医学界新聞

インタビュー

2017.01.09



【シリーズ】

この先生に会いたい!!

「好奇心が何よりのモチベーション」
人はなぜ眠るのか,睡眠覚醒の謎に挑む

柳沢 正史氏
(筑波大学医学医療系 教授/国際統合睡眠医科学研究機構 機構長)
に聞く

<聞き手>岩田 直也さん
(奈良県立医科大学 医学部6年生)


 医学部卒業後すぐに,研究者としての道を歩み始めた柳沢正史氏。大学院時代に血管収縮因子「エンドセリン」を発見したことなどが評価され,テキサス大からスカウトを受けて渡米した。その後,氏らが発見した睡眠覚醒をつかさどる神経伝達物質「オレキシン」から,謎の疾患であった覚醒障害ナルコレプシーの病態生理がひもとかれた。

 睡眠の基礎研究に特化した世界トップレベルの研究拠点,筑波大国際統合睡眠医科学研究機構(IIIS)のリーダーとして,現在も睡眠覚醒の謎に挑む柳沢氏に,これまで研究者として歩んできた道や,研究に対する思いなどを医学生の岩田直也さんが聞いた。


岩田 先生が中心となって発見されたオレキシンは,世界中から注目を集めています。私自身も臨床実習の際に,既存の睡眠薬とは異なるオレキシン受容体拮抗薬の効果を目の当たりにし,感動しました。現在はどのような研究をされているのでしょうか。

柳沢 一言で言うと,「眠気とは何か」ということです。それを解明できたら,僕はもう引退してもいい(笑)。

 そもそも「睡眠」というのは,脳を持つあらゆる動物種に見られる現象であるにもかかわらず,その神経科学的実体は多くの謎に包まれています。例えば,睡眠中われわれの意識は失われていますよね。自然界で生きる動物を考えてみればわかるように,これは明らかに危険な行動です。ところが,そうしたリスクを冒してまでなぜわれわれは眠るのか,満足のゆく回答は得られていません。

岩田 現代の科学技術をもってしても,睡眠には多くの謎が残されているのですね。

柳沢 その中でも,今僕が特に関心を持っているのが「眠気」です。近年,オプトジェネティクスやケモジェネティクスといった新技術によって,睡眠と覚醒の切り替えをつかさどる脳内の神経回路や神経伝達物質が徐々に解明されつつあります。しかし,覚醒から睡眠へのスイッチの切り替えを促すのが,まさに眠気なわけですが,その物理的実体は全くと言っていいほどわかっていない。それを解明できたらとても面白いと思いませんか。

岩田 大変興味深いです。具体的にはどのような研究なのですか。

柳沢 特定の仮説を立てずに,探索研究を行っています。眠気の本体を追究していく上では,意味のある作業仮説を事前に立てることが難しいと感じたためです。

 探索研究の具体的内容としては,フォワード・ジェネティクスという手法により,マウスのゲノムにランダムな点突然変異を入れ,断眠前後の脳波・筋電図のスクリーニングを行い,遺伝性の睡眠覚醒異常がある個体の同定を進めています。マウスの場合,脳波を測るには電極装着手術を要するため,かなり大変な作業ではあるのですが,これまでに6年ほどかけて約8000匹のマウスのスクリーニングを行いました。

岩田 8000匹と聞いただけで,気が遠くなりそうです。

柳沢 最近,睡眠制御にかかわる二つの遺伝子変異を発見し,『Nature』誌に大きな論文を発表したところです。覚醒時間が大幅に減少する変異家系と,ノンレム睡眠は正常にもかかわらずレム睡眠が著しく減少する変異家系で,「Sleepy」「Dreamless」と名付けた(笑)。その2つの家系からそれぞれの遺伝子変異を同定し,機能を明らかにしました。これを手掛かりとして,睡眠と覚醒,ノンレム睡眠とレム睡眠の切り替えにかかわる細胞内シグナル伝達系,さらには「眠気」の分子メカニズムの全容に迫っていきたいと考えています。

岩田 睡眠をめぐる謎のさらなる解明に期待が膨らみますね。

柳沢 さらに応用研究として,当機構発のアカデミア創薬をめざしています。覚醒の維持に障害を来すナルコレプシーは,オレキシンの欠乏が根本原因であることがわかっています。ただし,オレキシンそのものを末梢投与したとしても血液脳関門を通りません。そこで,オレキシン受容体作動薬を作り,ナルコレプシーの病因治療薬,さらにはその他の眠気を伴う疾患の治療薬の開発を進めています。昨年そのプロトタイプ化合物が完成し,臨床リード化合物をめざして進めています。

