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医学界新聞

2019.01.07



2019年
新春随想


「治すがん医療」から「治し,支えるがん医療」へ

山口 建(がん対策推進協議会会長/静岡がんセンター総長)


 超高齢社会を迎えた日本には,一生のどこかで2人に1人ががんと診断される「がんの時代」が到来した。

 日本政府は,がんが死因第1位になった1981年以降,対がん10か年総合戦略など,がん研究に力を入れ,21世紀に入ると,全国でがんの拠点病院づくりを開始した。2006年にはがん対策基本法が成立,2007年には第1期がん対策推進基本計画を策定し,さらなるがん対策の強化に乗り出した。

 そして,その10年後となる2016年以降は,改正がん対策基本法,第3期がん対策推進基本計画,がん診療連携拠点病院等の整備に関する指針などの策定を進め,国民がどこに居住していても,最善の医療と手厚い患者・家族支援を受けられることを目標として施策を展開してきた。主要な3つの戦略を,「がんの予防と検診」,全国的な「がん診療体制の強化」,「がんとの共生」として,がん患者が安心して暮らせる社会の構築をめざしている。

 第3期がん対策推進基本計画では,近未来のがん対策の方向性を示唆するいくつかの重要な項目が提示された。その第一はゲノム医療の充実である。現状まだパワー不足であるが,いずれ,因果関係の研究が進む肺がんと喫煙,胃がんとピロリ菌感染,肝細胞がんと肝炎ウイルス感染,子宮頸がんとヒトパピローマウイルス感染などのように,がんに遺伝的にかかりやすい集団を特定することで「がん罹患のリスク評価」という新しい分野を確立し,がん医療に大きな変貌をもたらすことを望みたい。

 第二に,新たな項目として取り上げられた支持療法が重要である。各診療科スタッフが中心となって,がんに由来する症状やがん治療に伴う副作用,合併症,後遺症を積極的に緩和し,進行期,終末期の緩和ケアとも協働し,がん患者のQOLのいっそうの向上が図られる。

 第三に,患者・家族支援は,全てのがん患者に恩恵をもたらす高度先進医療として位置付けることができる。患者・家族の少なくとも半数は,初診時点で支援が必要な悩みや負担をすでに抱え,その数は治療が進むにつれてさらに増加する。これらの患者への積極的な支援により,患者・家族が安心して闘病できる環境が実現する。

 こうした新たな取り組みによって,近い将来,がんの予防や検診がより充実し,また,がん医療が,「治す医療」から「治し,支える医療」へと進化を遂げていくことを期待してやまない。


女性医師が当たり前に輝ける社会へ

林 由起子(東京医科大学学長)


 昨年10月より東京医大学長を務めることになりました。入学試験における女性受験生の差別がわかった直後の就任という背景はありますが,本学「初めての女性学長」ということが大いに報じられました。わが国では女性が表に出ることが,やはりまだ特別視されると実感しているところです。

 今回の不適切な入学試験の陰には,妊娠・出産・育児や介護などのライフイベントで時間的制約を受けやすい女性医師の苦しい立場,さらには医師の過酷な労働環境があると言われております。近年,保育施設の整備やさまざまなサポート体制の充実などにより,以前より働きやすくなってきたとはいえ,ニーズに十分に応えられていないのが現状です。

 一方で,現在も輝いている多くの女性医師がいます。それは本人の努力と,支えてくださる多くの方がいてこそのチームワークの結晶だと思います。

 2018年3月に小学校を卒業した子どもを対象としたアンケートでは,将来就きたい職業の女子の第1位が初めて医師となりました。海外では女性医師が半数以上を占める国もすでに多くあり,また女性医師は男性医師と遜色ない能力があると示す海外の研究結果もあります。今後,わが国でも女性医師の増加は必至であり,いかにその活躍の場を整え,広げていくかが急務となります。

 ライフイベントとは,人が生まれ,育ち,そして逝く時の,大切な時間の共有だと思います。ライフイベントを特別なことだととらえず,人生の大切なひと時に誰もがきちんと向き合える社会にしていくことが必要です。一人ひとりが輝ける社会に向けて何ができるのか,本当に豊かな社会とは何か,おのおのがしっかりと考えていく時期に来ています。


2019年に求められる地域包括ケアシステムとは

田中 滋(埼玉県立大学理事長/慶應義塾大学名誉教授)


 地域包括ケアシステムは,最初は「医療ニーズと介護ニーズを併せ持つ要介護者が,施設・在宅・居住系を問わず,日常生活圏域において切れ目のない連続的かつ包括的な医療・介護による支援を受けるにはどうしたら良いか」から検討が始まった。今では要介護者・要支援者に対し,医療・介護連携だけでなく,リハビリテーション・栄養ケア・口腔ケアなども含め,多職種協働を推進させる必要性が理解されるに至った。併せて,病院を含む多機関連携も重要である。また要介護者に対する尊厳ある自立の支援だけではなく,看取り(Quality of Death;QOD)も重視されるように変わりつつある。

