医学界新聞

この先生に会いたい!!

インタビュー 西浦 博,村山 泰章

2020.08.10



【シリーズ】

この先生に会いたい!!
かくて生まれり,「8割おじさん」

西浦 博氏
(京都大学大学院医学研究科社会健康医学系専攻 教授)
に聞く

<聞き手>村山 泰章さん
(国際医療福祉大学医学部1年生)


 南アジアの山岳地帯で,その青年は悩み続けた。志願して参加した国際保健活動で援助の在り方に疑問を感じ,行動を起こす。その後,一冊の本との出合いをきっかけに研究に没頭するようになる。やがて海外での武者修行を決意し,まるで旅人のように諸外国を渡り歩いた。帰国後は日本における理論疫学の先駆者として活躍。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行に際しては,厚労省クラスター対策班の支柱となる――。科学者としての信念を貫く「8割おじさん(80% uncle)」は,そんなふうにしてつくられた。


村山 医学生の立場で厚労省のクラスター対策班に参画して,西浦先生と2か月ほど一緒に仕事をさせていただきました。先生はいつも忙しそうなのに,メンバーと研究の話をしている時は冷静に的確な指摘をされているのが印象的でした。

西浦 自分の好きな研究のために時間を使えるのは贅沢なことなんですよ。村山さんも研修医になれば朝から晩まで時間に追われる日々になりますから,その意味が実感できるはずです。

研究者志望であっても初期研修は絶対に無駄にならない

村山 「研究者志望であっても初期研修の2年間は経験したほうがいい」と西浦先生はいつもおっしゃっています。どういった理由なのでしょうか。

西浦 相談者の覚悟の度合いにもよりますが,その人が将来路頭に迷うことがないようなアドバイスをすることが多いです。研究者として生計を立てるのは容易ではありませんから。

 もちろん,覚悟を決めた人がリスクを承知の上で最短経路のキャリアをめざすのは応援します。一方で初期研修を行う/行わない,専門医を取る/取らないといった命題で迷っている間は,保守的な選択をしたほうがいいでしょう。特に今は,私の時代と違って初期研修が制度化されていますから,ひとまず研修を修了してから研究の道に進むのは良い選択だと思います。

村山 臨床経験が研究に活きたことはありますか。

西浦 たくさんありますよ。一例を挙げるなら,2012~13年にかけての風疹の流行を分析した研究です。研修医時代に成人の風疹患者を診ていた経験をもとに仮説を立て,優先的に予防接種を行うべきターゲットを特定できる数理モデルを構築しました。その結果,30~50歳代男性の約2割が風疹の免疫を獲得すれば大規模流行は起こらないという結論に達したのです。

村山 エビデンスに基づく予防接種制度の推進のために,数理モデルが活用できることを示した研究ですね。

西浦 はい。こういった実学志向の研究をやりたいならば,現場を経験することは絶対に無駄にはなりません。ただし,もう一度研修医に戻れと言われたら「絶対に」嫌です(笑)。医師としても人間としても未熟なままで現場に出るわけですから,つらいこともたくさんありました。

研修1年目で迎えた「ボタン」を押す覚悟

村山 では西浦先生の研修医時代の話をお聞かせください。大学卒業後,研修先はどういった観点で選ばれたのでしょう。

西浦 感染症疫学の研究者になることは医学部卒業前に既に決めていたので,研究者になる前に現場を経験しておきたいという気持ちでした。私が選んだ都立荏原病院は当時にしては珍しく感染症科があって,これが決め手になりました。各科ローテーションも,感染症科に優先的に配属してもらうなどの配慮をしてもらいましたね。

村山 研修を1年間で終えて海外に留学したのも,当初からの予定どおりだったのでしょうか。

西浦 そこはすごく迷いました。当時感染症科の部長だった角田隆文先生(現・菊名記念病院医長)が見識の深い人で,親身になって相談に乗ってくれましたね。「臨床医として一人前になるにはまだまだ時間がかかる。臨床はここで区切りをつけて,研究者として一流になることをめざしなさい」といった趣旨の話をしてくれたのです。

村山 医師としての安定していた生活を捨てて,国外に飛び出すことに対しての恐怖はなかったですか。

西浦 それはもう,怖いですよ。同期が専門医取得をめざすなか,私は研究者になるために留学するわけです。しかも感染症疫学の中でも理論疫学を専門にするつもりでしたから,マイナー中のマイナー領域。退職日に各科指導医への挨拶回りをした際は胸が痛かったですよ。「これからタイに留学して,将来は理論疫学の研究者になるつもりです」と話すと,みんな哀れむような目で見るのです(笑)。「困った時は戻ってきてもいいから」と励ましてくれる先生もいました。

