医学界新聞

山口俊晴,前野隆司,大内尉義,谷口清州,柳橋礼子,山田里津,高橋正雄,藤巻高光,小澤貴裕,大谷幸子,駒崎弘樹,和田美紀,飯田大輔,國森康弘

2016.01.04



2016年
新春随想


「早い,うまい,安い」から「安い,早い,うまい」へ

山口 俊晴(公益財団法人がん研究会有明病院 病院長)


 牛丼屋さんで注文すると,あっという間に牛丼は目の前に登場します。食べると,その満足感は期待を裏切りません。そして勘定のときにはその安さに驚きます。「早い,うまい,安い」というキャッチフレーズは,牛丼屋に限らず,多くの事業に共通した要点を示したものといえましょう。2005年に有明に新病院を建設して移転したとき,臓器別Cancer Boardを中心としたチーム医療を推進することになりました。そのときに消化器センターのキャッチフレーズとしたのが,この「早い,うまい,安い(安全)」でした。患者さんが受診したら,1週間以内に診断を確定し,2週間以内に治療を開始する,しかも最高の技術で安全に,という意味が込められています。

 その後10年経過しましたが,診療科間の壁を取り除くことで,1週間以内に診断し,2週間以内に治療に取り掛かるという目標は,消化器センターでは達成することができました。しかし,2000年以降,患者さんは高齢化してそのリスクも極めて高くなってきました。また,薬物治療の進展,低侵襲治療の導入など,治療も高度化,複雑化してきました。このような新しい状況のもとで癌診療を安全に行うためには,優れた全身管理体制と,適切な安全管理体制の構築が必須です。つまり,癌専門病院がその専門性だけでもてはやされた時代は終わりつつあり,安全にかかわる体制を確立できない癌専門病院は存在し得ないのではないかと感じております。

 昨年は,医療安全管理の模範となるべき特定機能病院での,安全管理上の不祥事が続きました。今求められているのは,何より安全で安心できる医療です。キャッチフレーズの順番を「早い,うまい,安い」から「安い,早い,うまい」に変えるべき時が来たと思っております。ちなみに,牛丼屋さんのホームページを見ると,すでに食材の安全性が強調されておりました。


健康と幸せのための4つの因子

前野 隆司(慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科 教授)


 年初にふさわしく,幸せについてのお話をしたいと思います。英語にwell-beingという単語があります。英和辞典を引くと,健康とも幸福とも訳されています。直訳すると,良い状態であること。健康とは,身体的,精神的,社会的に良い状態にあることであり,幸福とは精神的に良い状態であること,つまり,幸福は健康の一部ということになります。実際,「Happy people live longer」という題名の有名な論文に書かれている通り,幸せな人は長寿であることが知られていますし,アンケート調査で求めた主観的幸福は身体的な健康と高い相関を示すことも知られています。よって,幸せな心の状態を維持することは,予防医学的にも精神医学的にも極めて重要というべきでしょう。

 私が行ってきた研究のひとつに,主観的幸福の心的要因の因子分析研究があります。それによると,幸せの4つの因子とは,①やってみよう因子(自己実現と成長),②ありがとう因子(つながりと感謝),③なんとかなる因子(前向きと楽観),④あなたらしく因子(独立とマイペース)です。つまり,幸せな人(=健康な人)とは,①夢や目標を持ち自分のやりたいことを生き生きとやっていて,②多様な友人がいて,つながりに感謝し,社会に貢献していて,③前向きで楽観的に過ごしていて,④人の目を気にし過ぎず自分らしく生活している人といえそうです。幸せな人とは,4つの因子を併せ持っている人です。しかも,4つの因子のどれかを高めると他も高まり幸せになっていくようなのです。

 そこで,私は,幸せ度を高めるハッピーワークショップという活動を行っています。①夢や目標および②感謝していることを書き出して皆とシェアしよう,③前向き・楽観的になれないことや④自分らしくできていないことを書き出して,これからは前向き・楽観的に自分らしくやると宣言してみよう,というグループワークです。これらを行うと幸福度が上昇します。みなさんも,幸福度を高め,健康な1年をお過ごしください。


活力ある超高齢社会をめざして
――高齢者の定義を再考する

大内 尉義(国家公務員共済組合連合会虎の門病院 病院長/日本老年医学会前理事長)


