日本における生殖医療の対象者は,図1の「体外受精・胚移植に関する見解」によって婚姻をした夫婦のみとされていました。しかし社会の変容もあり,2014年に本見解から婚姻規定が撤廃され,事実婚のカップルにも適用が拡大されています。さらに,海外には同性のカップルや独身者まで利用対象が広がった国も多数あります。日本ではまだそうした方々への生殖医療の提供体制は整備されていませんが,社会の関心は明らかに高まっていると言えるでしょう。

柘植 生殖医療に関連する法整備が進むオーストラリア・ビクトリア州では,1995年の不妊治療法で第三者配偶子を利用して生まれた子どもの出自を知る権利を認めました。2008年には同法を改正した生殖補助治療法を制定。VARTA(Victorian Assisted Reproductive Treatment Authority,写真)という機関を設立し,出自を知る権利と情報管理等の機能を拡充しています。また,第三者配偶子をシングルの女性やレズビアンカップルが利用することを認めました。

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写真 ビクトリア州で提供配偶子での生殖医療の認可と登録情報の管理等を行うVARTAのスタッフと写真展“The Donor Conception:Towards Openness”
提供配偶子による出生の事実を親が子に伝えること,子どもがドナー情報にアクセスできることの必要性をいち早く主張してきた女性が,亡くなる直前に出会えたドナーと一緒に写る写真(左から2番目)も展示された。

石原 利用対象の拡大時に反対意見は上がらなかったのでしょうか。

柘植 法改正当初は反発の声も大きく,「医学的に不妊の女性は」との条件を付していましたが,反対意見への説明として,異性との性行為を精神的に受け入れられない,つまり「精神的不妊」という定義を設けて,利用できる人の範囲を拡大したのです。また,親になろうとする人,提供者になろうとする人にはカウンセリング等のスクリーニングが設けられています。

 生殖医療の対象者を拡大する議論と同時に,こうした第三者配偶子の提供に関する制度設計の議論は必至です。

加藤 ビクトリア州ではどのような運用体制となっているのですか。

柘植 第三者配偶子を用いた生殖医療に関しては,次の点がポイントです。

  • ①夫婦(事実婚を含む)あるいは不妊のシングル女性,レズビアンカップルが,精子,卵子提供で子どもをもつことが可能
  • ②生まれた子どもが自分の出自として精子や卵子の提供者に関する情報(個人が特定できる情報を含む)にアクセスできる権利の保障と州による情報の登録管理体制の整備(
  • ③配偶子の提供者は,自身の配偶子で生まれた子どもに連絡可能
  • ④生殖補助治療法の制定前に生まれた人,配偶子の提供者になった人にはボランタリーレジスターと呼ばれる自主的な登録によって,互いが許可した範囲の情報を取得可能
  • ⑤非商業的代理懐胎は男性同性カップルにも認められる(厳しい規制あり)

加藤 提供者,被提供者,出生児の関係者全てに配慮された制度設計がなされていますね。

柘植 ええ。ですが,それでもトラブルは起こるようです。例えば,②に関して,第三者からの配偶子提供によって生まれた子どもの親にはその事実を子どもに説明すべきとされています。しかし子どもに話す機会がうまく作れず,結果的に隠している親が少なくないと言われます。そのため少数例ですが,③の権利を行使した提供者がVARTAを通じて出生児にコンタクトを取った時に初めて,自身が第三者配偶子によって生まれたことを知るケースがあるようです。

石原 生殖医療に取り組む方の中には,「治療をしなければ子どもが産めない」というある種の負い目のような感情を抱いている方がおり,治療を受けていること,またその成果で子が産まれたことを隠せるものなら隠したいと考える方が多いようです。日本では特にその傾向が強く認められますが,生殖医療に関して権利や法整備,社会的理解が進むオーストラリアでも同様の心境に至る方が多いのですね。

