医学界新聞

新年号特集 生殖医療と生命倫理——医学の発展は何をもたらすのか

寄稿 石原 理

2021.01.04 週刊医学界新聞(通常号):第3402号より

 1978年に世界で初めて体外受精(In Vitro Fertilization:IVF)により妊娠した児であるLouise Brownが生まれた時,それまで子どもを持つことが不可能であった多くのカップルにとって,IVFは希望の光となった。一方,さまざまな懸念や反発を持つ人々も数多くいた。なぜなら,子どもを持つことは「自然」なことで,生殖そのものに人間の手が加わることは,生理的にあるいは倫理的に「不自然」と考える人もいたからだ。

 時代が流れて,IVFに代表される生殖医療(本稿では「生殖補助医療」と同義で用いる,)は現在,さまざまな原因による不妊症に対する標準治療の1つとなり,この間の新薬や技術・機器開発などで大きく進歩・発展し,新たな適応へ拡大が始まっている(図1)。また,最近のゲノム医学の展開は生殖医学に大変革をもたらす可能性が考えられる。本稿では,生殖医療のこれまでを振り返りつつ,その現在地を紹介しよう。

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図1 生殖医療発展の歴史(クリックで拡大)

 IVFは,体外で卵子と精子を受精させ,胚を子宮内に移植して妊娠成立を期する方法である。当初は両側卵管閉塞の女性を救うバイパス的手法であった。しかし1992年,顕微鏡下に精子を卵子に注入し授精させる顕微授精(Intracytoplasmic Sperm Injection:ICSI)が開発され,たちどころに普及すると,生殖医療の対象は女性不妊症に限られなくなる。精子数が極端に少ない(あるいは無精子症でも精巣から精子が得られる)男性も治療対象となり,子どもを持つことが可能となったのだ。

 IVFやICSIにより得られた受精胚は,分割胚あるいは胚盤胞の段階で子宮に移植されるが,いったん凍結して後日融解胚を移植する凍結胚移植(Frozen-thawed Embryo Transfer:FET)も普及した。この方法は当初,新鮮胚移植に使用しない胚を後日あらためて用いるために導入されたものであった。しかし,技術開発により凍結融解による胚へのダメージがほとんどなくなったため,最近では得られた全ての胚をいったん凍結し,後日移植する選択もなされている(図2)。

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図2 生殖医療における代表的な手法(クリックで拡大)
わが国ではIVFなどを「特定不妊治療」と呼称して公費負担し,これ以外の治療は「一般不妊治療」と呼ばれる。

 生殖医療が広く用いられるようになった最も重要な因子には,安全性と有効性が確立し標準治療として認められたことがある。また,子どもを持つ女性の年齢が上昇したことも大きな要因だろう。なぜなら年齢の高齢化に伴って妊孕性が低下し「自然」に妊娠することが困難となるからである。例えば,わが国における出産時の女性の年齢は,図31)のように2010年以降急上昇している。そしてさらに,「自然」にこだわらず生殖医療を利用する女性が増加してきたことも要因の1つと言えよう。

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図3 総出生児数における女性年齢別の割合の推移(文献1より)
晩産化が進んでおり,35歳以上での出産の割合が近年急増している。

 わが国における生殖医療の施行周期数(≒治療件数)は近年著しく増加し,最近は年間約45万周期が行われる。手法別にみた施行周期数の伸びではFETの著しい増加が目立つものの,全体の施行周期数は頭打ちであると言える。これにはさまざまな理由が複合的に関係するが,重要な点として,2012年以降30~45歳の女性人口が急速に減少しつつあることは押さえておきたい。つまり生殖医療の対象となる女性の数が大幅に減少しているのである。その一方で,現在では少子化傾向と逆に生殖医療により誕生する子どもの数は年々増加している。2018年に出生した約16人に1人は生殖医療により誕生した子どもになった(図42)。また,その約8割にFETが用いられており,一定時間液体窒素の中で凍結胚として過ごした後,融解されて子宮内に移植された胚から出生に至っているのである。

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図4 年々増加する生殖医療による出生児数(文献2より)(クリックで拡大)
日本は少子化傾向の一方で,生殖医療により生まれる子どもの数は年々増加している。日本で初めて体外受精児が誕生した1983年以降,累計で約65万人を超え,2018年には出生した約16人に1人(6.2%)が生殖医療によって誕生した子どもとなった。また,その約8割はFETによって出生に至っている。

 わが国の生殖医療の特徴は,生殖医療による多胎妊娠率が極めて低いことである。これは,多くの国で複数胚が子宮に戻されることがしばしば行われているにもかかわらず,わが国では胚移植時に移植する胚数が1個である周期が80%以上であることに起因する。2018年のIVF新鮮胚移植周期では,多胎妊娠率は2.5%にすぎない。世界で最も安全で高品質な生殖医療が提供されている北欧諸国やオーストラリアと並び,世界に誇れる数値だと評価できる。だが同時に,凍結胚移植周期が多くなる要因の1つでもある。

