医学界新聞

寄稿

2016.06.06



【寄稿】

DSM-5と精神医学的診察についての私見

ジェイムズ・モリソン(米国オレゴン健康科学大学 精神科客員教授)


 今回,DSM-5が生まれた米国において,DSM-5がどのように受け入れられてきたかについて書いてほしいという依頼を受けた。これはまさに私が長年考え続けてきたことなので,もちろん喜んで書こうと思う。しかしこのテーマについて書くには,精神疾患一般についても解説しなければならない。というのも,DSM-5は,診断・治療を受けるために私たちの下に受診してくる患者が呈する“精神障害”について取り上げているからである。担当する患者を真に支援するために,私たちはDSM-5の使い方について熟知しておく必要がある。なお,DSM-5を診断のバイブルと呼ぶ者もいるが,決してバイブルなどではない。

そもそも「異常」とは何か

 精神障害はさまざまな定義が可能であるが,異常を障害とみなす一般的な定義は残念ながら正確でもなければ完全でもない。これは「異常」を十分に定義できる人がいないことが理由の一端にあるかもしれない(異常とは患者が普通ではないという意味だろうか? それだと,非常に知能の高い人は異常ということになる。では,患者の気分が良くないことを指すのか? それだと,躁病エピソードを呈する人の多くは,異常ではないことになる)。正常と異常の境界は個々の文化によってもある程度左右されることを考えると,精神障害の定義がいかに微妙な問題となり得るかがよくわかるであろう。

 そこで,DSM-5の著者らはどの診断を精神障害として含めるかを決める際,次のような定義を用いた。「精神疾患とは,精神機能の基盤となる心理学的,生物学的,または発達過程の機能障害によってもたらされた,個人の認知,情動制御,または行動における臨床的に意味のある障害によって特徴づけられる障害群である」1)

 さらに2つの点について考える必要がある。まず,精神障害においては,いかなる症状も一般的な出来事に対して予想される以上の反応でなければならないという点である。例えば身内の死は悲惨ではあるが,ほぼ全ての人に起り得るため「通常」の経験である。宗教や政治上の狂信的な信条といった個人と社会の間に大きな葛藤をもたらす行動も,多くは精神障害とみなされないのも同様の理由からであろう。

 もう一つ,精神障害は過程を取り上げているのであって,人間について描写しているわけではないということである。同じ診断を下されている患者でも,多くの相違点がある。パーソナリティ障害を考えてみると,どのような追加の診断があっても,それぞれが呈する特定の症状や,患者の感情・行動とは関係のない個人の人生において,明らかに異なる側面が無数にある。

 ある精神障害と他の障害,またある精神障害と「正常」の間にも明確な境はない。全ての双極性障害の病態はおそらく一連のスペクトラム上のどこかに位置しているのに,双極I型障害と双極II型障害の診断基準は両者を明確に識別している。

 統合失調症や双極I型障害といった精神障害が糖尿病などの身体的状態と識別できるのは,糖尿病の原因がわかっているからである。いずれは,多くの精神障害も遺伝,生化学,生理学などの何らかの身体的基盤によって起きていることがわかるだろう。しかし,現時点で精神障害の身体的基盤は判明していない。

医学モデルに依拠した診断に対する賛同と批判

 本質的には,DSM-5は病気の医学モデルに依拠している。もちろん,DSM-5が薬物による治療を提唱しているという意味ではない。DSM-5の診断基準の多くは,症状や兆候において多くの共通点を認める患者群について,科学的に研究する記述的作業から得られたものである。患者が一定の経過をたどり,治療に対して予想される反応を示すことと,生物学的血縁関係にある身内に同種の病気が生じる可能性が高いことが確認できて初めてその診断群に含めることができる。

 わずかな例外を除き,DSM-5は「何かが精神障害の原因である」という前提には立っていない。これが有名な「非論理的アプローチ」であり,大いに賞賛されると同時に非難もされてきた。その結果として,多様な学説を信奉する多くの臨床家が,DSM-5を診断に用いるようになったのである。

 一方,DSM-5に関する批判の多くは,診断過程そのものに向けられている。支配の道具として診断をとらえる者もいれば,単に診断が多過ぎると不...

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