 でも今振り返ってみると,人生のターニングポイントで悩むのは研修医ぐらいで終わって,あとは流れに乗るだけでしたね。村山さんもそのうち「ボタン」を押す決断を迫られる時が訪れるでしょう。それで一度決心をしたならば,もう後先を考えずにがむしゃらにやるほかありません。

山岳地帯でひとり悩んだ青年が理論疫学に出合うまで

村山 なぜそこまでして理論疫学にこだわったのでしょう。時代をさかのぼって,理論疫学に出合った医学生時代の話をお聞きしたいです。

西浦 入学したのは宮崎医大でした。隣の熊本県にはWHOで天然痘根絶計画に携わった蟻田功先生(現・国立病院機構熊本医療センター名誉院長)がいて,日本で国際保健活動を続けていると聞き会いに行ったのです。医学部をめざしたのも阪神・淡路大震災に罹災した際にNGOで活動する医師の姿に心を打たれたことが契機でしたから,もともと国際保健に関心があったのですね。

村山 それで途上国での活動に参加されるようになったのですか。

西浦 はい。パキスタンではNGO活動に2か月間携わりました。そのうち1か月は山岳地帯で,現地の医師以外には私ひとりという環境でした。毎日数キロ歩いて,巡回診療の補助をするのです(写真1)。中には病気じゃないのに受診して,処方された薬を転売するような人もいました。そんな日々が続くと,真面目な医学生とは言い難かった西浦青年もさすがに悩むわけです。

写真1 パキスタンでの巡回診療(医学部5年次)

 そこからプライマリ・ヘルスケアの必要性に目覚めて,集落ごとに住民による主体的参加を促すための働き掛けを始めました。現場に出ると,肌で感じることがいっぱいあるのですね。あれから人生が変わりました。

村山 国際保健に真剣に取り組むようになって,理論疫学との出合いもその時期ですか。

西浦 中国で,麻疹やポリオの制御プロジェクトに参加した時のことです。集落ごとに予防接種の目標接種率を定めてモニタリングするのですが,目標接種率を割った集落では確かに流行が起きている。これには衝撃を受けました。そして住民一人ひとりの予防接種を記録する表には,ひとつの数式が記されていた。これが理論疫学と私の出合いです。

 その数式の理論的背景となった本が,アンダーソン&メイ(Roy M. Anderson and Robert M. May)の『Infectious Diseases of Humans』(オックスフォード大学出版局)です。帰国後に手に取ってみると書籍名から来るイメージとは違って数式だらけの不思議な医学書で,さらに衝撃を受けました。あれから人生がおかしくなりました(笑)。

村山 大学生活において学業と研究をどのように両立されていたのでしょう。

西浦 臨床実習が本格化し,同級生は実習の合間に国家試験の勉強を始めていました。私はというと公衆衛生学教室に潜り込んで,疫学関連の教科書を読んだり回虫の感染率のデータを分析して論文を書いたりしていました。

 そうやって研究に目覚める一方で,臨床には向いていないことに気付き始めました。患者さんと話すのは好きだったのです。ただ,この先ずっと臨床を続けて目標を見いだせるかという命題を考えると,私には難しかった。研修医になるとさらにその実感は増して,臨床で個々の患者さんを診るよりも,公衆衛生という集団のサイエンスのほうが自分は人の役に立てると思いました。だからこそ海外に出ると一度決めたら,臨床への未練はなかったです。

必死で学んだ,楽しんだ!! 海外武者修行時代

村山 恐怖を断ち切って海外に飛び出す決意をされて,タイのマヒドン大熱帯医学校での大学院生活は実際いかがでしたか。

西浦 もう楽しくて仕方なかったですよ。日中は講義を受けて,夕方になると熱帯感染症専門病棟に移動して,デング熱や重症マラリアなど日本ではなかなか経験できない症例から学ぶことができました。

村山 最初は数理モデルではなく,熱帯医学の勉強から始めたのですね。

西浦 私は医師ですから,数理モデルの勉強のためにいきなり数学科に行くわけにもいきません。感染症疫学の先人のキャリアをみると,熱帯感染症の疫学を学ぶためにマヒドンかロンドン(英ロンドン大衛生熱帯医学大学院)に進学するパスウェイがあって,金銭面も考慮してマヒドンを選びました。

 ただ,留学する前は知らなかったのですが,マヒドンの理学部数学科に感染症数理モデルの研究者がいたのです。それで夕方になるとバイクタクシーに乗って数学科に移動して,研究を指導してもらいました。私の最初の師匠ですね。今でも毎年会っています。

村山 先生は学生時代からずっと,自分で研究環境をデザインされていますね。

西浦 新しいことを体得しようと必死でしたから。お金はなかったですが,毎日ワクワクしていましたよ。今でも覚えて...

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