 2019年の地域包括ケアシステムの視野はさらに広く,予防はもとより,多世代共生を上位目的として,多様な人々が地域で暮らすための仕掛けも含まれるようになった。その根底として,高齢者・障がい者・児童,その家族の自己肯定感を強める支援が欠かせない。

 以上を踏まえた地域包括ケアシステムの2019年版概念を記載すると以下のようになる。「日常生活圏域を単位として,活動と参加について何らかの支援を必要としている人々,例えば児童や幼児,虚弱ないし要介護の高齢者や認知症の人,障がい者,その家族,その他の理由で疎外されている人などが,望むなら住み慣れた圏域のすみかにおいて,必要ならさまざまな支援(一時的な入院や入所を含む)を得つつ,できる限り自立し,安心して最期の時まで暮らし続けられる多世代共生の仕組み」。

 病院・診療所も介護事業者も,一人ひとりの患者・利用者に適切なサービスを提供するだけでは地域包括ケアシステムの一員としての十分条件を満たしたことにはならない。患者・利用者が暮らす地域の課題に目を向け,住民や自治体と構想を共にし,新たなまちづくりに協力する在り方が求められている。医療関係者に対しては,こうした時代趨勢の未来を切り開く要の存在としての期待がかかっている。


産婦人科学の新たな分野「女性スポーツ医学」

能瀬 さやか(東京大学医学部附属病院女性診療科・産科)


 従来,産婦人科学とスポーツ医学は無縁と考えられてきた。スポーツに参加する女性の健康問題が表面化する中,産婦人科医による女性の健康問題についての調査研究や支援の動きが広まりつつある。スポーツは,思春期から性成熟期,妊娠期・産褥期,さらに更年期,老年期の女性における身体機能の維持,増進に大きく貢献し,予防医学の観点からも,医療や社会の生産性に大きな役割を担うと考えられる。

 女性選手特有の問題として,利用可能エネルギー不足,無月経や骨粗鬆症,摂食障害が挙げられる。女性選手特有の問題に取り組むにつれ,これらの問題はアスリートという極端な例だけでなく,スポーツに参加していない女性の健康にもつながる問題であると感じている。

 今後の課題は,学校現場での「月経異常に関するスクリーニング体制の構築」と「医療機関での他職種連携」である。前者については,スポーツに参加する女性のみならず,思春期女性の痩せや無月経の問題を含め,中学校や高校で異常を早期発見できる体制を構築しなければならない。われわれの研究では,低体重や10代で1年以上無月経を経験したアスリートの多くが,20歳以上で低骨量/骨粗鬆症と診断されていることが明らかとなった。10代への適切な医学的介入が,女性の生涯にわたる健康につながるであろう。医療機関では他職種との連携が課題であり,産婦人科医と公認スポーツ栄養士や,スポーツに精通している精神科医,整形外科医等が連携しチーム医療を行うことが求められる。

 私は,産婦人科医として研修後,スポーツ医学の世界に足を踏み入れ,「産婦人科を辞めちゃったの?」と聞かれることが多かった。産婦人科医として医療機関で勤務していたら出会わなかったさまざまなスポーツ関係の職種や団体の方と一緒に仕事をする機会を頂き,スポーツを通じていろいろな人との出会いや機会を与えられたことに感謝している。現在は産婦人科と女性スポーツ医学を両立できる環境を頂いた。「過度なスポーツによる女性の健康障害」や「スポーツを通じた女性の健康増進」について,今後も産婦人科医の立場からスポーツにかかわっていくとともに,女性スポーツ医学が産婦人科学の新しい分野として発展することを期待している。


AED使用のハードルを下げるアイデア募集!

三田村 秀雄(立川病院院長/日本AED財団理事長)


 救命。究極の医療であり,医師の腕の見せどころでもある。

 しかし街中で人が突然心停止,となると話が違ってくる。肝心の医師は現場にいない。急いで119番通報しても,救急隊を待つだけでは1割も助からない。病院の外で倒れたら「運がなかった,残念でした」と諦めるしかなかった。

 ところが,である。AEDという機器の登場で,そんな固定観念が一気に崩れた。目の前で突然倒れた心停止の人に,その場で,そこに居合わせた他人がAEDで電気ショックを加えれば半分以上が助かる時代になった。いや驚くなかれ。東京マラソンではこれまで12回の大会で11人のランナーが心停止で倒れたが,その11人全てが助かっている。これは半端じゃない。

 と言って浮かれてばかりもいられない。絶大な威力のあるAEDによる電気ショックであるが,目の前で倒れた心停止例に対して施されたのはいまだ5%にも満たない。なぜか?

