医学界新聞

連載

2017.02.20



The Genecialist Manifesto
ジェネシャリスト宣言

「ジェネラリストか,スペシャリストか」。二元論を乗り越え,“ジェネシャリスト”という新概念を提唱する。

【第44回】
睡眠・休養と安全

岩田 健太郎(神戸大学大学院教授・感染症治療学/神戸大学医学部附属病院感染症内科)


前回からつづく

 今回から,「ジェネシャリスト宣言」も最終章となる。いよいよまとめに入るわけだ。ジェネシャリのコンセプト面についてはもう徹底的に論じたと思うので,今回からはより一般的に医療全体をテーマにする。そこに通底する「ジェネシャリスト」と「二元論の克服」というメインテーマを編み込んでいきたい。

 で,今回は「睡眠・休養と安全」である。

 ぼくが初期研修医のころは,「いかにしんどい研修を受けているか」が研修医の自慢の種であった。何日寝てない,食べてない,家に帰っていない(まあ,沖縄県立中部病院研修医は病院内に起居する文字通りの“レジデント”だったけど),みたいなのが“良い研修”と“頑張る研修医”のバロメーターであった。時はポストバブルで,まだ「24時間戦えますか」というスローガンが肯定的なキャッチコピーだった。これは医療職にとどまらず,例えば人気漫画家はたくさん連載を抱えて締め切りギリギリまで血へどを吐きながらペンをカリカリし続けることを自慢にし,漫画のネタにもしていたのである。

 米国で内科研修医になったとき,研修医たちが日没前に帰宅していく状況を見て,ぼくは当初「アメリカって甘ったれた国だな」と思っていた。自分はもっともっと厳しい環境を生き抜いてきたのだから,このくらいの研修ではぬるいな,とすら思った(実際には生き抜いたのではなく,途中で逃げ出したのだけれど)。

 しかし,「夕方に家に帰る」ということは,残された業務を誰かが代替しなければならないことを意味している。それは3,4日おきにやってくる当直業務であり,全チームの患者をカバーするため,殺人的な忙しさであった。米国が研修医の長時間労働とそれを原因とする医療ミス,患者の死亡事故を受けて研修医の労働時間を厳しく管理するようになったのは2003年のことである。ぼくが内科研修医のとき(1998~2001年)はそのようなレギュレーションは存在せず,研修期間はダッシュ(当直)と流し(それ以外)の繰り返しであった。だから当直はきつかったが,当時は「研修医とはそういうものだ」と思っていた。

 2004年に帰国して亀田総合病院に異動したとき,研修医の安全と医療ミスには非常に意識的であった。だから当直明けは「休養が義務である」として業務を認めなかった。亀田総合病院の優秀な研修医は,それでも「いや,私はまだ頑張れます」とけなげに病院に残ろうとしたが,ぼくは「患者の安全のために帰宅するのは君たちのデューティーだ」と厳しくそれを戒めた。とはいえ,そういうぼく自身が仕事漬けの毎日で,ほとんど休みを取ったことがなく,またそれを誇りにしていた節すらある。まだ「筋肉ムキムキ体育会系医療」が正しい,という幻想に浸っていたのである。

 筋肉ムキムキは必ずしもダメではない。しかし,同調圧力により「筋肉ムキムキでなければ」と自己を強迫するようになり,心身の不調を認知できなくなり,判断力の低下を察知できなくなり,患者に優しくなれなくても「俺様はこんなに頑張っているんだから」と言い訳するようになる。そういう負のスパイラルに陥らない快楽と健全さのバランスがキープできている状況下においてのみ,筋肉ムキムキであるべきなのだ。そのような負のスパイラルを,自分自身あるいは組織内部で自律的に回避しながら筋肉ムキムキでいることは極...

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