感染症教育,次なる課題は
対談・座談会 矢野 晴美,上原 由紀
2020.09.07
【対談】
感染症教育,次なる課題は
矢野 晴美氏(国際医療福祉大学医学教育統括センター副センター長 教授/感染症学 教授)
上原 由紀氏(聖路加国際病院臨床検査科部長・感染症科)
2002年9月,米サンディエゴで開催された米国感染症関連学会(ICAAC)の会場で,日本人医師数名が顔を合わせていた。当時米国で感染症科の研修を受けた,あるいは受けているさなかの者たちだった。「このネットワークを日本の感染症診療の発展に生かせないか」。参加者の一人,矢野晴美氏はメーリングリスト(ML)による情報共有を思い立つ。その名も「日本の感染症科をつくる会」。会員を増やした同会は2005年,日本感染症教育研究会[IDATEN,ML登録者数9775人(2020年8月25日現在)]へと発展し,臨床感染症診療と教育の普及・確立・ 発展を目的に,全国各地で講義やセミナー合宿を今日まで続けている。
IDATENの発足から今年で15年。この間,国内外で数々のアウトブレイクが起き,現在も新型コロナウイルス感染症との闘いが続く。一連の経験から見えてきた日本の感染症教育の成果と課題は何か。IDATENの初代代表世話人を務めた矢野氏と,現在の代表世話人である上原由紀氏の二人による議論は,医学教育の在り方にまで及んだ。
上原 IDATENは私にとってセンセーショナルなグループでした。提供されるコンテンツがどれも新鮮だったからです。
矢野 上原先生がIDATENに参加したのは,研究会の発足間もない時期でしたね。
上原 はい,2005年です。京都の洛和会音羽病院を訪問した際,大リーガー医として教えていた矢野先生に,初めてお会いしました。
矢野 IDATENの発足式を兼ねた合宿の勉強会を大野博司先生(洛和会音羽病院)が開催して。懐かしいですね。
上原 ええ。女性の感染症指導医が少なかった当時,矢野先生のカンファレンスや回診に感銘を受けたのを覚えています。IDATENが私に鮮烈な印象を与えたのは,何と言ってもケースカンファレンスです。今や全国の病院で行われているインタラクティブな教育手法は,当時まだ目新しかったと思います。どのような狙いがあったのですか?
矢野 会場に集まった演者と参加者が鑑別診断を一緒に考える場を提供することです。症例を用いた臨床推論の機会を提供する質の高いカンファレンスは,既に北米では教育の一環として毎週のように行われていました。そこでIDATENも,臨床現場の先生方からの症例提示を中心とする年4回のケースカンファレンスを始めました。
上原 1つの症例から徹底的に学び尽くす醍醐味がありました。青木眞先生の『レジデントのための感染症診療マニュアル』(医学書院)が2000年に出版され,海外で感染症を学び帰国する先生も増えていた時期。そうしたオーソリティが登壇するIDATENのケースカンファレンスは,刺激に満ちた学びの場でした。あらためて,IDATEN発足の経緯をお話しください。
矢野 始まりは2002年に私が代表発起人として立ち上げた「日本の感染症科をつくる会」というMLでした。MLの最初のメンバーは,この年に米国で開催されたICAACに日本から参加した先生方です。この地で築いたネットワークを維持しようと岩田健太郎先生(神戸大)らと立ち上げ,その3年後の2005年にMLの登録者が550人を超えたのを機に,実質的な形のある研究会としてスタートしました。発足初期の世話人として大曲貴夫先生(国立国際医療研究センター)も参加されていました。
繰り返された混乱,見えた課題
上原 初代代表世話人となった矢野先生は,IDATEN創設と時期を同じくして国内の大学病院に感染症科を設立されています。
矢野 2005年に米国から帰国後,自治医科大学で感染症科をゼロから立ち上げました。2000年代前半,感染症科のある病院は主として沖縄県立中部病院や聖路加国際病院,都立病院の一部のみでした。そこで,まずは感染症科の役割を認知してもらうところから始めなければならなくて……。
上原 感染症科を立ち上げ教育を担うのは,並々ならぬ忍耐力やコミュニケーション力が必要だったのではないでしょうか。コンサルテーションシステムを院内で機能させるにも壁が立ちはだかる場面が多かったと聞きます。
矢野 おっしゃる通り,当初は感染症科へのコンサルテーションが診療報酬になかったため,病院の経営陣から評価されにくい診療科でした。感染症科の「認知・普及・確立」を目標に,血液培養2セットの必要性や,静脈注射薬による抗菌薬の適切な投与量や投与回数についてハンズオンで周知を進め,同時に添付文書の改訂を働き掛けました。
上原 多職種からなる感染制御チーム(Infection Control Team:ICT)や抗菌薬適正使用支援チーム(Antimicrobial Stewardship Team:AST)の設置,ICD(Infection Control Doctor)をはじめとする感染制御を担う各職種の専門資格が創設されるなど,感染症領域は近年大きく進展しました。IDATENの発足,そして大学病院での感染症科立ち上げから15年を振り返っていかがですか。
矢野 IDATENでは感染症を専門とする全国各地の仲間が心を一つにし,臓器横断診療を推進する原動力になりました。かつて2001年に米国で起きた炭疽菌バイオテロ当時,国内では感染対策の概念と実践がまだ十分に普及しておらず,炭疽菌対応の情報共有や標準予防策の概念を伝える講演などに奔走しました。
その後も2003年のSARS,2009年の新型インフルエンザと世界を震撼させる事例が相次ぎました。
上原 SARSの流行時,私は都内の病院に勤務していました。「感染者が来たらどうしよう」との不安が院内を駆け巡り,対策を検討する会議は科学より感情が先行して紛糾したのを覚えています。
矢野 SARS患者の診療を拒否する医療機関も一部出るなど現場は混乱しました。2009年の新型インフルエンザの際は発熱外来が設置されたとはいえ,感染症専門医は少なく診療体制も脆弱でした。PCR検査の感度,特異度の概念や解釈が十分普及していなかったこともあり,混乱が繰り返されたのです。
感染症診療は活動の質を見る時代へ
上原 一連の経験から,感染対策を各医療機関で主導できるリーダーの育成が求められました。翻って今回の新型コロナウイルス感染症における日本の状況を,矢野先生はどう見ていますか。
矢野 国の制度やロジスティクスの問題,保健所機能や感染症疫学の専門家不足など多くの課題が明らかになりました。その中で,臓器横断の感染症診療を学んだ仲間が全国各地の医療機関でリーダーシップを発揮し,情報発信を行うなど活躍する姿は目を見張るものがあります。一方,私も従事したダイヤモンド・プリンセス号の感染者対応や,その後の国内への感染拡大の経験から,感染対策に関する現場の医療者の確かな知識や,平時からの実践が問われていると認識しました。
上原 今でこそ多くの大学病院や市中病院に感染症科ができ,IDATENで学んだ同じ志を持つ方が活躍する反面,新型コロナウイルス感染症は病院ごとの感染症診療のレベルの差を顕在化させたとも感じています。
矢野 おっしゃる通り,旧態依然の感染症診療が行われている病院もあり,見直しが必要だと思います。
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