 そばにAEDがなかった。それはあり得る。でももっと重大な問題を見落としていないか。世の中,そうお人よしばかりじゃない,という現実である。目の前で人が倒れた,「誰かー」というときに,「自分はちょっと」と逃げてしまう人が少なくない。こんなユーザーフレンドリーな優れものがあるというのに。

 私自身,AEDの啓発に2000年から取り組んでいるが,どうもそこをうまく口説けない。ハードルがなかなか低くならない。なぜなんだろう。

 家内に言わせると,「それはあなたに市民感覚が足りないからよ」となる。上から目線なのがいけないらしい。

 親しい友人からも「医者は市民感覚がわかってないねー」と小突かれる。「だって“電気ショック”なんて言われたら,誰だって怖いと思うでしょ。そんな怖い言葉を使うからいけない」。ごもっとも。じゃあ何と言えばいいのか。せいぜい,「勇気を奮ってAEDを使いましょう,とキャンペーンをするくらいかなー」と謙虚に言うと,「ダメダメ。その『勇気を奮って』というのがダメなんだよ。そんなこと言われたら,『えー,勇気を出さないとできないわけ? だったら自分は無理。そんな勇気ないから』となっちゃうのがオチ」。そうか,勇気がない人でもできます,やってみましょう,という流れを作らないといけないのか。いやー,まだまだ修行が足りません。誰かいいアイデア,ありませんか?


AYAがんの医療と支援のさらなる飛躍をめざして

堀部 敬三(国立病院機構名古屋医療センター臨床研究センター長/AYAがんの医療と支援のあり方研究会理事長)


 昨年は,わが国のAYA世代のがん対策元年であった。3月に策定された第3期がん対策推進基本計画に初めてAYA世代のがん対策が記載され,がん診療連携拠点病院の指定要件にもAYA世代のがんに対する取り組みが加わった。これらにより,多くのがん関連学会でAYA世代をテーマに企画が組まれたり,マスコミで繰り返し取り上げられたりするなど,医療者および一般の人の認知度が高まっている。

 AYA世代とは思春期・若年成人(Adolescent and Young Adult)を意味し,15歳から39歳の世代を指す。がん対策基本法に基づき2007年にがん対策推進基本計画が策定され,国民目線のがん対策,全国のがん診療連携拠点病院の医療の質確保の整備が図られた。これらは主に成人がんの対策であり,対策型がん検診,がん統計,介護保険などの対象は40歳以上である。2012年に策定された第2期がん対策推進基本計画では,小児がん対策として小児がん拠点病院や小児がん中央機関が整備され,AYA世代は取り残された世代になっていた。

 第3期がん対策基本計画では,分野別施策の「がん医療の充実」において「AYA世代のがん」の診療体制の検討と支援体制の一定の集約化の充実がうたわれた。「がんとの共生」においては「ライフステージに応じたがん対策」の具体的な施策として,「生殖機能に関する情報提供と対応の体制」,「長期フォローアップの体制整備」,「教育環境の整備」,「就労支援に関する連携強化」,「緩和ケアの連携の方策の検討」が掲げられた。

 AYA世代は,身体的・精神的に成長発達し自立していく重要な時期である。闘病中およびその後に就学,就労,結婚,出産など人生を決める重要な出来事と向き合う機会が多く,世代特有の心理社会的問題がある。

 AYA世代のがん患者は年間約2万人と少なく,中でも25歳未満は約2000人と特に少ない。その上,小児がんから成人がんまで,希少かつ多様ながん種が存在する。AYA世代の大部分の患者は成人診療科を受診し,多くは臓器別診療科で治療される。その結果,高齢者の中でポツンとがんと闘う場合が多く,医療者もAYA世代のがん診療経験が限られる。それ故に,診療科や職種の垣根を越えたチーム医療,多様なニーズに応えるには医療の枠組みを超えたさまざまな専門分野の連携,さらにピアサポートシステムの構築が重要である。

 そうしたニーズに応えるため2018年4月にAYAがんの医療と支援のあり方研究会(AYA研)が設立した。本年2月11日に第1回学術集会が開催される。当事者を含めAYA世代のがん医療と支援にかかわるあらゆる職種・団体の人たちが同じ立場で学際的活動を行うことで,AYA世代のがん医療と患者・家族の支援充実への新たな一歩になることを期待したい。


大学教授が学生となって感じた,内発的動機がもたらす真の学び

柴垣 有吾(聖マリアンナ医科大学腎臓・高血圧内科教授)