柘植 私もこの事実を知った時は衝撃を受けました。一方で,例えばレズビアンカップルが子をもつとなれば,生物学的には子どもは誕生しないために,当事者はその状況を説明せざるを得ません。むしろ隠す意味がなくなるのです。以前,米国でインタビューした白人女性カップルのケースで興味深かったのは,肌の色や髪質など明らかに見た目が異なるドナーを選び出産していたことです。「どうして?」と率直に聞いたところ,「半分は自分たちの子どもであって,半分は自分たちの子どもではないから,違っていいと思った」と返答がありました。多様性とはこのようなことを指すのだなと思いましたね。

 ただ,多様性という言葉の解釈を間違えてしまうと,「何でもありの世界」が生まれる危険性も孕んでいます。

加藤 その通りです。医学の進歩により選択肢が増え,その技術に併せて法制度や国の体制を整えなければならないという論理はわかります。しかしそれは対症療法にしかすぎないのではないでしょうか。遠くない将来,もともと生殖医療の対象ではなかった方に「どこまで対応すべきか」という議論をしなければならない日が来るはずです。

石原 つまり,家族のかたちの多様性を認めることと,社会的な理解をどう両立させていくかということですね。

加藤 もちろん簡単な議論でないことは明確ですし,答えが出ない問いでもあるでしょう。生殖医療は家族や社会の在り方と密接に関連するために,今後より一層慎重な議論が必要です。

石原 加藤先生より家族・社会の在り方に関する指摘がありました。この議論の中でもう1つ踏まえなければならない問題は,生殖医療ツーリズムについてです。この問題に詳しい柘植先生から概要をお話しいただけますか。

柘植 日本における第三者配偶子を用いた生殖医療は,実施施設や対象者が厳密に定められており,条件に当てはまらない場合は利用できません。そのため規制があまり厳しくない海外に希望を求め,渡航する方が少なくないのが現状です。もちろんこれは日本だけの問題に限らず,世界各国で起きています。

石原 特にアジア諸国は生殖医療ツーリズムの受け入れ先となっており,利用規制に対する策が次々に講じられていると聞いています。

柘植 一例を挙げると,タイでは生殖医療ツーリズムに関連するいくつかのトラブルの発生後に代理出産と卵子提供の規制を厳しくしたところ,当時規制がなかった隣国のマレーシアに技術を有するタイの医師と患者が移動して生殖医療が提供されるようになりました。すると,マレーシアも規制が厳しくなり,今度はカンボジアで同様の事態が起きました。生殖医療ツーリズムの問題は,経済的に貧しい女性が金銭と引き換えに代理出産するという貧困問題も絡むために,一筋縄ではいかないのです。1つの国だけで検討,規制すべき範囲を越えてしまっています。

石原 欧州ヒト生殖医学会では長年この問題を議論しており,国境を越えた生殖医療の実態を調査するワーキンググループが立ち上がっています。しかしこれらは欧州のみでの実態把握にすぎません。私もメンバーである国際生殖補助医療監視委員会(ICMART)でも同様の実態調査に取り組んでいますが,こちらも報告の得られるアジア諸国が少ないため,最も調査が必要と考えられるアジアの実態が見えないのが現状です。そもそもアジアにおいては,生殖医療ツーリズムの利用数だけでなく,自国内で行われる生殖医療のレジストリも未整備です。

苛原 2020年になって初めて,中国が自国内で行われた生殖医療に関する統計データをHuman Reproduction誌に発表しましたよね。

石原 ええ。報告を見てみると,最新データとして公表されている2016年の治療周期数は約90万周期で3),世界で最も多いとされていた日本の治療周期数約45万周期の倍であることが判明し,その数は欧州全体の治療周期数に匹敵していました(図24)。こうしたデータに加え,実施件数が多いと見込まれているインドやインドネシアの治療実態が明らかになれば,アジアの実態把握ができる日も近いかもしれません。

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図2 世界全体の治療周期数(2016年時点)の割合からみる各地域の現状(文献3,4より)
2020年に中国における治療周期数のデータが公開され,治療周期数が90万周期を超えていることが判明した。その数は,これまで世界で最も多いとされていた日本の治療周期数約45万周期の倍であり,欧州全体の治療周期数に匹敵する。