 現在,多くの国で高齢者は65歳以上と定義しているが,これには生物学的,医学的な根拠はまったくない。一説によると,かのプロイセンの鉄血宰相ビスマルクが,まだ平均寿命があまり長くなかった時代に,年金の受給年齢を65歳にしておけば国家財政に大きな負担にならないだろうとしたことが由来だという。やはり65歳以上を高齢者とするわが国においては,近年,個人差はあるものの,65-75歳の前期高齢者は若くみえる人が多く,この年代を本当に「高齢者」と呼んでいいのかどうか迷うことが多い。実際,内閣府の最近の調査でも,何歳以上を高齢者とするかという問いに,70歳以上あるいは75歳以上と答えた人が最も多く,80歳以上という回答がこれに次いでおり,65歳以上という回答は5%程度と低かった。

 このようなことを背景に,日本老年医学会では,高齢者の定義を再検討している。いろいろなコホートでの追跡調査のデータを調べると,歩行速度,握力などの運動機能,活動能力指標でみた生活機能,疾病の受療率や死亡率,知的機能,残存歯数に代表される咀嚼能力など,多くの身体機能が以前に比べて5-10歳若返っていることが示されており,人々の実感に合致していると思われる。2015年度中に報告書をまとめ,その内容を公表する予定であるが,実は,この検討の真の目的は高齢者の定義を何歳と決めることではなく,高齢者が社会参加できる仕組みをつくり,活力ある超高齢社会を実現する重要性を再度提起することである。

 2015年6月開催の日本老年医学会学術集会の折,日本老年学会と日本老年医学会が合同で以下のような声明を発表した。「最新の科学データでは,高齢者の身体機能や知的能力は年々若返る傾向にあり,現在の高齢者は10-20年前に比べて5-10歳は若返っていると想定される。個人差はあるものの,高齢者には十分,社会活動を営む能力がある人もおり,このような人々が就労やボランティア活動など社会参加できる社会をつくることが,今後の超高齢社会を活力あるものにするために大切である」。

 世界に先駆けて超高齢社会に突入したわが国にとって,明るくプロダクティブな社会の実現は国民全員の願いである。われわれの検討がそのために役立ち,健康長寿社会の構築のための道筋の一つを世界に向けて発信できればと思っている。


海外からの感染症の流入を防ぐ
――国際保健規則に則った戦略を

谷口 清州(国立病院機構三重病院 臨床研究部長)


 2015年5月,韓国で一人の輸入例からはじまった中東呼吸器症候群(Middle East Respiratory Syndrome;MERS)の流行は瞬く間に拡大し,日本にも入ってくるのではないかと危惧された。03年に中国の広東省に端を発し世界を席巻した重症急性呼吸器症候群(Severe Acute Respiratory Syndrome;SARS)は,当時は日本では報告されなかったが,日本に入っていなかったわけではなく,単にSuper-spreading eventが発生しなかったので認識されなかっただけであろうというのが世界の共通認識であった。

 言うまでもなく,現在のグローバル化した世界では題名にあるような海外からの感染症の流入を防ぐことは事実上不可能である。国際的な健康危機管理の枠組みである国際保健規則(International Health Regulations;IHR)では,感染症の国際伝播を防止する戦略として発生地での早期探知と早期封じ込めが最も重要だとしている。各国が自国内で発生したものを早期に探知して対応すれば,国際的伝播は発生しないというわけである。すなわち,日本への流入を防ぐという視点ではなく,国際社会の一員として,発生地や日本において国際的な感染伝播を防止するという視点から考えていかないと解決にはならない。

 Global villageの一員として,発生地となった海外の地域での対策支援を積極的に行うことは上述の戦略上も重要であり,現在もJICA国際緊急援助隊に感染症対策チームを設置するなどの動きが見られる。一方,万が一日本に入ったものは早期に探知し封じ込めて他国への感染拡大を許さないことも要求される。他国を支援している間に日本で広がっては本末転倒である。前述のIHRでは,アウトブレイクの早期探知の手法としてEvent-based surveillance(EBS)とリスクアセスメントを,重症例の早期探知としてSARI(Severe Acute Respiratory Infections)サーベイランスを推奨し,世界各国はこれらを基本として体制整備を行っている。

 国際的な支援も大切であるが,現状は灯台下暗しである。残念ながら国内ではIHRの勧告に応じた体制はいまだ整備できていないのである。2020年には東京オリンピックもあるが,海外からの渡航者が増加すれば当然国内での感染症アウトブレイクのリスクも増大する。日本において国際伝播を防止しないといけないのである。新春を迎えて,外だけを見ているのではなく,もう少し国内での危機意識を持って,日本に入ったものを早期に探知し封じ込めることのできる体制を整備していかねばならないのである。


近未来の予想図を描く

柳橋 礼子(聖路加国際病院 副院長・看護部長)