 現在,私は大学教授と公衆衛生大学院生の二足のわらじを履いている。米ジョンズ・ホプキンス大公衆衛生大学院で疫学・生物統計学を主にウェブ講義で学んでいるのだ。日常の大学での仕事をおろそかにすることなく,学生の本分の勉学にいそしむことは時間と肉体の観点からとてもつらいが,久しぶりの学びは新鮮で本当に楽しいものであり,学生生活を満喫している。

 医学部時代は勉強が楽しいとか,充実しているという実感がそれほどなく,部活動に熱中していた。当時と何が違うのかを考えた時,やはり,現在の学生生活は「厳しい時間的制約があってももっと学びたい」という強い“内発的動機”があるからだと感じる。

 一方,大学人としての仕事の一つである教育には常にジレンマを感じる。現在,全国的にジェネラル・マインド志向の医師を増やそうと卒前・卒後研修改革が進んでいるが,本当にこれで良いのかと疑問に思うことが多々ある。

 私が初期研修医だったころ日々感じていたことは,自分は医師としての知識も技量もない「下位運動ニューロンのような存在」であることだった。上司の出す指示の意味を考える能力も時間もないまま,行うだけで精一杯であったのだ。研修医の役割である毎朝の難しい採血に四苦八苦しながらも,患者さんの時には優しく,時には厳しい言葉を浴びながら過ごした。しかし,当時,半年間は同じ病棟で研修することもあり,患者さんと一緒にいる時間が本当に長く,手厳しかった患者さんも次第に心を許してくれるようになった。上司の先生には言えないことも,ある意味信頼して話してくれた。

 でもなぜ,何にもできない研修医を信頼してくれるのか? その時,研修医の役割を初めて強く認識し,医師という職業にやりがいを持つことができた。

 研修医は患者に最も近い存在であり,代弁者なのである。患者の幸せは病気を克服することや健康だけで達成されるものではない。身体・認知機能が維持され,社会とのつながりや社会での役割・生きがいを感じることも達成されなければ,無味乾燥の生活が待っているだけである。研修医には,患者をよく理解し,患者の嗜好や置かれた社会・家庭環境と医学の常識の擦り合わせをし,また,標準的だがつらい治療と患者のQOL・希望との折り合いを付けるという大きな役目がある。

 もちろん,研修医であっても,医学的知識と技術の習得は必要であることは言うまでもない。しかし,このような患者・医師関係を構築すると,その患者のために自分自身がもっと知識を蓄え,技術を磨かなければという気持ちが必然的に強くなる。これこそ“内発的動機”なのだと思う。若い医師の卵には医学部や教育病院での強制的な学び(=外発的な動機付け)でなく,内発的な動機付けのある学びこそが必要だし,それがあってこそより真剣にジェネラル・マインドを持つ医師になるべく取り組むのである。

 卒前教育も単なる専門家集団による座学だけでなく,「患者学」とも言うべきNarrativeな学びの時間が必要である。これは医学部校舎の中だけでは難しく,病院や社会での経験が重要である。あまりに長い時間校舎内で医師国家試験合格をゴールとした詰め込み教育をするよりも,高校を卒業したばかりの社会経験の少ない医学生にとっては,社会での経験を積ませる機会がより重要だと考える。

 しかるに,現在の卒前・卒後教育はシステム作り・箱作りに終始している感が否めない。これで本当に内発的な動機付けが得られるのであろうか? 疾患を治すだけでなく,患者がハッピーになる医療とは何なのか? 

 病気だけでなく病気で傷ついた心のケアは,より身近な存在である若い医学生・医師の役割だし,そこに存在意義があることを彼らは自覚すべきである。彼らを指導すべきわれわれは,そのような患者・医師関係を築ける環境を彼らに提供する議論を始めるべきではないかと考える。


オスラー没後100年に医のアートを再考する

梶 龍兒(国立病院機構宇多野病院院長)


 1919年にウィリアム・オスラーが70歳で亡くなり,2019年12月29日で没後100年となる。日本オスラー協会会長を長らくされていた日野原重明先生も他界され,次第に医学教育において彼の業績を引き継ぐ人も少なくなっている。「医学はサイエンスとアート(わざ)である」というオスラーの名言も医学の教科書に見ることはほとんどない。iPS細胞や遺伝子治療など華々しい成果が喧伝されるが,サイエンスの進歩のみに注目が集まり,医のアートが軽視される傾向にある。オスラーが行っていた臨床を垣間見ると,これからの医師像,あるべき姿が見えてくる。

