医学界新聞


第73回毎日出版文化賞受賞 シリーズ ケアをひらく 創刊20周年に寄せて

寄稿 松本 卓也

2020.01.06



【特別寄稿】

ケアはいかにしてひらかれたのか
第73回毎日出版文化賞受賞
シリーズ ケアをひらく 創刊20周年に寄せて

松本 卓也(京都大学大学院人間・環境学研究科准教授)


「科学性」「専門性」「主体性」といったことばだけでは語りきれない地点から《ケア》の世界を探ります――。野心的な宣言とともに創刊された《シリーズ ケアをひらく》は今年,創刊20周年を迎える。本シリーズが《ケア》の世界に刻んだ軌跡を,気鋭のラカン派精神病理学者として現代思想界にインパクトを与え続けている松本卓也氏がたどる。


個別性から生み出される普遍性

 《シリーズ ケアをひらく》が医療(特に精神医療)や看護,さらには福祉の領域においてひとつの時代を画するものであることは間違いない。それは,このシリーズにおいて執筆した著者たちのそれぞれが非常に興味深い議論を展開しているのみならず,それぞれの著作が個別の現場に内在しながら現場を変革していくためのヒントを提供してくれるからである。

 本シリーズの読者層は,シリーズ開始当初こそ医療関係者が主であったと思われるが,現在はより一般的な層にまで広がっているようである。実際,國分功一郎の中動態の世界が,哲学の本でありながらさまざまな領域において大きなヒントを与えていることからもわかるように,たとえ自分の現場とは異なる領域について書かれた本であっても,自分の現場に適用することができるような高い応用可能性を備えているのが本シリーズの特徴であり,その一冊一冊に現場を変革するためのヒントがちりばめられているから,というのがその理由であろう。言い換えれば,本シリーズは,個々の現場という個別性から出発して,どの現場にも応用できるような普遍性を持っているのである。では,いかにして本シリーズはそのような普遍性を手にすることができたのだろうか?

中動態の世界
意志と責任の考古学

著◎國分 功一郎
2017年04月発行

 すぐに思いつくのは,本シリーズのほとんどが,臨床を扱いながらも,なんらかの(広義の)哲学ないし人間学を展開しているという点である。もちろん,専門的な哲学書のような難解な議論が展開されているわけではない。しかし,個々の著作をひもとけば,そこに人間存在を別の視点からとらえ直すための枠組みやそのヒントが提示されていることがすぐさま了解されるだろう。本シリーズのリハビリの夜発達障害当事者研究の著者である熊谷晋一郎が,哲学の言葉は難解であるというよりも,ある種の障害を持った人々にとってはむしろ極めて具体的な「使い勝手の良い」言葉であると述べているように,個々の哲学的ないし人間学的思考は,実は障害のリアリティを理解したり説明したりするためにはもっとも「腑に落ちる」,ある意味では「わかりやすい」とすら評し得る言葉でもあり,それ故に著者だけの占有物ではあり得ない応用可能性を獲得し得るのである。

リハビリの夜
著◎熊谷 晋一郎
2009年12月発行
発達障害当事者研究
ゆっくりていねいにつながりたい

著◎綾屋 紗月/熊谷 晋一郎
2008年09月発行

政治的な磁場が生み出した「当事者研究」

 また――筆者にとってはこちらのほうが重要であるが――本シリーズにおいていっけん目立たないような形で一貫していると考えられるのは,ある特殊な歴史的布置のなかでの政治性であるように思われる。そして,結論から述べるなら,この政治性こそ,本シリーズを個別でありながら普遍的なものにしていると私は考えている。

 ここでは議論をわかりやすくするために,筆者の専門である精神医学・精神医療に話題を限定しよう。「精神医学と政治」というテーマから,すぐに思い浮かぶのは1950年代から60年代にかけて隆盛を極めた反精神医学のことであるだろう。反精神医学は,既存の精神医学を人々に「狂気」というレッテルを貼るものとみなし,「狂気」とみなされた人々を隔離・監禁するシステムとして精神科病院をとらえ,そこからの解放の道を思想と運動の両面において模索するものであった。このような動向とそこから影響を受けた潮流は,同時代のフランスにおいては1968年に勃発した五月革命,日本においては全共闘運動や東大医学部紛争などと同じうねりのなかで精神医療改革運動として展開され,そこでは権威主義的になりがちな医局制度や精神医学・精神医療のシステムそれ自体への根底的な批判も行われていた。

 そのような革命的時代の「その後」に生まれてきたのが,「ポスト68年5月」の新しい社会運動である。反精神医学やそれと同時代の革命運動が,国家や医療システムに代表されるような大きな社会構造と戦っていたのに対して,それ以後の「ポスト68年5月」の世代は,よりローカルな,より個別的な戦いを繰り広げていった。障害者運動やウーマンリブがその一例である。これらの新しい運動は,何らかの革命的な大義(例えば「共産主義」)のために戦うのではなく,「障害者」や「女性」が自分たちの水平的なグループを作ることから始め,そのグループのなかで自分たちの経験をお互いに共有し合い,そこから自分たちの個別のニーズを見いだすことによって「当事者」となり,お互いをエンパワメントしていくなかで社会に働き掛けていくという戦略をとった。かつての革命的な運動が,大義を重視するあまり個別の問題を扱うには不向きであったのに対して,障害者運動やウーマンリブのような個別のマイノリティのグループは,まさにそれぞれの現場での個別的な問題から出発し,そこから社会とかかわる新しい回路をひらこうとしたのである(このような動向を後に「当事者主権」という言葉で整理したのが上野千鶴子と中西正司の2003年の著作『当事者主権』であり,この二人は本シリーズの中でもニーズ中心の福祉社会へという好著を残している)。

ニーズ中心の福祉社会へ
当事者主権の次世代福祉戦略

編◎上野 千鶴子/中西 正司
2008年10月発行

 《シリーズ ケアをひらく》は,このような政治的な磁場の中にある。実際,本シリーズ初期の名著べてるの家の「非」援助論が主題とする,北海道浦河町の「べてるの家」からしてこのような政治的な背景を持っていることは意外に注目されていないように思われる。べてるの家の設立にかかわったソーシャルワーカーの向谷地生良は,全共闘運動の担い手となるには少々遅過ぎた世代(1955年生まれ)であるが,学生時代には難病患者の自立生活運動にかかわっていた人物であり,病院という場所において専門家集団がつくりだす権力関係に対して非常に敏感な人物でもあった。権力関係やヒエラルキーは,まさにかつての革命的時代においても問題となったものであるが,ポスト全共闘世代である向谷地は,もちろんかつてのやり方とは全く異なる方法をとった。それは,専門家と当事者はお互いに対等であり,当事者たちが自分の...

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