石原 生殖医療ツーリズム以外にも国際的に話題となっている事柄があります。それは,ヒト胚を対象としたゲノム編集技術です。中国で2018年に,HIV感染への耐性をつけることを目的にゲノム編集が施されたデザイナーベビーが誕生した事件は,医学界だけでなく社会にも大きな波紋を広げました。この事件に対して肯定的な意見を持つ方は世界のどの地域においてもほとんどいないと理解しています。けれども実際,2020年にノーベル化学賞を受賞したCRISPR-Cas 9技術の登場によって,ヒト胚の遺伝情報改変は非常に身近な存在となりました。

 現在,加藤先生は日本の代表としてゲノム編集技術の規制に関する国際的な議論に参加されていると伺っています。そもそもゲノム編集にはどのような問題が内在しているのでしょうか。

加藤 まず理解すべきは体細胞を対象とするゲノム編集と,生殖細胞系列を対象とするゲノム編集との区別です(図3)。前者はすでに存在する個体,例えばある疾患に罹患している患者の体を構成する細胞(生殖細胞以外)にゲノム編集を施すものです。ゲノム編集の影響はその個体一世代でとどまり,次の世代に受け継がれることはありません。こちらについては,医療応用をめざす多くの研究の進展が期待されています。一方,後者は受精卵あるいは精子や卵子といった生殖細胞など,次世代を生み出す細胞にゲノム編集を行うため,個体の誕生に至ると世代を越えてゲノム編集の影響が及ぶリスクがあります。

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図3 ゲノム編集を用いる細胞による比較
体細胞へのゲノム編集は,すでに存在する個体を構成する細胞(生殖細胞以外)にゲノム編集を施すもの。ゲノム編集の影響はその個体一世代でとどまる。一方,受精卵あるいは精子や卵子といった生殖細胞系列にゲノム編集を行うと,世代を越えてゲノム編集の影響が及ぶ可能性がある。

 さらには,仮にヒト胚を用いたゲノム編集の臨床応用をどこかの国が取り組み始めてしまうと,各国が追従し競うように研究が行われ,歯止めが効かなくなる可能性があるのです。

柘植 すなわち生殖医療ツーリズムと同様に,単一の国だけで議論すべき話題ではないと。

加藤 そうです。また中国でデザイナーベビーが誕生した背景には,米国でゲノム編集を学んだ研究者が,倫理審査の厳しい米国内ではそうした技術の使用が困難な中,自国で施行したという,ethics dumpingの問題が見え隠れしています。ゲノム編集を利用する国の状況や倫理観も議論に含めた上でのコンセンサスを形成し,適正利用しているかを互いに監視するような国境を越えた体制づくりが求められているのです。

石原 国際的にはどのような潮流が生まれているのでしょう。

加藤 2つの組織が規制に向けて取り組みを進めています。1つは米国と英国のアカデミーが中心となって組織された国際委員会(International Commission on the Clinical Use of Human Germline Genome Editing)です。主要国から派遣された専門委員によって議論がなされ,ゲノム編集技術の安全性や効率などの科学面の検討結果を世界各国で共有し,各国が協調できるようなゲノム編集技術の使い方を検討しており,2020年9月に最終報告書をまとめました。

 もう1つは2018年12月に,WHOが設立した委員会(WHO Expert Advisory Committee on Developing Global Standards for Governance and Oversight of Human Genome Editing)です。私も委員の一人として参加しています。前出の国際委員会がどちらかというと科学的な面での国際協力を提案しているのに対し,こちらは国際的な協調を意識しながら各国がそれぞれの事情に沿った法律や指針を強化する,つまりガバナンスの強化により,世界全体としての規制体制の整備をめざしています。こうした考え方はガバナンス・フレームワークと呼ばれ,規制強化に向けた手法リストを公開し各国が規制に取り組むことが目標です。2021年春の公表に向け,議論を継続しています。