 オスラーは英オックスフォード大欽定教授(国王が直接任命する限られた職)だった。ある時,学位授与式前に患者の診察をしなければならず,着替えるための時間が取れないため,式典用ガウンを着たまま訪ねた。少しの診察の後,「特別な果物だから,病気が治るよ」と砂糖をかけた桃を患者に渡した。患者は重篤な百日咳と気管支炎のため食べられない状態だったが,渡された桃を食べた。

 オスラーは毎日患者の家へ足を運び,玄関でガウンに着替えて部屋に入り,食物を与えた。すると,患者は数日のうちに目に見えて回復した。

 オスラーは患者の心理に好影響を与えた要素(この場合はガウン)を見抜き効果的に利用し,人間的なアプローチによって患者に必要なことに応えてみせた。これこそ医術において重要なアートである。現代の医学生に言わせると,単なるプラセボ効果になるかもしれない。しかし,当時抗菌薬もなく,致命的な予後を持つ百日咳・気管支炎の患者の命を救えたのは,このためであろう。

 これからさらに高齢化が進み,不治の病や終末期を診る機会が増える。本年こそオスラーを勉強する若い医師が増えてほしいと願う。


外国人看護師として日本で働く

ヨノ・カルジョノ(奈良県立医科大学附属病院中央内視鏡・超音波部/看護師)


 私は2008年に日本・インドネシア経済連携協定(EPA)により来日し,約6か月の日本語研修の後,奈良県立医大病院の呼吸器・アレルギー・血液内科と感染症センターで看護助手として勤務した。EPAプログラムの最終年,2012年に日本の看護師免許を取得し,看護師として勤務を開始。同年10月から中央内視鏡・超音波部で仕事を行っている。2016年には日本消化器内視鏡技師資格を取得した。

 日本で仕事をする上で難しいことや困ることは,やはり言語である。日本語は漢字,カタカナ,ひらがながあり,発音や文法が難しい。「おなか・はら・腹部」のように同じ意味でも違う言葉が使われることがある。Edemaは「むくみ・浮腫」と,普段の言葉と専門用語の違いにも戸惑う。

 また,日本人の言ったことがそのままの意味ではなく,ニュアンスや言い回しの違いによって意図が異なることもあり,理解が大変である。十分な語彙を持ち合わせていないため,言いたいことが言えない,伝えたいことが伝わらないことも多いと感じる。日本とインドネシアの看護の違い,職場の文化の違い,勤務体制や看護する対象の違い,本音を言わない人間関係,宗教的な違いもあり,外国人労働者にとって日本で働くことはとても大変と感じる。

 日本で仕事をするインドネシア人の中には,帰国してしまう人がいる。この理由は,長く働き続けることが難しい職場環境と社会環境にあると思う。

 職場環境では「日本語教育の継続と互いの文化の理解」が必要だ。コミュニケーションを正しく取れば,互いの文化の違いを理解し合え,より良好な人間関係を築くことができると思う。インドネシア人の多くはイスラム教徒である。お祈りをするための時間と場所の確保,そしてその理解を得ることはとても重要である。

 社会環境では「家族や配偶者の就労環境と同胞との交流」が重要である。子どもの教育や経済的な問題を相談し解決できれば,将来への不安は少なくなる。いくら職場環境や社会環境に恵まれても,同胞が集まり交流を持つことは重要であり,ストレスや精神的な孤独からの解放になる。日本で育つ子どもたちに宗教を教える機会にもなる。政府からのサポートとして同胞との交流の場を設けてもらえれば,日本文化の理解,祖国との看護の違いなどをわかち合え,その結果,長く日本で働き続けることにつながると考える。


世界初の「喀痰」の診療ガイドラインの活用を

金子 猛(横浜市立大学大学院医学研究科呼吸器病学主任教授)


 喀痰は,咳嗽と並んで呼吸器疾患における最も重要な症候である。喀痰は咳嗽と密接な関係にあり,気道過分泌の病態では,咳嗽とともに喀痰が生じる。気道過分泌が生じると粘液線毛輸送クリアランスによる処理能力を上回り,気道内に貯留した分泌物が咳嗽により気道外に喀出されたものが喀痰で,生体防御反応の結果といえる。したがって呼吸器疾患診療においては,咳嗽と喀痰は切り離して考えられない。

 日本呼吸器学会「咳嗽に関するガイドライン第2版」の改訂に際し,咳嗽と密接な関係にある喀痰も一緒に取り扱い,「咳嗽・喀痰の診療ガイドライン2019」として作成されることになった。本ガイドラインが,咳嗽に加えて喀痰という視点から呼吸器疾患の診断,治療を考えるアプローチを採用したことは極めて意義深い。