 1990年以降,全国の看護系大学は急激に増加し,2014年度には234校と報告されている。1991年度は11校であったことを考えると,看護学は学問として認知され,看護教育は発展の一途をたどっていると言える。厚労省の「衛生行政報告例」によると就業看護師数は約108万7000人となり過去最高を記録した。現在進行中の医療制度改革では,社会の人々からの看護への期待はさらに高まり,多くの女性が選択する「魅力的な専門職」としても期待を寄せられている。看護系大学の急増は,大学の学生獲得のための戦略だけでなく,社会から広く評価されている結果と思いたいところである。

 私の勤務する聖路加国際病院は海外の看護職者や教育者の訪問が多い。米国からは,上質な看護ケアを提供する専門看護師(CNS)や,博士課程を修了したDNP(Doctor of Nursing Practice)が来校し,高度実践看護師の教育プログラムについての講演会や病院見学の際に情報交換をする機会もある。米国では博士後期課程でのDNPプログラムが開発されており,医療の高度化が進む中,看護実践能力を引き上げることが求められている。

 また,アジアの国々の看護管理者グループの見学を受けることも多く,看護師の評価制度と報酬制度について情報交換を求められる。中国の多くの病院では,実施できる医療行為を基に病院幹部が看護師を評価し,等級付けするという。上級と位置付けられると報酬にも反映されるとのことだ。日本ではどのような評価制度を用いているのかが,重要な関心事のようであった。

 各国の医療政策,医療経済の状況が,看護師の実践能力評価の構成要素にも影響を与えている。日本では特定行為研修を実施する研修機関の申請が開始された。また病床機能分化が進められることにより,さらに専門分化された看護実践能力が重視されていくであろう。団塊の世代が後期高齢者に達する2025年以降は,日本の人口はさらに減少していく予測である。30年後の2046年はどのような社会になり,どのような看護サービスが求められているだろうか。30年後の近未来の予想図を描けるかが,その鍵を握っている。


人間愛による人間看護
――看護の原点

山田 里津(一般社団法人日本看護学校協議会 名誉会長/医療法人鳳生会 理事)


 2015年5月12日,私はフローレンス・ナイチンゲール記章授与という至上の栄光に浴しました。ただ感動の極みであり,わが人生の誇りと厚く御礼を申し上げます。

 私の人生を振り返ると,少女時代から青春時代を戦時下で過ごし,終戦の1945年に学業を終え日本赤十字社の看護師となり,GHQの指令により三重県庁の教育民生部看護係に就任,GHQ東海北陸軍政部と兼務することになった。まず取り組んだことは,民主国家としての医療制度改革であった。当時の医療の現場は,ともすれば弱者・強者の関係に陥りやすく,患者中心の,人間性を重視した医療の実現が急務であった。そして医師の助手的存在から,患者の側に立つ真の看護の在り方を求めた施策が要請された。家族の付添看護は廃止,全面的に看護師がかかわる看護体制は社会の高い評価を受けた。看護師も専門職として確立するとともに,看護師自身もその自覚を持つこととなり,大きな発展がもたらされた。医師,歯科医師,薬剤師と同格の国家資格の法制化から出発した看護のルネサンスである。

 旧厚生省看護課で看護師係長の任に就き,保助看法諸規則にかかわる全ての根本的改正に取り組むこととなった私は,「病気の看護」ではなく「病気を持つ人間の看護」を人間看護学として構築すべく,カリキュラムの改正に取り組んだ。

 1963年,厚生大臣の諮問機関である医療制度調査会の答申では医療概念の拡大が述べられ,看護業務の明確化の必要性が強調された。1967年に指定規則の改正,公布に至った(3年課程)。次いで保健師助産師課程のカリキュラムも改正となったのである。この答申では,日本の医療が病気中心で人間を見ていないことが指摘された。「患者中心の医療」を問うことになった出発点と言ってよいだろう。この作業を行政官としてやり遂げた充実感を私は忘れない。

 戦後70年にして日本の看護は世界に誇れる発展を遂げたが,課題は山積している。しかし人生は,しっかりとした目的があってこそ充実させることができるし,前進もできる。在宅医療が推進される中では,看護の役割はますます拡大し,高い質が要求されるようになるであろう。そして,中心的存在として責任を果たすことになると期待される。

 私は,机上の空論でなく,実際の現場で新しい看護学教育をすることを志し,三井記念病院高等看護学院の創設にも当たった。日本初の看護師の学校長として,自ら壁を破り志高く勇気をもって就任した。以来40年,看護師の養成に携わった。素晴らしい学生が育ってくれた幸いを大切にしている。

 「いのちを育む学問が看護学である」。私の哲学であるが,「いかに育むか」が私の永遠の課題でもある。

 世界で一番美しいものは,全...

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