苛原 これらの規制はゲノム編集を実際に施行する科学者を主なターゲットにしているのでしょうか。

加藤 はい。ゲノム編集の臨床への応用については,生殖細胞系列はもちろん,体細胞についても再生医療に比べるとまだまだ広がってはいません。そのためまずは技術の施行自体を対象にしっかり監視することをめざしています。関連した取り組みとして,ゲノム編集を用いる研究を登録するレジストリの運用も進めています。

石原 ただ一方で,もしも生殖細胞系列にゲノム編集を施す場合,体外受精の技術の利用が前提になるはずですが,体外受精の利用そのものに関する規制の議論はありません。一定レベルの設備さえ整っていれば体外受精の技術自体はそこまで難しい医療ではなくなった今,科学者に対するゲノム編集の規制のみに議論が集中している状況を危惧しています。

加藤 おっしゃる通りです。そのため科学者だけでなく,生殖医療を実践する医療者,加えて幹細胞を用いた再生医療研究の専門家なども含めた議論が必要だと考えています。本紙の読者である医療者の皆さまからの声もぜひお寄せいただければと思っています。

石原 ゲノミクスは,今後数十年にわたり全ての学問領域のトップランナーであり続けるでしょう。それゆえ生命を冒涜するような技術としてゲノミクスを一方的に否定するのではなく,必要性を理解しコントロールする方向へと舵を切るべきだと考えています。実際,世界ではどのような規制体制が敷かれているのでしょうか。

加藤 2019年に石原先生にも班員としてご参加いただいた厚労省の特別研究で,米国,英国,独国,仏国,中国におけるヒト胚を用いたゲノム編集の規制状況を調査しました。その他に確認されている情報も合わせると,各国の状況はのような結果となります5, 6)。注目したいのは,英国,独国,仏国にははっきりとゲノム編集技術を規制する法律があることです。英国では受精・胚研究認可庁(Human Fertilisation and Embryology Authority:HFEA)を中心にヒト胚を用いた研究を認める方針を打ち出しており,独国は「胚の保護に関する法律」を制定して厳格な管理体制を敷いています。仏国も法律により受精胚を保護の対象としています。また,詳細は把握できていませんが,中国でも最近,民法を改正し法律でヒト胚へのゲノム編集を規制することにしたと聞いています。

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 ゲノム編集技術等を用いたヒト受精胚等の臨床利用に関する規制状況の概略(文献5,6をもとに作成)(クリックで拡大)

 他方日本は,生殖医療や遺伝性の難病等を目的とした基礎研究は例外的に認めることとし,指針の整備を進めています。また,受精卵にゲノム編集を施して子どもを誕生させる臨床応用については研究指針(遺伝子治療等に関する指針)で禁止しているものの,石原先生が先ほど指摘していたように技術の施行自体はそこまでハードルが高くないため,生殖医療に携わるクリニック等が医療応用を行う恐れもあります。法律による規制など,何らかの対策を打ち出すことが喫緊の課題です。

柘植 併せて議論しなければならないのはヒト胚の全数把握の手法です。日本においては,どの施設がどれだけのヒト胚を所有しているかを国が把握していません。10年以上前の話ですが,韓国においてクローン・ES細胞の研究に際し受精卵を不正に流用していた事件が明るみになりました。日本では生命の萌芽と規定される胚の不正利用を未然に防ぐためにも,全数把握は必須事項です。英国や仏国は全数把握する体制を整えているはずですが,日本はなぜ体制の整備に至らないのでしょうか。

苛原 レジストリの整備や規制に対する国の認識の甘さがあるからだと考えています。日産婦は独自に全数把握に向けた調査を行っていますが,日本で初めて体外受精が実施された1980年代前半にできた調査システムのままであり,あくまで各施設が正直に回答しているという前提で成り立っています。体外受精の技術が生殖を補助する手段としてのみ使用されていた段階では日産婦という1つの学術団体による管理や規制で十分だったのかもしれません。けれどもゲノム編集への応用や着床前診断の問題など,今や黎明期では想像もしていなかった領域まで技術が到達し,1つの学術団体で対応できる範疇を越えてしまいました。がんや難病のように,国を挙げたレジストリの構築が急務です。