 呼吸器疾患の病態を咳嗽と喀痰の両面から理解することは,診断および治療戦略において非常に重要である。喀痰は,非侵襲的に採取できる極めて有用な臨床検体であり,肺や気道の状態をよく反映する。色調や性状を観察し,病原微生物,悪性細胞,炎症細胞の検出を試みることにより,咳嗽や喀痰の原因疾患の診断が導かれる。特に,迅速な診断が急務となる肺がん,肺結核をはじめとした呼吸器感染症や肺がんにおいて,喀痰検査の有用性が高い。

 また喀痰は,咳嗽を誘発することで患者のQOLを低下させ,喀出困難になると呼吸不全や窒息死の原因となる。気管支喘息やCOPDにおいては,慢性に喀痰症状がある場合は重症度が高く,呼吸機能の経年低下が顕著で,増悪の頻度も高い。

 喀痰は呼吸器診療において非常に重要な治療ターゲットとなる。しかし,喀痰の原因となる,気道過分泌のメカニズムや粘液線毛クリアランスの機能障害は,臨床医に十分理解されていない。

 本ガイドラインにより喀痰についての理解が深まり,喀痰症状に注目した呼吸器診療が行われるようになることを願ってやまない。


未来は,今,何を考え行うかにかかっている

戎 初代(東京ベイ・浦安市川医療センター/集中ケア認定看護師/米国呼吸療法士)


 古き良きものは,現代にも未来にも残すことは必要ですが,現代に見合わない古いことや考えは改めていく必要があります。私自身中年になり,自分の考え方や物の見方が現代に合っているのかと考えることが多くなりました。

 看護師になった二十数年前には考えられないほどの情報量が現代にはあり,医療現場も目覚ましく発展してきました。その発展は,日本人の器用さと奉仕の心によって支えられてきたと思います。これらは良い面ではありますが,それが今,「医療崩壊危機」の一端にもなっているのではないかとも思えます。日本の文化や風土の良い部分は後世に残していきたいですが,現代の働き方ではそれを伝える時間が取れないのが実情ではないでしょうか。時代の変化に,私たちの生活環境が見合わないことが原因かもしれません。

 どんな職種でも,どんな仕事でも,どんな家庭でも,さまざまな場面や社会で「人間力」のある者が存在することは,後輩の育成や未来の発展につながると考えます。「親の背を見て子は育つ」ということわざがありますが,何でも本当にその通りだと思います。年を重ねれば重ねるほど,そしてリーダーという立場になるほど,自分の姿勢や考え方が後輩の育成(私たちの未来)に影響することを意識して,日々を過ごすことが必要だと思います。

 人は「変わらない」環境を心地良いと思いがちで,変えていくことや新しく作り上げていくことに抵抗することも多いのが実際です。「今」は,これまでの方法で何とか乗り切れたとしても,同じ方法で「未来」は乗り切れないことは多くあります。なぜなら,時間経過とともにさまざまな物事は変化していくものだからです。だからこそ,一定化した環境の中であっても少しずつ変化を取り入れていく姿勢を失ってはならないのだと思います。

 現代を動かしているリーダー的な中高年の方が古い考えを持ちすぎては,現代に合わせた環境改善ができないと思います。何かを変えようとするとき,一番難しいのは「意識改革」です。環境をより現代に見合った状況へ変化させるには,中高年の意識改革は必須と言えます。私も中高年の一人ですので,「生きる今」に合わせて変化させていく姿勢を忘れずに,未来を一緒に作れる人材であれるよう努力したいと思います。


作業療法の定義改定に見る,これからの作業療法の在り方

中村 春基(日本作業療法士協会会長)


 わが国に国家資格として作業療法士が誕生してから約50年が経過した。この間に,われわれ作業療法士に求められる役割は多様化し,医療を中心に,保健,福祉,教育,就労,行政などに広がっている。また,少子高齢化の進展に伴う近年の社会保障制度の改革は目まぐるしく,2025年をめどに地域包括ケアシステムの構築が推進されている。こうした時代背景の中で日本作業療法士協会では,対象者の生活を支援するという使命をよりいっそう意識し,社会情勢ならびに国民のニーズに応えられる専門技能があることを明示するために,協会独自で定めていた作業療法の定義を33年ぶりに改定した

 旧定義では,作業療法の対象は心身に障害がある者やそれが予測される者としていたが,新定義では対象を「人々」とし,障害の有無や種別を問わず日々の作業に困難を抱えている人や集団とすることを明記した。また,作業療法の手段として,旧定義では「諸機能の回復,維持及び開発を促す」ために作業活動を手段的に用いるとしていたが,新定義では作業の手段的利用に加え,作業療法の実践には作業自体を練習し,できるようにしていくという目的としての作業の利用,および環境への働き掛けが含まれることを註釈において説明した。これらの改定によって,作業療法の対象の広さや支援内容の豊富さを明示できたのではないだろうか。

