糖尿病患者の直面する不確実性(杉本なおみ)
連載
2016.12.12
わかる! 使える!
コミュニケーション学のエビデンス
医療とコミュニケーションは切っても切れない関係。そうわかってはいても,まとめて学ぶ時間がない……。本連載では,忙しい医療職の方のために「コミュニケーション学のエビデンス」を各回1つずつ取り上げ,現場で活用する方法をご紹介します。
■第9回 糖尿病患者の直面する不確実性
杉本 なおみ(慶應義塾大学看護医療学部教授)
(前回よりつづく)
2型糖尿病と診断されて落胆している人を見ると「自己管理さえすれば普通に生活できますよ!」と励ましたくなりますが,相手はその一言を重荷と感じるかも……。
患者になることは不確実性との付き合いの始まり
Dale E. Brashersは,看護理論家のMishelが提唱した「不確かさ(uncertainty)」概念1)を用いて「不確実性管理理論(Uncertainty Management Theory)」2)(註1)を開発した医療コミュニケーション学の第一人者3)です。彼の学問的功績は日本の研究にはほとんど反映されていませんが(註2),HIV/AIDS患者が体験する不確実性の起源を医学的・個人的・社会的要因に分類4)しました(註3)。その後,彼以外の研究者もこのモデルを他疾患で検証する流れが生まれ,その中で糖尿病患者の語りに基づく質的研究をメタ統合した論文5)が発表されました。
医学的不確実性:合併症と病気の進行
糖尿病患者が直面する不確実性の医学的要因としては,この病気の進行を予測することの難しさが挙げられています。「受診のたび『失明する,血管が詰まる,足を切断する』と言われる」,「患者仲間が腎不全で亡くなったり失明したりしてこの病気の恐ろしさを思い知らされた」などです。
また「これほど体が言うことを聞いてくれないと,自分の体に裏切られた気分になる」というように,自己管理の成果が病院での説明通りにならないことも不確実性の一因となります。さらに「ストレスで血糖値が上がると本に書いてあるが,私は妻とけんかをすると下がる。そう言っても医師は信じないどころか私のことを無知だと思っている」という話からは,不確実性が医療者との関係にまで影響する様子がうかがえます。
個人的不確実性:矛盾と罪悪感
一方,個人的不確実性については,「セルフケア行動の矛盾」(註4)と「発症や自己管理の失敗に対する罪悪感」という要因が報告されています。いずれも従来の分類には含まれておらず,糖尿病患者の直面する不確実性の特徴と考えられます。
例えば,患者の多くが減量を目的に運動を始めます。ところが運動中に低血糖状態になれば血糖値を戻すため糖分を摂取しなければなりません。「甘い物を食べて糖尿病になったから,これ以上悪くならないように」と運動している最中に,「糖尿病がこれ以上悪くならないように甘い物を食べる」ことについて,患者の多くは自分の行動が矛盾しているように感じます。
一方,罪悪感に関しては「測定値を,単なる健康状態の目安ではなく直近の自分の行い(例:過食や運動不足)に対する裁きのように受け止める」という例があります。これは,自己管理の怠慢が死に直結するわけではないために「健康な人」と「患者」という2つの自己概念の間を行き来する「余裕」が生じ,それがかえって不確実性を増加させるという糖尿病特有の要因によるとされています。
社会的不確実性:職場と家庭
さらに不確実性の社会的要因としては,社会全般の「無理解」や,職場での「気まずさ」,家族からの「干渉」の例が語られています。まず世間の知識不足や誤解により,「低血糖状態を酩酊と間違われ」たり,「インスリン注射を麻薬常習と勘違いされ」たりする可能性が不確実性の原因となります。
次に,医療の進歩に伴い,糖尿病であることを同僚に隠したまま働き続けることが可能になる反面,特有の予測不可能な展開により,期せずして職場でそのことを知られてしまった場合には余計に気まずくなります。会議の最中に低血糖状態に陥った女性は「人は誰しも公的な顔と私的な顔を使い分けるのに,この一件のせいで,もはや私にはその使い分けすらできなくなった」と面目を失ったことを嘆きます。またこのような不確実性要因があると,同僚には早めに話すほうがよいのか,そのことで不利益を被らないか,という新たな葛藤が生じることも想像に難くありません。
一方,家庭内でも,本来患者が行う自己管理に家族が口を出せば,患者にとってはそれ自体がストレスになります。「善意とわかっていても『これを食べるとよい』,『血糖値は測ったか』,『顔色が悪いが大丈夫か』と言われ続けるとうっとうしくなり,放っておいてほしいと思う」といった事例が報告されていま...
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