石原 安全かつ有用な生殖医療とヒト胚研究の運用をするためには何が必要だと考えますか。

苛原 医学という枠組みにとどまらない,福祉や教育,社会学といった観点も含めた学際的な議論でしょう。例えば,臨床としてのヒト胚利用の問題と,研究としてのヒト胚利用の問題を一体的に議論するHFEAのような団体が日本にも必要だと考えます。日本では,生殖医療やその周辺の技術を管轄する行政組織が複数にまたがっているために,統一的な見解をまとめられていません。日本の中で意見を集約し,世界へと情報発信する組織づくりが今まさに求められています。

石原 本日は,生殖医療を取り巻くさまざまな課題について,歴史的経緯と現状分析,そして未来への展望を各先生に熱く語っていただきました。お話を伺いながら,人々の生殖医療へのかかわりは,今や1つの「時代精神」とも言うべき巨大で多型な有様を呈していることを感じました。その中で,私たちは科学者の一人として,事実に基づく実証主義の立場から責任を持って提案していくことの必要性を改めて確認した次第です。本日はどうもありがとうございました。

(了)

:以前は個人を特定できるような情報にアクセス可能な年齢が18歳以上に制限されていたものの,生殖補助治療法が制定される際に年齢制限は廃止された。


参考文献・URL

1)浅井美智子,柘植あづみ(編).つくられる生殖神話――生殖技術・家族・生命.制作同人社.1995.
2)Hum Reprod.2020[PMID:32699900]
3)Hum Reprod.2020[PMID:32020190]
4)Hum Reprod Open. 2020[PMID:32760812]
5)厚生科学審議会科学技術部会ゲノム編集技術等を用いたヒト受精胚等の臨床利用のあり方に関する専門委員会.【資料4】ヒト受精胚等に対するゲノム編集技術等に関する規制・検討状況の比較表(案).2019.
6)厚生労働科学特別研究「諸外国におけるゲノム編集技術等を用いたヒト胚の取扱いに係わる法制度や最新の動向調査及びあるべき日本の公的規制についての研究」(研究代表者 加藤和人).2020.

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埼玉医科大学産科婦人科学教室 教授

1980年群馬大医学部卒。東大病院産婦人科にて研修後,英ロンドン大ハマースミス病院客員研究員,埼玉医大総合医療センター産婦人科講師,助教授などを経て,2002年より現職。生殖補助医療監視国際委員会(ICMART)のメンバーとして生殖医療に関連する国際統計の収集・分析・定期報告に従事。『生殖医療の衝撃』(講談社)など著書多数。

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徳島大学大学院医歯薬学研究部長

1979年徳島大医学部卒。同大医学部産婦人科学講座に入局後,同大病院講師,助教授を経て2001年同大産科婦人科学講座教授に就任。17年より現職。日本産科婦人科学会倫理委員会委員長,日本生殖医学会理事長など要職を歴任した。編著に『産婦人科外来処方マニュアル(第5版)』『産婦人科ベッドサイドマニュアル(第7版)』(いずれも医学書院)など。

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大阪大学大学院医学系研究科 医の倫理と公共政策学教室 教授

1984年京大理学部卒,89年同大大学院理学研究科博士課程生物物理学専攻修了。博士(理学)。2012年より現職。内閣府総合科学技術・イノベーション会議生命倫理専門調査会委員,ICGC(国際がんゲノムコンソーシアム)Ethics and Governance Committeeのメンバーなどを歴任。2019年からWHO Expert Advisory Committee on Developing Global Standards for Governance and Oversight of Human Genome Editingのメンバー。

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明治学院大学社会学部社会学科 教授

1985年埼玉大大学院理学研究科生体制御学専攻修士課程修了,お茶の水女子大大学院人間文化研究科博士後期課程単位取得退学〔後に博士(学術)授与〕。北海道医療大基礎教育部教員を経て,2003年より現職。専門は医療人類学,生命倫理学,ジェンダー論。『生殖技術――不妊治療と再生医療は社会に何をもたらすか』(みすず書房)など多数の著作がある。

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