 この定義改定を踏まえて,日本作業療法士協会の中期計画である第三次作業療法5ヵ年戦略(2018-2022)の重点課題を,「共生社会の実現に向けた,地域を基盤とする包括的ケアにおける作業療法の活用推進」と「地域共生社会に寄与する作業療法士を養成する教育の整備と強化」とした。いずれも「地域」と「共生社会」がキーワードとなっている。われわれ作業療法士は,医学の知識,技能を基盤に,人の生活を支援する専門職として,保健,福祉,教育,就労,行政など,さまざまな領域で国民のニーズに貢献できるよう,さらに磨きをかける一年としたい。


AIの窓から見える「糖尿病医療学」の本質

石井 均(奈良県立医科大学医学部糖尿病学講座教授)


 15年ほど前から,糖尿病治療の人間的側面に焦点を当てた学問領域として「糖尿病医療学」を提唱している。また,症例検討を中心に,特に医療者―患者関係に焦点を当てた日本糖尿病医療学学会を設立し,5年前から学術集会を開催している。

 医療とは,元来,「癒やしの術」と呼ばれる技術的・人間的行為であるが,医学的成果(科学と技術を基盤とする)を人の疾病の診断,治療,予防,健康の支援に生かす術(アート)であると言える。糖尿病においては,患者の考え方や行動の変化が治療の成果を決める重要な要素であり,本人が治療に前向きな気持ちにならなければ,医療者がいくら優れた治療法や情報(エビデンス)を提供しても望ましい結果は得られない。

 それでは医療者に何ができるのか。米国では人間の行動変容に関する心理学理論が発達し,保健行動の促進やいくつかの(主に慢性)疾病療養指導に適応されてきた。例えば,ヘルスビリーフモデル,変化ステージモデル,(認知)行動療法,動機付け面接などである。これらに習熟することはもちろん有効であるが,一つの理論や方法論だけでサポートすることは難しい。家族関係や経済的問題,認知症や介護やうつ病,生きがいの喪失や孤立などの心理的問題,疾病の状態,その理解や感情など日々の臨床場面で出会う患者さん一人ひとりの状況はより複雑で,より多彩なレベルの問題や課題を抱えている。

 糖尿病診療では,医学的援助とともに,言葉を用いて一人ひとりの患者さんの思いや感情と向かい合い,互いの感情や考えの交流を通じて人間としての関係性を構築していく過程が有効に働く。その中で,患者は自分の生き方および治療の意味を発見していく。広義の心理療法的アプローチとも言える。

 このように,糖尿病医療は個別的な(人間の)行為ではあるのだが,その個別の関係性の根底には原則や理論が存在している。それを発見し共有することが患者と医療者を支え,人間的成長をもたらす。そこで,この領域を医療学――糖尿病医療学と名付けた。

 医療にかかわる身体的および心理的技術が必要な職業は,10~20年後にも残る(AIが取って代わりにくい)職業トップ25に多数入っていた。コンピューター性能の向上とともに,囲碁や将棋で優秀な人間棋士に勝つAIが登場したことや,ディープラーニングという技術革新には強い関心を抱いていたが深く理解しているとは言えず,何冊かAI関連の本を読んだ。とても面白かった。「人間の知能とは何か」という根源的な問題に挑み続ける歴史であると知った。

 その中にいくつもの面白いテーマがあった。AIは自主性や主観的世界観を持つか? AIは自我や欲望を持つか? AIは感情を持つか? AIは意識や創造性を持つか? などであり,それらを知るに付け,「言葉を用いて会話し,変化していく新しい状況(どこへ行くかわからない,何が起こるか特定できない)に合わせて物語を読み取り,その意図を考えながら治療的会話を続ける」ことがいかに難しい人間的行為であるかを思った。

 このことは,医療ないしは医療学の本質とは何なのか,その原点に返ることの必要性を知らしめるものであると思う。この領域の研究を続け,病を持つ人間,その支援,医療者自身の成長について学んでいきたいとの思いを新たにしている。


女性医師の活躍を広げるために社会と女性医師自身の意識改革を

上家 和子(日本医師会女性医師支援センター参与)


 昨年は,一部の医学部入学試験で女子受験生への不利な扱いが明らかとなりました。人生100年時代,一億総活躍社会において,寿命の長い女性医師の活躍の場は洋々と広がっているはずですが,この事件(あえて事件と言いましょう)とその後の各界の反応を見ると,まだまだ意識は旧時代にとどまっているように見受けられます。