幼いころから将来の夢は研究者

岩田 先生は研究者として早くから素晴らしい功績を残されていますが,いつごろから研究の道に進むことを考えていたのですか。実は私もscienceに興味があり,大学1年次から大学の研究室に通っていました。私自身は,人の役に立つ研究ができることも含めて医師という仕事に魅力を感じ,医学部に進学したのですが。

柳沢 小学生のとき,「将来の夢は研究者」と作文に書いていたそうです。自分でも理由は憶えていないのですが,幼いころからずっと研究者に憧れていました。ですから,臨床医をめざして医学部に入学したわけではありません。

岩田 研究の道を志して医学部に進学するというのは,珍しいですよね。理学部や工学部,農学部など,他の学部のほうが候補に挙がりやすいように思います。

柳沢 医学部を選んだのは,医師である父の一言がきっかけでした。父はもともと工学部出身のエンジニアで,その後医学部に学士入学して医師になった人です。僕が学部を決めかねていたときに,「これからは生物学,特に分子生物学が台頭する時代だ。生物学はいろいろな学部で学べるけれど,医学部は人間を対象とした生物学についての幅広い知識が得られる」と父から助言を受けました。

岩田 臨床の道はまったく考えていなかったのでしょうか。

柳沢 そんなことはないですよ。研究と一口に言っても,基礎研究だけでなく臨床研究などの選択肢もあります。入学した時点では,自分がどういった研究に携わりたいのかは決まっていませんでした。大学院入試の直前までかなり悩んだものの,最終的には博士課程に進むことにしました。

岩田 今のような研修医制度がない時代とはいえ,多くの方が臨床に進んでいたと思います。何か決め手があったのでしょうか。

柳沢 理由はいくつかあります。一つは,筑波大の教育が非常にプラクティカルだったこともあり,臨床医とテクニカルな会話をするために必要な共通言語は,卒業時点で十分に獲得できたという自信が持てたことです。僕は実習以外の臨床経験こそありませんが,臨床医とコミュニケーションを取れるだけの知識があれば,あえて臨床に進む必要はないと感じたのです。

岩田 なるほど。理由は他にもあるのですか。

柳沢 6年次に数か月ほどオーストラリアで臨床実習を受け,日本で臨床の道に進むことが嫌になってしまったんです。当時の日本は末期のがん患者さんにさえ告知をせず,患者さんを無視した状態で医療が進められていました。僕はそうした現場の在り方に違和感を抱いてしまったのですが,オーストラリアではインフォームド・コンセントが浸透しており,今後の方針も患者さんと一緒に考えていました。その差に愕然とする一方,「自分が日本を変えてやろう」と思えるほどの気概はありませんでした(笑)。

 基礎研究の道に進むことを決めてからは基礎研究で名の知れたラボを全国で10カ所ほど見学し,本格的に研究室を立ち上げていく機運の高かった筑波大の眞崎知生先生の研究室を選びました。

筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構(IIIS)
医学部と芸術系学部の両方が存在する唯一の国立大学としての特性を生かそうと,柳沢氏の発案で,建物内には芸術専門学群の教員が制作した睡眠をモチーフとする5つの作品が存在する。❶は,空を飛ぶ夢を見ている母子豚。建物の設計は,米国で研究施設の設計経験を持つデザイナーに依頼した。吹き抜けのフロアには,支柱を持たない螺旋階段もあり,開放的な雰囲気となっている。一度に何万種類ものタンパク質の定量が可能な質量分析装置(❷)や,新薬候補化合物のアッセイが可能な実時間細胞蛍光光度計(❸)など,最先端の研究機器が多くそろう。

研究室選びは,領域ではなく研究環境を重視する

岩田 その後,先生はわずか数年でエンドセリンを発見し,『Nature』誌に論文を発表されています。個人的に,研究というのは地道に実験を積み重ねても期待するような結果がなかなか得られず,苦労するイメージがありました。

柳沢 エンドセリンの発見は周りの環境にも恵まれ,全てが順調に進みました。最初の約2年はメンターから与えられたプロジェクトに取り組んでいましたから,実際には1年もかかっていません。

岩田 1年足らずとは驚きです。

柳沢 眞崎先生に与えられたプロジェクトで論文を1本出せたので,さらに研究を進める選択肢もあったのですが,正直に言ってしまうと僕はその研究にはあま...

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