 もう1つの特徴は,高年齢女性に対して数多くの生殖医療が行われることである。生殖医療を利用する女性年齢の最頻値は40歳であるが,残念ながらその治療の多くは子どもを得ることにつながっていない。出生につながる治療の割合は,女性年齢が35歳くらいまでほぼ一定であるが,その後急速に低下するからである(図52)。原因のほとんどは胚の染色体異数性によると考えられ,これは現在の生殖医療では不可避であると言える。諸外国においては,40歳以上の女性に対して自らの卵子を用いる治療を施行することは少なく(図63),むしろ代替策として若年女性から提供された卵子を用いる治療が行われる。わが国では,提供配偶子により出生した子の親子関係について2003年に厚生科学審議会と法制審議会で審議されたものの今日まで法制化に至らなかったが,2020年12月4日に民法の特例法(生殖補助医療法)がようやく成立し,今後の展開が注目される。

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図5 年齢別にみた生殖医療による妊娠率・生産率(2018年,文献2より)(クリックで拡大)
生殖医療を利用する女性年齢の最頻値は40歳であるものの,生殖医療の利用者の妊娠率・生産率をみると,年齢の高い女性に対する治療の多くは子どもを得ることにつながってはいない。
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図6 主要国における生殖医療の利用状況からみた日本の特殊性(文献3より)(クリックで拡大)
日本の特徴として,年齢の高い女性に対し数多くの生殖医療が行われることが挙げられる。諸外国では40歳以上の女性に対して自らの卵子を用いた治療の施行は少なく,若年女性から提供された卵子を用いる場合が多い。

 それでは生殖医療の世界的な状況はどうか。2001年より世界の生殖医療のデータを各国から収集分析し,施行状況について報告しているICMART(International Committee for Monitoring Assisted Reproductive Technologies)の報告書4)から現状をみてみよう。暫定データにとどまるが最新の2016年の集計では,世界78か国から約188万周期についてICMARTに報告が寄せられた。この数値は,実際に全世界で施行された周期数の63~70%に相当すると推定されている。報告された周期数の経年変化を地域別にみると,ヨーロッパとアジア,オーストラリア(+ニュージーランド)において,近年,施行周期数が著増しているのに対し,その他の地域では顕著でない4)。著増する地域は,いずれも医療保険や補助事業によって生殖医療に対する財政支出が行われており,生殖医療の普及,あるいはアクセスの向上には,利用者への経済的支援が不可欠だと言えるだろう。ヨーロッパのいくつかの国,例えばデンマークでは出生する子どもの10人に1人が生殖医療により妊娠した子どもである。

 わが国は例年,ICMART報告周期数の約4分の1を占め,世界で最多の施行数とされていた。しかし実際には,中国の数字が含まれていなかったのである。なぜなら,これまで中国全体の統計が収集されていなかったからだ。2020年に入り,初めて中国国内の生殖医療統計(2016年分)がまとめられ,その総数が約90万周期と判明し5),世界一の生殖医療大国であることが明らかになった([対談・座談会]生殖医療の発展と国際調和・図2参照)。中国および未報告である推定周期数約56万周期を含めて,2016年の世界における施行周期数をあらためて推計すると,約335万周期と考えられる。国際的に見ると,施行周期数はこれからさらに加速度的に伸びていくだろう。

 生殖医療は不妊治療として始まったが,現在は不妊治療にとどまる医療ではなくなりつつある。がん治療の進歩によるサバイバー増加に対応した妊孕性温存のための卵子や卵巣の凍結保存治療,さまざまな遺伝性疾患に罹患していない胚を選択する着床前診断,さらには同性カップルや独身者が子どもを持つことを可能にする第三者がかかわる治療などへと応用先を拡大している。これらは,いずれも世界初の体外受精児が誕生した1978年当時,直ちに想定される生殖医療の適応ではなかった。しかし,わが国の状況は異なるとはいえ,国際的には生殖医療がより広い領域で応用されるようになっている。つまり,生殖医療は疾病治療にさまざまな革命を起こしたが,そればかりではなく,「家族のかたち」を変え,生殖についての人々の考え方を少しずつ変えてきたとも言える。

 最後に見逃せないのが生殖医療を利用する際に掛かる費用の問題だ。生殖医療の利用に大きな影響を及ぼすのが,治療に対する公費支出の状況である。わが国では,これまで一定の所得制限などの要件を満たす場合(現在は法律婚夫婦の合算年間所得730万円未満),特定治療支援事業として治療費の一部払い戻しが行われてきた。現在,生殖医療へ保険適用を拡大する可能性が検討されているが,直ちには困難であるため,この支援事業における所得制限の撤廃とともに,2人目以降の治療や事実婚夫婦に対してもこの助成事業を拡大することが検討されている。わが国の未来に影響を及ぼし得る政策であることを認識して注視する必要がある。

:WHOの最新の定義では,IVFやICSIに加え,初期胚に対する着床前遺伝学的検査を含めて,生殖補助医療としている。


参考文献・URL

1)厚労省.令和元年(2019)人口動態統計(確定数)の概況.2020.
2)日本産科婦人科学会.倫理委員会登録・調査小委員会データブック.
3)ICMART. World Report:ART 2011. 2018.
4)ICMART. World Report:ART 2016(preliminary). 2020.
5)Hum Reprod. 2020[PMID:32020190]

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