 まず,医師を育成する指導者の意識の古さ,女性医師は戦力にならないという決めつけ,そしてこれを前提として,増え続けると困る,という意識。現場からは,女性医師を迎え入れたくてもカバーに入る側は悲鳴を上げている,という意見も根強くあります。

 かつて,女子医学生が5%にも達しなかった時代には,女性医師,妊娠中の医師をどう処遇するかはめったに遭遇しない事案だったでしょう。産前産後休業や育児休業制度は,若い医師を育成し人事権を持つ指導者にとって無関係な制度のように見えたかもしれません。しかし女子医学生が40%になろうという現在,わが教室,わが病院でどう対処し,どう支援していくのか,日常のことととらえる必要があります。

 女性医師自身も,産前産後休業や育児休業制度への理解の低さ以前に,子育てと家事は自分の仕事,自分に期待されている役割,と思い込んでいないでしょうか。OECD各国では軒並み女性医師が普通に活躍し,M字カーブはほとんど見られません。要因の一つに,夫の協力のみならず,家事・育児のアウトソーシングがためらいもなく進んでいることが挙げられます。子育てを生きがいとする選択肢もあれば,子どもを育てながらも医師としての役割を極める選択肢もあるべきです。自ら制限しどこかで諦めてしまうとすれば,あまりにももったいないことです。

 一方で,意識が時代にすでにキャッチアップしているのは患者です。2017年2月にJAMA系列誌に掲載された津川友介先生(米カリフォルニア大ロサンゼルス校)の,米国のデータで「女性医師のほうが男性医師より患者の死亡率・再入院率が低い」とする論文(PMID:27992617)が広く注目されましたが,患者は今や性別で医師を選びはしません。

 一人前の医師になるためには,本人の努力はもちろんですが,多額の税金と,限られた機会が提供されます。指導者も子育てとの両立に悩んでいる女性医師も,社会の状況にキャッチアップして,医療人としての貢献,活躍を広げていきたいものです。

 新しい年,新しい意識を関係者皆で共有していきましょう。


若手アカデミー活動に看護・助産学研究者が参加する意義

新福 洋子(京都大学大学院医学研究科人間健康科学系専攻家族看護学講座准教授)


 2018年3月,前年に日本助産学会の推薦を受け会員となっていた日本学術会議若手アカデミーの副代表となった。若手アカデミーとは,日本学術会議の下に設置された,日本学術会議がカバーする諸分野での45歳以下の科学者の集まりである。現在63人のメンバーで構成され,4つの分科会をベースに学術界の若手科学者が抱える諸問題の解決や科学の発展に向けた活動に取り組んでいる。

 私は2017年から国際分科会の委員長となり,国際代表派遣で韓国若手アカデミーとの会合やWorld Science Forum 2017に出席した。2018年には世界の若手科学者の声を代表するGlobal Young Academyのメンバーになり,執行役員にも選出され,国内外の若手アカデミー活動に従事している。日本における分科会活動として,日本の大学の国際化に向けた文科省との会合や,International Network for Government Science Advice(INGSA)の東京大会に合わせた若手科学者のためのワークショップの企画・運営等を行ってきた。

 若手アカデミー全体としては,アカデミックキャリアの構築,アカデミアにおける多様性の問題,シチズンサイエンスやSDGsのための科学技術イノベーションなどの議論を行っている。社会の発展と持続可能性に同時に鑑み多角的で幅広い視点からの議論を行うために,信頼のおける学際的な研究者間のつながりを若手のうちから持つ意義を感じてきた。後続の若手研究者にも継続してこうした活動に積極的に取り組んでもらいたいと考え,特に看護・助産学研究者として参加する意義を述べてみたい。

 多くの看護・助産学研究者がそうであると思うが,実践の視点で物事を考え,研究し,研究結果を実践に反映することを前提にしているため,研究の社会への還元意識がもともと高い点は,「科学技術と社会」の議論には有効であると思う。また,看護・助産の基本である対象理解,管理や調整の経験があれば,さまざまな立場の人々を理解して議論の土台を提示し,議論をまとめ,実行を図ることが可能であると思う。

 反対に,議論の方法やアカデミアの論点に関しては,科学の先端を担う他領域の研究者たちから学ぶところが多い。議論を通して論理的思考力や発想力を伸ばすことで,自らの研究活動の質向上に加え,科学と実践の架け橋の役割をより担えるようになると思う。

 最後に,お互いから刺激を受け,高め合えるネットワークを若手のうちに持つことは,研究のみならずその後の人生の歩み方にも影響を与え,目に見える実利に収まらない意義があると考える。こうした活動があることを,日々の研究やキャリア開発に迷い悩む若手研究者に届けたい。そして,若手アカデミーの活動に関心を寄せてくださる方々とつながっていく一年としたい。

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