医学界新聞

連載

2015.05.11



The Genecialist Manifesto
ジェネシャリスト宣言

「ジェネラリストか,スペシャリストか」。二元論を乗り越え,“ジェネシャリスト”という新概念を提唱する。

【第23回】
複数の「とげ」が飛び出るスーパー・ジェネシャリスト

岩田 健太郎(神戸大学大学院教授・感染症治療学/神戸大学医学部附属病院感染症内科)


前回からつづく

 前回(第3120号)では,「ジェネシャリストになるためのミニマム・リクワイアメントは存在しない。三角形でありさえすればよい」と書いた。

 実は,この言い方は間違いだ。本当は「三角形ですらなくてよい」のである。朝令暮改も甚だしい,いいかげんにしろと叱られそうだが,以下にその理由を説明するので,怒り心頭で高血圧性緊急症一歩手前になり,アダラート舌下錠を口に持っていきそうになっている方は,しばしお待ちいただきたい。

 基本は,三角形である。たいていは,三角形である。しかし,三角形でなければいけない,と自分を限定する必要はない。そういう意味である。

 世の中にはすごい人がたくさんいる。例外的なスーパードクターたちである。一時期,「神の手」とか「ドクターG」とかいうスーパードクターたちがもてはやされ,その後,振り子の揺り戻しで「神の手なんて邪魔で幻想だ」「ドクターGなんて患者が期待するから医療がうまくいかないんだ」とバッシングを受けたりもしたようだが,「スーパードクターがいる」ということと「皆がスーパードクターでなければならない」は同義ではない。みんながスーパーでなくてもよいのは当然だが,スーパードクターを否定したり罵倒したりするのは人的資源を有効活用していないということなので,誠にもったいない。まあ,やっかみ,嫉妬心がそこに隠れているケースも多々あるんだろうけど。

 良い組織とは,突き抜けて優れた人が気持ちよく自分の能力をフルに発揮できるような環境と雰囲気を備えた組織である。悪い組織とは,例外的な「パフォーマンスの悪い人」のパフォーマンスを上げるためにエネルギーを使い過ぎて,優れた人の足を引っ張ってしまう組織である。

 残念ながら日本には後者の組織のほうが多いように思うし,大学病院なんてその典型,象徴であるとも思う。ごく例外的な不祥事,例えば論文データの捏造などが起きたとき,大多数の誠実な研究者たちに「私はデータ捏造をいたしません」などという誓約書を作って署名させるのは,まさに「足を引っ張る行為」にほかならない。こんな書類を作ってる暇があったら研究させろよ,と多くの優れた研究者は思っているであろう。だいたいあんな紙切れに不正の抑止効果があるとはとても考えられず,「対策を取ってますよ」という対外的なポーズ,アリバイ作りにすぎないとぼくは思う。

 スーパードクターには,一つの領域に極めて優れたタイプのスーパードクターもいる。例えば,冠動脈のバイパス手術が神のようにうまいとか(神様がどのくらいの手術の技量を持っているかは寡聞にして知らないが),診断が神のようにうまいとか(以下同文)。こういうタイプのスーパースターはしばしば(but not always),他の部分が完全に欠落しているタイプで,書類仕事がやたら苦手だったり,患者とのコミュニケーションは全然ダメだったりすることもある。まあ,極めて幅の狭い,とんがった三角形である。ジェネシャリストとは呼びにくく,三角形というよりもう一本の棒にしか見えないかもしれないが,その棒は信じられないくらい長くて,突出している。

 先に書いたようにタレントは抑圧せずに開放してあげたほうが全体にとってはよいので,ごくまれにはこういう人がいてもよい。100%がジェネシャリストになる必要もないのだ。いろいろいたほうがよい。にんげんだもの。みつを。もちろん,こういう人がゴロゴロしていたり,マジョリティーだったりすると組織のパフォーマンスはガタ落ちだけど。

 スーパードクターの中には,「なんでもできる」タイプのスーパードクターもいる。ジェネラルにあれもこれもできて,しかもそのできっぷりがハンパない。ぼくの知っている医師でも呼吸器のプロで,膠原病のプロで,アレルギーのプロで,感染症のプロというすごい人がいた。「専門医,持ってますよ」の話ではない。ぶっちゃけ,日本の専門医制度は(一部の領域を除き)ザルであり,複数の専門医資格を取ることなど決して「スーパー」な話ではない。感染症専門医を取るのだって,うわ,やめろ,なにをあqwせdrftgyふじこlp

 こういうスーパードクターは本当によく勉強しており,あちこちがとんがっている“ウニ”みたいな存在である。もちろん,突出していてもよいのである。にんげんだもの。もう,うんざりですか。

 「臓器専門医」という言葉がある。たいていは「臓器しか見れない」を含意する“蔑称”である。とんがっている領域は別に「臓器」に限定する必要はない。感染症なんて対象臓器を持たない,ぐにゃぐにゃした存在だ……というだけの話でもない。例えば,EBM。例えば,医療倫理。例えば,ナラティブ。こういうジェネラリストの守備範囲と思われる領域だって,教科書を書くくらいとんがって突出すれば,それは立派なスペシャリストである。そういう領域で三角形を作ってもいいし,ウニを作ってもいい。

 いずれにしても,臓器専門医は明らかに蔑称なので,当該人物を軽蔑するとき以外は使わないほうがよい。「オレはそうは思っていない」という人もいるかもしれないが,「私は差別者である」とカミングアウトする差別者はゼロである。差別を全否定する(ふりをする)のではなく,自分の差別意識に自覚的であることが,差別を克服する第一歩だ。

 人生は(案外)長い。一回,三角形を作っても,いずれ別の「とげ」を伸ばすのも楽しかろう。もともとあった「とげ」を引っ込めることもあるかもしれない。脳外科医や整形外科医がそっちの「とげ」を引っ込めてリハビリテーションを専門にする,なんていうのが典型例だ。ただし,どの専門領域も山の頂は余人には見えないほど高いので,「ついでに」「片手間に」やっても「とげ」にはならない。資格をたくさん持っている資格マニアとウニを一緒にしてはならない。そういうぼくもワインエキスパートやビジネスコーチ,ファイナンシャルプランナーとかいろいろと資格を持っているので天に唾するようなものだけど,さすがにぼくはこういうのを「とげ」とは認識していない。ウニはめったに食えないものなのだ。

つづく

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